A 彼女が今も死にたがっているから


「潮海さん」


 呼ばれて顔を上げるとクラスの女子生徒が立っていた。その様子はそわそわと落ち着きがない。


「髪、切っちゃったんだね。あんなに綺麗だったのに」


「うん。手入れが大変だったから」


 私は作り笑いで返答する。


「そうなんだ……短いのも似合うよ!」


 女子生徒はまるで励ますような口調で言う。心底どうでもいい。


「それでね、この前話した心霊系の本、知り合いが読まなくなったから譲ろうかって言ってて」


「ああ、それならもう大丈夫」


「でも、話題作りのために読んでるって言ってなかった?」


「うん。けど、もういいの」


「えっでも……潮海さん、色々と努力してたじゃん。雰囲気も前と随分変わったってみんな言ってたよ」


「うん。けどもう必要なくなったから」


 できるだけはっきりとした言葉と態度で、女子生徒の求めている答えへと導いてやる。事実がどうであれ、女子生徒がそれが真実だと思えたならそれで良いのだ。狙い通り確信を得てくれたのか、何かに気付いたような顔をしてそっと顔を寄せてきた。


「もしかして、彼女がいたとか……?」


 返事はせず、私は悲しげな顔を作って見せてやる。とたんに女子生徒はあっ! というような顔をした。


「そっか! ごめんね! 余計なこと聞いちゃったね!」


 顔の前で両手を合わせて頭を下げると、そそくさと離れていった。そのまま馴染みのグループに加わると、今あった出来事を報告し始める。


 それを横目にフッと息を吐いた。


 今のやり取りは女子生徒との初対面を思い出させた。


『潮海さん、いつも可愛いシュシュしてるね。それ、お気に入りなの?』


 初めて会話をした時も、あの女子生徒は開口一番に真実を探るような質問をしてきた。そうして自分の中で確信を得ると、所属する女子グループの輪に帰っていきひそひそとお喋りに興じるのだ。何を言われようと構わないが、少し鬱陶しくなってきた。


 確かに、とある男子生徒のために私は自分を変える努力を続けてきた。私との会話が楽しいと思ってもらえるよう彼が好みそうな本を読み、短かった髪を伸ばしてサラサラと流れる絹のような状態を保った。細身の体型の維持やナチュラルメイクの仕方。ミステリアスな雰囲気を醸し出し、マゾッ気のある彼をからかう術も覚えた。


 出来る限り彼の好みを装い演じてきた。自分は役者に向いているかも、と自負するくらいには上手く演じられたと思う。

 けど、その必要はなくなってしまった。


 彼はもう死んでしまったのだから。

 いいえ。

 正確には「死んでいた」が正しいだろう。



 【私には、死んだ人の姿が見えた】



 霊感がある、というのとは語感が異なる気がする。


 それは11歳のとある日を境に。とある出来事の影響からなのか、このような視界を得てしまった。


 とまぁ、簡単に言ってしまえばそれで事足りるのだが、例えばこれが物語の記述ならば、詳細を省きすぎて登場人物の背景が伝わらず中身のない話になってしまうだろう。


 私が今まで読んできた小説の中には敢えて詳細を伏せ、文章の端々から人物像や物語の背景、結末を匂わせる作品もあった。何気ない文章の中に意外な伏線が隠れていたりもするようだ。

 正直私は、比喩的な文章で曖昧に真実や結末を濁したりしないで、もっと直球に、分かりやすく明記しておいてほしいと思う。作者の言いたいことなんて、登場人物の思っていることなんて、分かるわけがない。これだから昔から国語の成績はすこぶる悪かった。


 ともあれ、事が終わってしまった今となってはあとは自分語りとなってしまう。どこかしら説明が不足する部分も出てきてしまうだろうけど、大目に見てほしい。


 始まりは二年前の11月のこと。教室で談笑するクラスメイトたちの会話が聞こえてきた。「三階の南校舎に使われていない教室があって、そこに男子生徒の幽霊が出るらしい」どこの学校にもひとつはある怖い噂話だった。


 私は試しにその教室を探してみることにした。その噂が本当かどうか私の目なら真実がはっきりするからだ。今までも噂を確かめに様々な場所へ赴いたことがあった。まぁ、暇潰しのようなものだ。せっかく人とは違う視界を持っているのだから、視えるものは視えるうちに視ておかなくては勿体無い。「答え」に繋がる手がかりが見つかるかもしれないしね。


 その男子生徒はすぐに見つかった。隅っこにある薄暗い教室、一番後ろの席に読書をする男子生徒の姿があった。今まで見てきた霊は手足が折れ曲がっていたり、血まみれだったり無惨な姿をしていることが多かった。しかし男子生徒は怪我などしておらず、生きている人間と変わらないように見えた。


 教室の出入口からジッと男子生徒を観察していると、私の視線に気が付いたのか不意に顔を上げた。


 訝しげに私を見ていた男子生徒はやがて「信じられないものを見た」といった顔をした。異形の存在を目にしてしまったとでも言うようなその表情。まさか幽霊にそんな顔をされるとは思いもしなかった。


 失礼な! と気分を害したけど、もしかしたら男子生徒は私の認知できない『何か』が見えたのではないかと考えた。『それ』は私が探し求めている「答え」かもしれない。そう思った私は、男子生徒と会話を試みるため再び教室に向かうことにした。


 これまで様々なタイプの幽霊を見てきたけど、男子生徒は自分が死んだことに気付いていないタイプの霊だった。

 結論から言うと、有益な情報は得られなかった。男子生徒は私を気にするような視線をチラチラと向けるくせに、なかなか心を開こうとはしてくれなかった。私の壊滅的なまでのコミュニケーション能力の低さが大きな要員ではあったけど。そうしていつの間にか男子生徒は姿を現さなくなってしまった。


 一年後、11月になると男子生徒は再び教室に現れるようになった。私を見た男子生徒はまた「信じられないものを見た」という顔をした。どうやら一年前に顔を合わせた記憶は残っていないらしい。毎年11月頃になるとこの教室に現れて読書をする。それを永遠と繰り返しているようだった。


 一から関係を築かなくてはならない事は面倒くさいが、一年前の険悪な関係を考えればむしろ幸いだった。男子生徒は私の求める答えを知る可能性を持った唯一の存在だ。私は全力で猫を被ることにした。


 最初は警戒されていたものの、本について質問すると、聞いていないことまでべらべらと喋ってくれるようになった。ホラー仲間として話をしていくうちに、男子生徒の警戒心は次第に薄れていった。


 景浦という名前、学年は二年生で、オカルトが趣味。好きなもの、嫌いなもの、好きなタイプ、嫌いなタイプ。住んでいる場所、よく行く書店。他愛ない会話の中から引き出せるだけの情報を引き出す。けれど肝心なことは彼の口から聞き出せずにいた。


 彼に人と変わった隠し事があることは明らかだった。けれど無理に聞き出そうとすれば、最悪姿を消してしまう可能性もある。幽霊は時に図太く、時に繊細な事象なのだ。何がきっかけでどんな事になるか分からない。慎重に、けれどそう悠長にもしていられない。彼がいつ消えてしまうのか、この時の私はまだ知らなかったから。


「実は私、子供の頃に悪魔と契約したことがあるんだよ」


 ある日、私は思いきって攻めてみることにした。


「それから幽霊が見えるようになったの」


 こちらから秘密を打ち明けることで、彼の心を少しでも開きやすくしたかった。

 オカルトに興味があるとはいえ、見えないものが見えるという人間を人は信用しないことを、私はよく知っている。良くて避けられ運が悪ければひどい迫害を受けることになる。


 彼がオカルトを空想的に捉え趣味としているのか、現実的に憧れているのか、そのどちらかで反応は変わってくるはずだ。気難しい彼のことはいまだ把握しきれていない部分もあるから、もしかしたら私を疎ましく感じて、口を利いてくれなくなるかもしれない。

 だからこれは賭けだった。


 彼は最初、冗談だと思い相手にしていなかった。


「景浦くんには何が視えてるの?」


 だから、もう一歩踏み込んでみることにした。その質問にようやく彼は反応を示してくれる。ジッと私を見つめ、一度思案するように瞳を伏せた。


「悪魔と契約したって……それは6年前……お前が11歳の時か?」


 やはり、彼は何かを知っている。私の探し求める答えを、知っている。そうに違いない。私はそう思った。


「そうか……だから……それなら……僕も……」


 急にぶつぶつと独り言を呟き始めた彼に、私は苛立ちを覚えた。全てを分かったような反応が私には腹立たしかったのだ。


「潮海、実は僕は……」


 その時、チャイムが鳴った。下校を促すチャイム。この音が鳴ると彼は姿を消してしまう。いいところだったのに。今日はここまでか。私は心の中で舌打ちした。


 だけどその日は違った。


「帰らなくちゃ」


 彼はそう呟くと、鞄を背負い椅子から立ち上がって教室を出た。初めて見せる行動に、私は一瞬何が起きたのか分からなかった。慌てて後を追う。彼はしっかりとした足取りで廊下を歩き、階段を使って一階まで下りると昇降口で靴を履き替え校舎を出た。その一連の行動はどこか奇妙だった。まるでレールに乗せられた車輪のような、制限を受けた動きのように感じた。


 学校の敷地内から出て歩道を歩き、やがて大通りまで来ると横断歩道の前で立ち止まる。


「景浦くん?」


「……うん、何?」


 話しかければ前を向いたまま、どこかぼんやりとした返事が返ってきた。


「そうだ。さっき僕が言いかけたのは……」


 信号が青に変わった。音響式信号機の鳥の鳴き声を連想させる音が響き渡る。話の途中で彼は横断歩道を渡り始めた。というよりも、彼の意思とは無関係に足が動き出したように見えた。追いかけようとした瞬間、見えない何かに撥ね飛ばされるようにして彼は視界から消えた。


「……え?」


 飛ばされた方向へ顔を向ける。歩道まで転がっていたその四肢は、おかしな方向に折れ曲がり割れた頭からは大量の血が流れだし地面を赤黒く染めていた。急いで駆け寄ると、彼は口をパクパクと動かして必死に何かを伝えようとしていた。聞き逃すまいと、瞬きもせずジッと血まみれの彼を見下ろし微かな声に耳を傾けた。


 ぼくには、ひとの、きょうねんが、みえる


 しにたくない、たすけて


 そう言い残して、彼の姿は溶けるように消えた。


 次の日から、彼は姿を現わさなくなった。


 そして、三年目。昨日の事。

 今年も彼は見えない何かに撥ね飛ばされて死んだ。


 彼が私と同じ、普通の人間とは異なった視界の中で生きていたことがはっきりした。初めて私を見た時の彼の表情にも納得がいく。彼の視界では、私は7年前のあの日、11歳の時点で死んだことになっていたのだろう。


 そして彼の享年は18年。差し迫った状態だっただろう。享年を迎えてもなお生きている私に、彼はずっと助けを求めたかったはずだ。生き延びるための方法を知るために。それには秘密を打ち明けるしかない。それを彼がギリギリまで躊躇っていた理由はもうすでに語っている。彼の気持ちはこの世で私が一番理解できた。……いや、むしろその逆かもしれない。


 生きたい彼と死にたい私は、全くの真逆だ。彼は死にたい理由が分からないと言っていたけど、それは私も同じだ。私には彼が死にたくないと思う理由が分からない。生きたいと思うことが彼にとっての本能なら、死にたいと思うことは私にとっての本能だった。これは私がそういうふうに生まれてしまったというだけの話。理解してほしいとは思わない。他人からの意見も説教もいらない。


 彼のことは可哀想だとは思う。けどそれ以上に、憤りを感じていた。彼は私が求める答えを口にする前に消えてしまったのだから。


『せんぱい、あくまはずるがしこく、りふじんなんですよ』


 それが微かに聞き取れた彼の最期の言葉だった。不敵な笑みを浮かべて消えていった彼に「そんな勿体振ったこと言ってないで、はっきりとした答えを言いなさいよ!」と思わずわめき散らしそうになった。


 私は手首のシュシュに触れながら息を吐いた。ざわざわと声の溢れる教室の隅で、誰にも聞こえない独り言を呟く。


「制服、来年まで取っておかなくちゃ……」



 死ねない身体を引き摺ったまま、私は今も答えを探し続けている。



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享年7年前。 本郷 蓮実 @hongo8

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