第7話 忘れてた

 嵐のような金髪美女との出会いを終えて、俺達は閑静な住宅街を並んで歩いていた。

 既に陽は西の空に沈み、空は群青色へと変化している。

 東の空には、夏の星が輝き始めていた。


「さっきの話なんだけどさ」


 もうすぐ家の前に辿り着くという所で、梨世が意を決したように話しかけてくる。


「……さっきの話って?」

「大樹のバスケ部についての話」

「あぁ、そのことか」


 てっきり俺は、公園で出会った金髪美女の話かと……。


「それとも何? さっき出会った女の子についての話がしたいの?」

「いや、そう言う事じゃないから! それで、さっきの話がどうかしたか?」


 適当に誤魔化して話を促すと、梨世は先ほどと同じように真剣な眼差しを向けてくる。


「大樹さ、バスケ部のコーチになってみない?」

「は? 何言ってんだよ。コーチなら相沢さんがいるだろ?」


 バスケ部は、既に相沢さんがコーチとして指導をしている。


「そうじゃなくて! その……私たち女子バスケットボール部のコーチになってくれないかな……って」

「えっ? 俺が女子バスケ部のコーチに?」


 予想外の提案に、俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。


「うん、ダメかな?」

「ダメって言うか、女子バスケ部も、相沢さんがコーチなんじゃないの?」

「違うよ。相沢さんはあくまで男子バスケ部専属のコーチ。私たちは人数が少ないから混ぜてもらてるだけで、専属コーチなんていないの」

「そうだったのか……」


 てっきり俺は、相沢さんが女子バスケ部もコーチを兼任しているものだとばかり思っていた。

 ただ、よくよく考えて見れば、梨世と倉田の二人しかいない女子バスケ部にコーチが付くわけないよなとも思ってしまう。

 二人は男子部員と混ざって練習を行っているものの、試合形式の練習になったら審判やタイムテーブルなどの雑用を任されることがほとんど。

 実践的なことを教わっているのは見たことがない。


「私と友ちゃんしかいないけど、私達だってもっとバスケを上手くなりたいし、試合 だって勝ちたい。大樹がコーチをしてくれたら、私達の夢に少しでも近づけるんじゃないかなって」


 梨世は梨世なりに、俺の事を考えていてくれていたからこそ提案してくれたのだろう。

 先ほど、険悪な空気になってしまったのが申し訳なくなってくる。


「ちなみに、倉田はなんて?」

「友ちゃんは『バスケットに関しては彼の方が上手うわてなのだから、彼がいいって言うなら別にいいのではないかしら』って」

「倉田らしいな」


 頭の中で、倉田が髪を靡かせながら滔々と語っている姿が容易く想像出来る。

 ただ一つ、俺の中で言えることがあるとすれば……。


「ごめん、まだ自分の中で心の整理がついてない部分があって……女子バスケ部のコーチになるとか、そういう考え俺の頭の中にはなかったからさ。だから、今ここでいきなりコーチになるって答えを出すことは出来ないや」


 俺が頭の中で思っている率直な気持ちを梨世へ伝えた。


「うん、わかってる。別に今すぐ答えてほしいわけじゃないから。私たちの希望を伝えただけ。大樹自身がやりたいようにしていいよ。もし大樹がコーチの件を断っても私は全然構わない。ただ、頭の片隅には入れておいて欲しいなってだけ」


 夕日でオレンジ色に染まった空へ、まっすぐなきれいな茶髪の髪をなびかせながら、梨世はまるで聖母のような優しい笑みを浮かべていた。


「分かった。考えておく」

「ありがと」


 俺の心の整理がついていないことを理解してくれているからこそ、梨世が待ってくれることに救われた。


「話、ちゃんと聞いてくれてありがと」

「俺こそ悪かった。バスケ部の件、梨世に相談しなくて」

「もう怒ってないから平気だよ。ただ、次から何かあったときはちゃんと相談してほしいかな」

「あぁ、約束する」

「はい! ってことで、この話は終わり!」


 梨世はパンッと手を叩き、しみったれた空気を消し飛ばす。


「んんーっ、なんだか気が抜けたらお腹空いちゃった」


 ぐっと腕を上にあげて伸びをする梨世。

 そんな梨世を見ていたら、こっちまで気が緩んできてしまった。


「それじゃ、また明日ー!」

「おう」


 俺は梨世が家に入るまで見送る体制に入る。

 すると、梨世は何かを思い出したように振り返り、俺を見つめてきた。


「来週の放課後、地区センターで友ちゃんと練習するから、良かったら見に来てよ」

「あぁ、気が向いたらな」

「うん、ありがと」


 言いたいことを言い終えて、今度こそ梨世が玄関の扉を開けようとした時、俺と梨世のスマホのバイブレーションが同時に振動した。


「ん?」


 通知を確認するため、二人は各々スマホを取り出した。

 画面を見れば、一通の通知が届いている。

 宛先は倉田からで、トーク画面には次のような文面が記されていた。


 【瀬戸君。ちゃんと家で勉強してるわよね? まさかとは思うけど、そのまま遊びに行って忘れてるとかないでしょうね?? 今日勉強した部分、明日梨世と一緒に抜き打ちテストするから、もしできなかったら……どうなるかわかってるでしょうね?】


 あ、やべぇ……。

 再試験のことすっかり忘れてた。


 莉乃に勉強を教えないと、後で倉田から何言われるか分かんねぇんだったわ。

 恐る恐る視線を梨世の方へと向ければ、どうやら梨世も倉田から同じような文面が届いたらしく、今にも泣きだしそうな表情を浮かべていた。


「大樹ぃぃ……」

「お、おう……」

「うぇぇぇぇーん!! 勉強教えてぇぇぇ!!!! このままだと私、友ちゃんに殺されちゃうぅぅぅ!!!」


 梨世は泣きながら俺に抱き付いて懇願してくる。


「わかった、わかったから俺に抱き付くな!!」


 梨世のふわっとした柑橘系の香りが漂ってきて、俺は頭がくらくらしてきた。


「ちゃんと勉強教えてやるから、とにかく落ち着けって。な!」

「大樹ぃぃぃぃぃぃ」


 その後、なんとか梨世を引き剥がしてから落ち着かせ、俺も梨世の家にお邪魔して、手取り足取りみっちり梨世へ教育をする羽目になったのであった。


 何の教育かって?

 そりゃもちろん、俺と梨世の再試験対策の勉強という名の、倉田様ご機嫌取り大作戦のための猛勉強ですよ。

 倉田様マジ怖すぎっす。

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