【第86話】 それから 2 最終話



 今年もあと数日で終わる。


 夕方には雪がちらちらと、灰色がかった空から舞い始めていた。

 窓辺に立って、落ちてくる細かい雪を眺めていた。扉がノックされる音がした。


 「どうぞ」


 開かれた扉の前にはヴィーリアが立っていた。


 足音もなく部屋に入る。わたしの隣に立つと、窓の外を見た。

 夜でなければヴィーリアはきちんと扉から部屋に入ってくる。


 仄かなランプの灯りは、窓ガラスを曇った鏡のようにした。ぼんやりとわたしたちの姿を反射させている。それでも窓ガラスの向こうに、雪は白く、細かく落ちてゆくのがわかった。


 「雪ですか」


 「積もるかしら?」


 「貴女が占ってみては?」


 まだ魔力を制御できないのを知っているくせに。


 「やっぱり意地悪ね」


 ヴィーリアを見上げる。紫色の瞳と視線が重なると、唇の端が柔らかく上がった。


 お父様とお母様が公都から戻ってきてからは、ヴィーリアはお父様たちの仕事を手伝っている。


 お父様たちが鉱山関係の事業に関わる時間が増えているために、わたしは領地内の仕事の補佐を任せてもらうことになった。最終的な承認は領主であるお父様の確認が必要だけど、以前よりもわたしの裁量権は増えた。領主代行……の代行くらいは務められているかも?


 ヴィーリアはかなり忙しい上に外に出ることも多く、二人で午後にお茶を飲む時間をもつこともままならなかった。もちろん、魔力の使い方の講義も中断を余儀なくされている。ひとりでもカードを使って練習すること、常に魔力を意識すること、という宿題は出されていたけど。


 まだ夕食前の時間に部屋を訪ねてくるなんて。今日は最近では珍しく、早めに仕事を切り上げたようだ。


 「私たちが町へ行ったとき……」


 書店と図書館へ本を探しに町へ降りたとき。


 「あのとき、広場で騒ぎがありましたね」


 リモリアの町は人出も多く、活気に溢れていた。


 「ええ。酔っぱらいが暴れていたわね。自警団が来る前にヴィーリアが投げ飛ばしたけど」


 一瞬の出来事で、なにが起きたのかすぐには解らなかった。ヴィーリアは体術を使ったと言っていた。


 「そのときのことを書店にいた者が見ていたらしいのです。私を自警団の団長にと、推す声があります」


 ヴィーリアが? 自警団?


 「引き受けるの?」


 「貴女がそれを望むのなら」


 「そうね……いいと思うわ」


 ヴィーリアが団長になるのなら、きっと今よりも、もっと頼もしい自警団になるはずだ。

 なんていったってヴィーリアは……ねぇ?


 リモリアへは仕事を求めて、近隣の領からも人が大勢入ってきている。

 人が多くなれば問題も多くなる。自警団も今のままでは人員が足りなくなるだろう。


 あの酔っぱらいみたいに、騒ぎを起こして捕らえられた者たちを再教育して、自警団に取り込んでしまえばいいと思っていた。


 ヴィーリアが指導にたずさわれば……彼らもさぞかし再教育のされ甲斐もあるはずだ。更生すること間違いなし。


 なにしろ、人は一番の宝だ。


 「でも、無理はしないでね」


 ふっと、ヴィーリアが笑った。


 「私が疲れているとでも?」


 「だって、忙しいじゃない。こんなに働き者だとは知らなかったわ」


 「まあ、人間の真似事もたまには悪くない。そうですね……。そうしたらまた、貴女に眠りの魔術をかけていただきましょうか」


 あの日、眠り続けていたわたしが目覚めた朝。


 『貴女の手でかけてください。眠りの魔術を』


 見様見真似みようみまねでヴィーリアの瞼の上に手をかざした。


 結論からいうと、ヴィーリアは眠ることはできなかった。だけど、眠りでもなく、覚醒でもない境界を感じることができたらしい。


 眠ってはいけないのに眠くて仕方がなくて、つい、うとうとしてしまうときに、現実と夢の間を彷徨さまようみたいなものだろうか。


 わたしが魔術を使いこなせるようになれば。

 もしかしたら、いつか、本当に眠りの魔術をかけることができるかもしれない。


 「いいわよ」


 心の中でヴィーリアを……真名まなを呼ぶ。まだ、正確に呼ぶことは難しい名前。


 深い紫色の瞳が柔らかくけていく。


 『あなたの……本当の名前を教えて?』 


 『そうですね……。貴女になら解るかもしれない』


 完全に眠ることはできなかったそのあとに。

 そういって教えてもらった。

 何回も何回も繰り返して。


 声に出して発音することはできない。聞き取ることも難しい。でも、音楽のように響いて流れる。美しい旋律のように。


 「……年越しのお祭りには行けそうなの?」


 リューシャ公国の年越しは、過ぎ行く年に感謝を込めて盛大に祝う。そして、そのまま新しい年を歓びで迎える。


 リモール領でも、リモリアの町で毎年、年越しの祭りが行われている。五年前の祭りは祈りを捧げるだけのささやかなものだったが、中止されることはなかった。


 食べ物や飲み物、工芸品に装飾品、甘いお菓子、子どもの玩具、くじにゲームなどいろいろな出店が並ぶ。年の最後の日だけは特別で、普段はすでに夢の中にいる幼い子どもも祭りに参加する。有志の楽団も夜通し音楽を奏で、皆が歌って踊る。広場には移動式遊具や舞台が設置されて、劇やショーも上演される。


 吊り下げられた、たくさんのランタンの橙色の明かりが中央広場と大通り、町中町中を照らして、リモールの冬の夜を幻想的に飾る。

 今年の祭りはきっと、例年以上に賑やかなものになるだろう。


 わたしはヴィーリアとお忍びで祭りに行く予定を立てていた。


 ブランドとケインは年越しの祭りには行かずに、その日は屋敷でゆっくりと過ごすらしい。ベルとルイ、コディとルウェインは四人で一緒に祭りに行くようだ。ルウェインは次期コック長として、ケインの下で働くことが決まった。


 シャールとフェイは公都から帰ってはこない。今年は公都で年を越すと手紙が届いた。公都の年越しの祭りはリモール以上に華やかにちがいない。もしかすると、お父様には内緒でベナルブ伯爵も一緒かもしれない。お母様は知っているかも?


 「男爵も明日には今年の仕事は納めるそうですので……。男爵夫妻も年越しの祭りに忍んで行くそうですよ」


 心配はないというようにヴィーリアが肯いて、わたしの腰に腕を回して引き寄せた。


 「ちょっと……」


 こういうのは、やっぱりまだ……恥ずかしい。


 「なにを今さら。私と貴女はすでにひとつに……」


 「魂がね!?」


 最後まで言わせずに、言葉をかぶせる。

 こういうところは相変わらずだ。


 ヴィーリアの蕩けたままの深い紫色の瞳は悪戯に意地悪く、だけど優しくわたしを映す。


 少し恥ずかしいけど……ヴィーリアの胸にゆっくりともたれると、温かい体温が伝わってくる。


 「なんだか、最近のお父様とお母様……見ているこっちが恥ずかしくなるくらいに仲がいいわよね?」


 「私たちを見ていると新婚時代を思い出すそうです」


 「そんな話、いつしたの?」


 「まあ、いろいろと」


 なんだかんだと、ヴィーリアはお父様、お母様ともうまくやってくれている。


 「……お父様たちは結婚してすぐにわたしを育ててくれたから、今が新婚のやり直しかしら?」


 「そうですね。もしかしたら、貴女にもうひとり妹弟きょうだいができるかもしれませんね」


 「えっ!?」


 「また貴女は……淑女らしからぬ顔をして。それはもう、癖ですね」


 そういうと、わたしの眉間をこつんとつついて本当に愉快そうに笑った。


 部屋の扉が四回、控えめに叩かれた。

 このノックの音はベルだ。


 夕食の準備が整いましたと、わたしたちを呼びに来た。















 【崖っぷち男爵令嬢の召喚奇譚  END】



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崖っぷち男爵令嬢の召喚奇譚 冬野ほたる @hotaru-winter

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