享年7年前。
本郷 蓮実
Q なぜ彼女は今も生きているのか?
《少女は召喚した悪魔に「明日の国語の授業で先生にあてられないようにして。引き換えに私の命をあげる」と言い契約しました。次の日、少女の願いは叶えられました。少女は今も生きています》
「どうして少女は今も生きているのでしょうか?」
そう言って、僕の一つ前の席に座る潮海先輩は微笑んだ。
「ウミガメのスープ」を知っているだろうか?「水平思考クイズ」とも呼ばれており、YESかNOで答えられる質問を繰り返し、真相を導き出す遊びだ。
潮海先輩は僕と同じでダークな話を好んだ。初めて会った時も、僕が読んでいた本の猟奇的な表紙を見ても少しも動じることなく「私も同じようなの読んだことあるよ」とタイトルを言ってみせた。どれも僕の本棚に並んであるものばかりだった。先輩とは趣味が合うようだ。
それから放課後、誰もいない教室で、僕たちは言葉を交わすようになっていた。
この遊びは数日前から始まった。おもに先輩が出題し、僕が回答する。クイズは倫理観に反するようなものがほとんどだった。陰鬱なその内容は今までと変わりないが、これまでとはどこか毛色の異なる問題に僕は軽く首を傾げた。
「それ、潮海先輩が考えたんですか?」
「ん? いや、何かの本で見た内容だよ。一字一句同じではないだろうけど」
先輩は僕を真似るように小首を傾げ瞳を細める。まるで、君に答えが分かるかな? とでも言っているような挑発的なその瞳に、僕の心は刺激される。
開いていた本はそのままに、思考をめぐらせる。といっても、クイズの答えを真面目に考えるわけではなかった。
実は僕は、以前からどうしても先輩に聞きたいことがあった。けれど、この質問を投げ掛けるためには、まず最初に【僕の秘密】を打ち明ける必要があった。その話なしに、先輩に質問することはできないのだ。
仮に秘密を伏せたまま質問したとして、それはまるで、僕が先輩のことを心の底から嫌悪しているように聞こえてしまう。それでは意味がないし、先輩に誤解されるのは絶対に嫌だった。
また仮に秘密を打ち明けたとして、それを先輩が信じて理解し受け入れてくれるとも限らなかった。なにより僕が求めている答えを、その方法を、彼女自身が知っている可能性は、きっと限りなくゼロに等しい。
けれど、そんなリスクを冒してでも僕は先輩に聞かなくてはならない。もうあまり時間も残されていなかった。藁にもすがる思いとはこんな気持ちなのだろうか。
はっきり言ってしまえば、『どうして生きているのか』なんて、それは僕が先輩に聞きたい質問だった。
【僕には、人の享年が見える】
享年は数え年、つまり生まれた日を1歳とし、以降は正月に年をとる数え方だ。現在は生まれた日を0歳とし、誕生日に1歳を迎える、満年齢で表すのが一般的だろう。これを行年という。
僕にはその人が何年生きるかが表示されて視える。それは幼い頃からのもので、当時はみんな同じ視界を共有しているのだと思っていた。気味悪がられ、人との違いを悟ってからは一度も口にしないまま生きてきた。
僕は視線を先輩の頭上に向ける。そこには『12』の数字が並んでいた。『72』の見間違いでないことは何度も確認している。先輩の享年は今から7年前を表していた。本来なら11歳の時に先輩は亡くなっているはずなのだ。
だから最初に先輩を見た時は驚愕した。人間ではない何か得体の知れない化け物なのではないかと恐れた。実際、幽霊でも怪物でもない、普通の人間だったけれど。だけどたまに、上手く欺かれているだけなのかもしれないとも思う。だって、僕の目には先輩がこんなにも――。
「ん? なに? 頭に何かついてる?」
「いえ……」
僕は視線をそらし、窓ガラスをとおして自身の頭上に浮かぶ数字を見た。何度見ても変わらぬ数字の並びに、顔をしかめる。本当なら一日でも早く先輩に打ち明けるべきなのに、怖くてずっと言い出せずにいる。
「ね、質問しないの? それともギブアップ?」
茶化すようなその声に僕は先輩を見た。先輩は静かに身を乗り出していたようで、悪戯っ気を含んだ瞳と思ったよりも近くで目が合ってしまう。心臓が口から飛び出そうになった。僕の眼前で先輩の瞳がパチリと瞬き、ピンク色の唇が不敵に弧を描く。石鹸の香りがフワリと鼻腔をくすぐった。ふいにツヤツヤとした長い黒髪がサラリと肩から流れ、細い指が耳にかけなおす。その際にずれた手首のシュシュをそっと元の位置へ戻す。その仕草ひとつひとつが僕の心を乱してやまない。
再び視線をそらしながら僕の方から身を引く。そういえば先輩が髪を束ねたところを見たことがないが、女子が手首にシュシュをしているのは単なるオシャレなのか?などと適当な思考で鼓動を落ち着かせようとする。
とりあえず、沈黙したままではばつが悪い。適当に質問を投げ掛けてみることにした。
「その少女は、夢でも見ていたんじゃないですか?」
「ノー! 実際にあった出来事だよ」
「実は命をとられていて、死んだことに少女は気付いていない」
「ノー! 少女は実際生きて、成長もしてるよ」
「悪魔じゃなく、本当は天使だった。もしくは優しい悪魔だった」
「ノー! 適当になってきてない?」
僕は吐息する。
この問題の少女はまるで先輩みたいだ。少女が生きてる理由。そんなの僕が一番知りたいのに。
奥歯をグッと噛み締める。このまま、勢いに任せて言ってしまおうかと思った。
『実は僕は人の享年が見えるんです。僕の視界では先輩は7年前にお亡くなりになっているはずなのに、どうして今も生きているんですか? 7年前に何か奇跡的なことでも起こったんですか? どうすれば僕は――』
「景浦くん?」
名前を呼ばれ、はっとする。彼女を目の前にすると、とたんに意気消沈してしまう。
もしも先輩に打ち明けて引かれたら、嫌われたら、もう教室に来てくれなくなったら、そう思うとなかなか切り出せないでいた。僕のような人間が周りからどんな目を向けられるのか、どんな言葉を投げつけられるのか、僕はよく知っている。それは心に突き刺さったまま、永遠に抜けない。
こんな感情、抱いたところでどうせ無駄なのに。だからこそ、僕は最期まで先輩に嫌われたくなかった。
「どうしたの? やっぱり景浦くんには難しかったかな?」
また挑発するような言葉。ムッとはするけれど、本気で疎ましいとは思えなかった。どうして出会って間もない先輩にここまで絆されてしまったのか。驚くほどに、先輩は僕の心の隙間にことごとくはまっていた。まるで狙っているかのように。その容姿や纏う不思議な雰囲気は怖いくらいに僕の心を掴んで放さない。
「バカにしないでください」
このままでは面目に関わる。僕は先輩が教室に来てから一行も読み進められていない本を閉じ、真面目に熟考することにした。
少女は授業で先生にあてられないように、という願い事のために悪魔と契約した……。僕も悪魔や魔術に関する本は読んだことがある。悪魔は狡猾で残酷で非道を好むらしい。そして悪魔にとって人間との契約は退屈しのぎ、一種の遊びのようなものだ。
契約には従順だ。破ると悪魔でさえ厳しい罰が下される。だから契約の内容はお互い揚げ足を取られないよう、慎重に取り決めなければならない。しかし、問題文の少女からは知識不足が窺える。幼さゆえか、随分と短絡的に悪魔と契約を結んでいるように思う。そもそも、命をかけるには願い事がくだらなさすぎる。
「……少女の本当の願い事は別にありましたか?」
「イエス」
初めて答えにつながる質問ができた。
「願いの対価は本当に『命』で間違いないですか?」
「イエス」
「契約する際、対価を支払う期限は設けていなかったですよね?」
「イエス」
だんだんと少女の背景が見えてきた。何を考え、どんな目的で悪魔を呼び出したのか。
「……確認したいんですけど、『命をあげる』というのはつまり死ぬってことで合ってますか? 似たような問題で「死」を対価にした話もあった気がします」
「死という権利が奪われる話ね。それとは別物。君の言う意味で合ってるよ」
僕は考えをまとめるために一度沈黙する。それなら……。
「この問題は不完全ですね」
「どうしてそう思うの?」
「これは少女がどうして死なずに生きているかを答える問題ですよね? 言い換えれば悪魔が願いの対価である命を奪っていない理由、です」
「そうだよ」
「問題の内容として提示する情報が足りないと思います」
「そこを含めて想像するのがこのクイズの醍醐味だよ」
そうかもしれないが、この問題は知識がない者にとっては不利な内容であると僕は思う。この方面の知識がある人間でなければ――僕はそこではたと気が付く。
先輩はもしかして、僕向けの問題をあえて選んで出してくれているのではないか? 他の人間には導き出せなくても、僕なら答えにたどり着けるだろうという先輩からの信頼。そんな自分本位な考えが一瞬脳裏をよぎったのだ。
そもそも放課後毎日欠かさず僕に会いに来てくれるのはどうしてなんだろう? 淡い期待を抱いてしまいそうになり、慌てて首を振る。一呼吸置いて僕は回答しようと口を開いた。
「少女は……」
――キーンコーンカーンコーン……
答えを言葉にする前に、チャイムが校内に鳴り響いた。その瞬間、僕は立ち上がる。
「帰らなくちゃ」
本を鞄にしまって背負い、さっさと教室を出る。廊下を歩く僕の後ろを先輩もついてきた。
「さっきの答え、分かった?」
先輩が後ろから尋ねてきた。
「え? ええと、そうですね……」
階段を下り、昇降口で靴を履き替え校舎を出る。先輩も僕のあとをついてくる。
「つまり、少女は死にたがっていたんじゃないですか?」
校門を出て、歩道を歩いていく。その間ついてくる先輩を僕は一度も振り返らない。チャイムが鳴ってから帰宅するまでの一連の動作を体は覚えていて、それをなぞるように僕の体は下校を行う。
「死ぬために、悪魔と契約して、殺してもらうために、命を対価にしたんです。少女が死にたがる理由までは分かりませんが」
やがて大通りに出た。横断歩道の前で立ち止まり、前を向いたまま、僕は話し続ける。
「けれど、少女の命は奪われず生きたまま。それは何故なのか……」
僕の持っている知識と認識から考え出された答えは、少女の浅はかさと悪魔の残虐性によって生み出された悲劇だった。
「それは、」
横断歩道の信号が赤から青へ変わり、音響式信号機の鳥の鳴き声を連想させる音が響き渡る。僕は迷うことなく、足を前に踏み出した。
あれ?
何故だか強烈な違和感が全身を襲った。
次の瞬間――。
一台の車が猛スピードで僕に突っ込んできた。あ、と思う間もなかった。僕は為す術もなく撥ね飛ばされた。
ああ、そうか。
今日が僕の命日だったんだ。
宙に浮いていた体は地面に叩きつけられ勢いのまま転がっていく。不気味な音が体の内外部から聞こえてきた。そうして転がり着いた先には先輩がいた。何も言わず、何をするでもなく、ただ僕をジッと見下ろしている。人の死に際を目の当たりにしているにも関わらず、先輩は平然としていた。周りから見ればさぞ不気味な光景だろう。先輩の落ち着いたその表情は、どこか羨ましそうにも見えて、僕はそこでもうひとつの事実に気が付いてしまった。そうすると、芋づる式に全ての真実が姿を現す。
ああ……。
僕は失望し、同時に絶望した。
僕と先輩は似ていると思っていた。けれどそれは間違いだった。僕と先輩は初めから違う方向を向いていたのだ。先輩は僕が思っていたような人ではなかった。全くの真逆。幼稚で、盲目的で、痴鈍な人だった。そんな人間が僕の求めている答えなど知るはずがなかったのだ。
仮面が剥がれた先輩の顔を目の当たりにしてようやく理解した。
勝手に期待して、裏切られたなんて思うのは自分勝手だ。けれど、こんな死に際で綺麗な感情なんて抱いていられなかった。今の僕はこんなにも無様だ。欺かれていたことに今になって気付くなんて、あまりにも惨めで悔しくて腹立たしい。黒い感情が誰かを道連れにしてやろうと僕の耳元で囁いている。その矛先は当然、目の前の人間に向かっていた。せめてもの意趣返しだ。
「先輩……」
僕は消え行く意識の中、先輩が出したクイズに答えようと口を開く。
「……分かり、ましたよ」
思わず口元には笑みが浮かんでいた。
先輩も僕と同じように絶望してしまえ。
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