第58話 好敵手

 カーク・グライス。つまりは僕が生を受けたのは、クロイツェルにおける名門騎士家、グライス家のその嫡男としてだった。

 自慢ではないが剣技の才能に長け、高潔な一族の元で最高の教えを受けて育ち、自分自身も鍛錬を厭う気質ではなかったために、僕の騎士としての実力は同何代の者たちの中では頭一つ飛び出ていた。

 そんな環境だったために、僕は一度も敗北というものを知らず、当然のように騎士学校には最も優れた者として入学し、また最も優れた者として巣立っていくことを微塵も疑ってはいなかったのだ。

 そう、彼女に出会うまでは。


「…………」


 最初の彼女の印象は、愛想のない奴だな、というものだった。

 彼女は一切笑わなかったし、瞳はいつも周りを睥睨しているようだった。事実、挨拶などは最低限しか交わそうとしなかったし、誰か特定の人物と交友関係にあるようにも見えなかった。


「没落に没落を重ねた騎士家の出らしい」

「酷い田舎者で作法の一つも知らないと見える」

「この学園にはあの身体を使って入学したらしいぞ」


 彼女の居るところでは、いつもそんな聞こえよがしな噂が飛び交っていた。無論、僕はその一員になるような低俗な真似はしなかったが。

 それでも、彼女は気にした風ではなかった。

 僕もまた、あまり気にはしていなかった。



 彼女が強いと言う話だけは、後から少しだけ聞いていた。


「お前に敵いそうなのは、ま、俺かあのお嬢さんだけじゃねーの?」


 今は懐かしき騎士学校の狭い寮内。同室だった同期が、噂好きの奴でそういう類の眉唾話だけは豊富に取り揃えていたからだ。

 前者の言は迷い言だった。在学中、僕は一度も彼には負けていない。

 だが後者は、口惜しいことに事実だった。


 真っ直ぐな瞳、曇ることなき剣閃。

 美しいとさえ思える剣技。

 騎士学校の実技の時間に、僕は初めて彼女と戦った。

 そして、完膚なきまでに敗北したのだ。


「ふん」


 そんな時だって、彼女は涼しい顔をしていた。


「エリザ。エリザ・クラリア」


 その日のことを、今でも鮮明に覚えている。

 彼女の瞳も、声も、しなやかさも、正直に言えば、胸の高鳴りだって。


「その名、決して忘れない」


 僕は、確かに覚えている。



 それから僕たちは幾度となく剣を交わした。

 時には実技の授業で。時には学内の剣技大会で。……つまらないいざこざから、私的な決闘も、少し。

 僕達の実力は互いに拮抗していたと言ってよかったが、特に彼女は実戦的な魔術に長けている側面が強かった。

 ルール上、魔術の仕様が禁止された剣技のみの決闘の場合、僕の方が基本的には強かった。

 逆に、魔術の使用が許されている試合で、なおかつ互いの距離が剣の届かない遠方から始まる場合では、僕は著しく不利な試合運びをせざる負えなかったものだ。

 魔術の素養には恵まれず、肉体の強化と回復くらいしか取り柄の無かった僕がその才能を羨んだことは一度や二度ではない。


 僕達は、いい好敵手だったと言えただろう。少なくとも、僕はそう思っていた。

 それに、小さな変化もあるにはあった。決して誰にも心を許さなかった彼女が、僕に対してだけは少し話をするようになってくれたのだ。

 最初はぽつりぽつりと、不満でも漏らすかのような物言いだったが、それも騎士学校で過ごす数年間の内に、段々と軟化の傾向を見せていた。

 最終学年になる頃には、僕らは少し変わった友情関係さえ芽生えていたように思う。

 


 それは、僕らが騎士学校で過ごす最後の年。

 学校主催で催された夜会の席で彼女はいつも通り、窓の向こうのテラスに一人で佇んでいた。


「こんな所で何をしてるんだ?」


「……ああ、カークか」


 エリザは一瞬だけ僕の方を向くが、すぐにふいっと顔を星空に戻してしまった。


「私は、こういう場が苦手なんだ」


 育ちが悪くてな。そうエリザは自嘲気味に笑った。


「そう邪険にするものじゃない。こういった交友会への参加も、騎士にとっては仕事の一部だ。今のうちに慣れておくべきだろう」


「あの詩やら楽器やらはそのための小道具か?」


「見ていたのか。まぁ、そうだとも言えるな。護衛対象に付き添ってこういうパーティーに来たとき、場に合った振る舞いをするのも技能の一つだ」


 僕の拙い演奏を彼女に見られたことに少しの気恥ずかしさを覚えて、僕はごまかしのために正論を並べ立てた。

 なんでだろうか。

 僕がこんな気分になるのは、ごく珍しい。

 参ったな、普段から品行方正を心掛けているというのに。


「まあ、様にはなっていたよ。流石はいいとこのお坊ちゃんだな」


 本当に、おかしな夜だと言えた。


「その礼服だって十分似合っている」


 エリザが、真正面から僕を褒めるだなんて。


「私には、似合わないだろう」


「そんなことないさ」


 今日の彼女の装いはいつもの制服や騎士の装備ではない。

 赤を基調とした、可憐で鮮やかなパーティードレスを着こんでいる。彼女の氷の彫像めいた美しさと相まって、それは本当に。


「似合っていると僕は思うよ」


 くく、と彼女が笑みを漏らした。


「正気か?」


「無論、正気だとも」


「そういうセリフは似合わないな」


 そう言うと、ふっとエリザが僕の方に足を運び、優美に手を差し出してきた。


「そこまで言うなら、ダンスの手ほどきでもしてもらおうじゃ無いか」


「喜んで」


 僕は家で叩き込まれた礼節の、その最大限を持って彼女の手を取った。


「言っておくが、私はダンスが苦手だぞ?」


「気にしなくていい。きちんと僕がリードしてやる」


 剣技であれだけのことが出来る彼女のことだ。簡単な社交ダンスくらいすぐに覚えてしまうだろう。


「最後の校内大会」


「うん?」


「悔いのない決闘をしよう」


「ああ、勿論だ」


 テラスからホールの中心へ、僕達は歩調を合わせる。

 多分その瞬間こそが、僕達が一番近づいた時だっただろう。

 

 そこから先の僕たちは、ただひたすらにすれ違うばかりなのだから。



「どうしたんだ」


「……なにがだ」


「なにがだ、じゃない!君だって分かっているんだろう!」


 卒業を目前に控えた時期に、僕は我慢できなくなって彼女に問い詰める。


「剣技にいつものキレがない!動きも鈍いし!魔術の扱いだっていつもよりワンテンポ以上遅い!これで何もないだなんて君は言うのか!」


「……君は」


 エリザは、僕と目を合わせようとはしなかった。


「……いや、勘違いだよ。君の成長に、私が付いていけなくなっただけの話だ」


「そんなはずないだろう!これまでずっと君と戦ってきた僕には分かる!」


「カークに!お前に何が分かるっていうんだ!」


 僕に後悔があるとするならば、この時、言ってくれなければ分からないのだと言えなかったことだ。

 けれど当時の僕は今よりも少し潔癖で、色んな物事を見た通りにしか受け取れなかったし、それ故に大事なことにも気が付かなかった。


「……勝手にすればいい」


 何故こんなに苛立つのか、自分自身でも理解できないまま僕はエリザを残して踵を返す。

 きっと、そうすべきではなかった。

 エリザは、最後まで僕と目を合わせようとはしなかった。



 卒業を目前に控えた学内の公式な決闘。それは学校内のそれまでの戦績によって選抜された優秀者がトーナメント形式で戦う大会で、この大会の順位によって卒業時の席次が決まると言っても過言ではない。

 当然、僕もエリザもその代表に選ばれていた。

 それも、公平なる審査によって決められた結果、僕の一回戦の相手がエリザだったことの、なんという運命の悪戯か。


「事実上の決勝戦だな」


 この騎士学校に現在、僕と比肩しうる者は彼女しかいない。この決闘を見守る誰もがそう思っていたし、また当事者である僕も、そしておそらく彼女もそう思っていたに違いない。


「……ああ」


 決闘の場に立ち、ピリピリとした緊張の中で向かい合う僕とエリザ。

 エリザの表情は、やはりこの場に立った高揚感とは無縁のものだった。


(いや)


 僕に勝つことにずっとこだわり続けた彼女のことだ。

 きっと決闘が始まれば彼女だって悩みも迷いも全て振り切って立ち合うだろう。

 これが、最後になるかもしれないのだから。

 けれど、それは都合のいい願望に過ぎなかった。

 

 最初に感じたのは、違和感。


(なんだ)


 次に、失望。


(なんだ、これは)


 賞賛されるべき技の応酬、優美なる剣戟の打ち合い。けれど、やはり違う。

 表面上は拮抗しているように見えるだろう。僕達は互いに全身全霊を用いてこの決闘に臨んでいると思っていることだろう。

 けれど、当事者である僕には分かる。

 これは、ただ演技しているだけだ。

 激しい応酬も、必死の表情も。

 ……ああ、認めよう、それを受けてる僕だって。

 全部、下らない偽物だ。


「カーク!!」


「エリザ!!」


 唯一本物だったのが、この決闘への理不尽な怒りと悲しみだけだということの、なんという皮肉か。

 そんな演技で、いつまでもこの名誉ある決闘場を汚すわけにはいかない。


(こんな終わりで、本当にいいのか!?)


 言葉で問うことは、許されざることだ。だから、僕は剣でそう問いかけた。

 対して彼女は、いつか見たのと全く同じ軌道の刺突で答えた。


(エリザ……)


 過去の逆再生のように、今度は僕が、エリザの剣を弾き飛ばす。

 エリザの剣は、高く宙を舞って、最後は地面に突き刺さる。

 会場に居た全員が興奮気味に立ち上がり、審判をしていた判定員が旗を上げる。誰の目から見ても、決闘の勝利者は僕だった。


「……エリザ」


 もう、怒りすら湧かなかった。

 困惑だけが僕を支配していた。


「何故……」


 エリザは項垂れ、僕に負けたというのに弱々しい笑みさえ浮かべていた。


「おめでとう、君の、勝ちだ」


 二の句を継ぐことさえ、出来ない。

 そんな彼女から逃げ出すように、僕は来た時と同じ道を戻った。

 見ていられなかったからだ。

 いつだって、強く、鮮烈で、僕に比肩しうる唯一の存在だった彼女の、あんな顔なんて。


「どうして」


 僕は、勝ったというのに悔しさで胸がいっぱいだった。


 

 それから僕は、当然のように優勝し、主席として騎士学校を卒業する運びとなった。

 奇妙なことに、エリザは卒業式には出席しなかった。僕ら同期より一足先に任地に向かい、要人の護衛を仰せつかったから、というのが教師の説明だ。

 僕は主席として騎士学校に入り、主席として騎士学校を卒業する。

 卒業後も、僕は近衛騎士に入隊することが決まっている。

 誰の目にも、順風満帆に映ったことだろう。

 僕自身だって、胸を張ってここを通り過ぎていく。


(エリザ)


 たった一欠けらの心残りのみを残して。


 それが、僕の過去。

 彼女と在った遠い日。

 過去は、今に、繋がっている。

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