第5話 隠していたこと
放課後、再試験に向けて俺と梨世は倉田に勉強を教えてもらっていた。
しかし、勉強を始めて一時間経った頃。
梨世は頭のキャパが限界を迎えてしまったらしい。
机に突っ伏して戦闘不能状態になってしまった。
「この図形の断面図のXを軸にしたY軸の表面積の高さがこうだから……」
一人で呪文のように数学の問題文を唱えている。
こりゃ、梨世にこれ以上勉強を教えるのは無理そうだな。
一方の俺は、普段からコツコツ勉強していたこともあり、テスト範囲の大部分は網羅していた。
元々、成績自体もそれほど悪くないので、今は俺が入院していていなかった時期に習った範囲を倉田に教えてもらっている。
ちなみに、倉田は学年で三本の指に入るほど成績がいい優等生。
教え方も上手く、俺が分からない単元もすぐに理解することが出来た。
きっと、倉田は将来教員とかになったら、とても生徒達から慕われるのではないだろうか?
そんなことを思いながら、さらに勉強を続けること一時間。
「まあ、大体こんなところかしら」
「終わったぁぁぁー」
ようやく試験対策が一通り終わり、俺はぐっと伸びをした。
「マジで助かったわ。サンキューな倉田」
「別にこれぐらい大したことないわ。私の復習も兼ねているからね」
「にしてもこいつは……」
俺はため息を吐きながら視線を隣へと移す。
そこには、机に突っ伏したまま心地よさそうにスヤスヤと眠る幼馴染の姿。
「梨世起きろ」
「……ふぁぁぁっ、おはよ~」
俺が声を掛けると、梨世は瞼を擦りながら身体を起こした。
「呑気におはようとか言ってる場合じゃないぞ。再試験落ちたら夏休み補習確定だぞ」
「……はっ⁉ そうだった! 私いつの間に……何で起こしてくれなかったの⁉」
時計を見れば、そろそろ下校時間が近づいていた。
「とても気持ちよさそうに寝ていたから、二人で起こすのは止めておきましょうってことになったのよ」
「そこは起こしてよ!」
「起こしたとしても梨世の場合学校ではろくに勉強しないでしょ。だから、今眠ってもらって、夜に瀬戸君にみっちり教えてもらった方が効率いいのよ」
倉田が訥々と梨世に説明する。
「え? てかちょっと待って。もしかして、みっちり2時間付きっきりで教えてくれたのって、俺が梨世に勉強教えるための布石だったってこと⁉」
「梨世の事、任せたわよ」
「責任重大じゃねぇか……」
まさか、倉田がそこまで見越しているとは思っていなかった。
「だって、梨世は瀬戸君の言うことしか聞かないもの」
すると、倉田が嘆くようにつぶやいた。
倉田が少々悲しい表情を浮かべているのは気のせいだろうか?
「それに、瀬戸君の家だと、とぉぉぉぉっても集中して勉強するらしいじゃない?」
倉田はすごく
その視線に梨世は一瞬怯むものの、すぐに反論した。
「私だってやれば学校でも出来るもん!」
「じゃあ、まずは行動で示してからにして頂戴全く……」
倉田はため息を吐きつつ、その長い黒髪を靡かせた。
「まあまあ、今日はもう時間も遅いしお開きってことにしよう! 私も明日からは本気出すからさ!」
「お前がしめるな。てか、『明日から本気出す』はお前の場合ダメだろ」
「大丈夫、明日からマジ本気出すから!」
「ダメだ。今日家に帰ってからすぐだ」
「えーやだぁぁぁ……」
「今日からやらないと、夜飯抜きな」
「そんな⁉ いくら何でも横暴すぎるよ!」
こういう時、梨世は食べ物を人質に取るのが効果的である。
梨世から食事を取り上げることは、人生の半分を無駄にしていると言っても過言ではないのだから。
拷問に近い所業だということを本人もよくわかっているので、梨世は不服そうにしながらも「分かったよ……」とか細い声で観念した。
「下校時間も近いし、そろそろ帰り支度をしましょうか」
倉田の一声により、机に広げていた教科書をカバンに仕舞い込み、帰り支度を始める。
荷物をまとめ終え、俺たちは教室を出て昇降口へと向かう。
途中、活動を終えた運動部の片付ける音や騒ぎ声が聞こえてきて、放課後のひと時を感じさせられる。
「それじゃ、また明日」
正門を出たところで、倉田が立ち止まり別れの挨拶を交わしてきた。
「うん、またね友ちゃん!」
「今日はありがとな」
俺が礼を言うと、倉田はおもむろに俺の方へ顔を近づけてきて――
「梨世の勉強、任せたわよ」
とプレシャーを掛けてきた。
こりゃマジでやらないとまずい奴だと悟る。
「それじゃあね」
倉田は言いたいことを言い終えた様子で、すっきりとした表情を浮かべて踵を返して駅の方へと歩いて行った。
その後姿を見つめていると、梨世がポンと肩を叩いてくる。
「私達もそろそろ帰ろっか」
「……だな」
ひとまず、帰ったら即勉強しようと心に誓った。
帰り道、梨世と隣に並んで歩いていると、ほどなくして河川敷の遊歩道へと出た。
太陽は西の空へ傾いており、空はオレンジ色に染まっている。
川に光が反射して、水面がきらきらと幻想的に輝いていた。
ジメジメと湿り気のある空気ながらも、心地よい風が降り注ぐ。
海が近いこともあってか、微かに磯の香りが漂っている気がした。
しばらくゆっくり河川敷を歩いていると、ある公園に差し掛かった。
その公園は、遊歩道から一段降りたところにある公園で、中央にストリートバスケット用のコートがある。
小学校時代、よくここで俺と航一、そして梨世ともう1人を加えた4人でしょっちゅうバスケをしていたのを思い出す。
中学に進学してからは、部活動としての練習が増えてしまったため、この公園で集まることも徐々に減っていってしまったけれど、俺達にとっては思入れの深い公園である。
金網に囲まれたコート内では、未来のバスケットマンになるであろう少年2人が、バスケを楽しんでいた。
「この公園も昔から全然変わってないよな」
「そうだね」
「毎日通い詰めてた頃が懐かしいな。覚えてるか?」
「当たり前でしょ。何回付き合わされたと思ってるの?」
「それもそっか」
そんな思いで話に花を咲かせながら、バスケを楽しむ小学生を横目に、足を引きずりながらゆっくりと歩みを進めていく。
「ねぇ大樹」
「ん、どうした?」
そこで、梨世が俺の名前を読んだかと思うと、彼女はその場に立ち止まってしまう。
どうしたのかと思って梨世の様子を窺うと、夕日を背中に受けながら、真剣な眼差しを向けてきていた。
「大樹、バスケ部辞めたってホント?」
「……」
突如梨世の口から、俺が伝えていなかった事実を言われてしまい、一瞬言葉を失ってしまう。
はっと冷静さを取り戻して、俺は視線を逸らしながら口を開いた。
「相沢さんに聞いたのか?」
俺が尋ねると、梨世はコクリと頷いた。
「そっか……」
相沢さんとは、バスケ部の顧問兼コーチである。
入院中、相沢さんがお見舞いに来てくれた際、俺は退部届を提出した。
そのことを、本当は梨世にも俺の口から直接伝えるべきだったのに、言うタイミングを逃したまま先延ばしにしてしまい今に至る。
「どうして辞めちゃうの?」
「そりゃだって、バスケが出来ないんじゃ、バスケ部にいる意味ないだろ」
俺が吐き捨ているように言い切ると、梨世は眉間に皺を寄せながら言葉を紡ぐ。
「それなら、マネージャーとして残るって手もあったんじゃない?」
「俺にマネージャーが務まると思ってんのかよ? あんなに梨世達にしょっちゅう迷惑かけてたのによ」
「確かにそうかもしれないけど……」
梨世はきゅっと握りこぶしを作り、腕をプルプルと振るわせる。
唇をきゅっと引き結び、そこからは悲しさや悔しさのようなものが滲み出ていた。
「なんで一人で決めちゃったの? 相談してくれもよかったのに……。私達、幼馴染でしょ?」
梨世や航一に、相談しないで決めたのは理由がある。
それを伝えなければならない。
「梨世には俺の事なんて気にせず、バスケを続けて欲しかったんだよ」
俺が端的に伝えると、梨世が地面を憤慨した様子で足を大きく地面に踏み込んだ。
「意味わかんない! 大樹の事を私も航一も蔑ろにするわけないでしょ⁉ なんでそうやって勝手に決めつけるわけ⁉」
「……俺はもう、二人との約束を果たすことが出来ないからだよ」
小さい頃、バスケを始めた時に四人で交わした約束。
全国大会出場。
それが俺達四人の約束だった。
けれど、俺はもう選手としてコートへ立つことが叶わないのだ。
順調に怪我が治ったとしても、試合復帰できるのは来年の5月。
その頃には、高校最後のインターハイ予選が既に始まっている。
1年かけて新チームを作り上げていく過程に、俺は選手として関わることが出来ないのだ。
それは俺にとって何よりも一番つらい事であり、どんどん実力で後輩や同期に追い抜かれている姿をコートの端から見ているなんて耐えられない。
「そんな事言ったら、私だってそうだよ。部員は友ちゃんと二人だけ。人数合わせで組んだチームで、勝てるわけがない」
「……」
梨世はやるせない表情でこちらを見つめたまま何も発さなくなってしまう。
二人の間に、何とも言えない重苦しい沈黙が流れる。
ボーン、ボーン。
そんな時、俺たちの間を嫌ったかのように、バスケットボールが転がっていく。
ボールはコロコロと転がっていき、河川敷の堤防にぶつかった。
「ごめーん! そのボール投げてくれる?」
俺達の元へ転がってきたバスケットボールを拾い上げて、声のする方へ視線を向けると、そこに立っていたのは――
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