第57話 騎士の在り方 ④
「お堅いねえ」
それは神託の旅の途中、他の仲間が全て寝静まった後に彼と交わした会話だった。
「だからお前はお坊ちゃんなんだよ」
「なに!」
見張りの交代の時だった。僕はアルフレッドに、姫様への口調について少しばかり厳しめに注意をしたのだ。
その返答が、これだった。
「考えてもみろよ」
焚火を挟んではす向かいに、僕はアルフレッドを軽く睨み、アルフレッドは僕の視線などどこ吹く風とばかりに涼しい顔を浮かべていた。そんな態度に、僕は内心穏やかではいられなかったものだ。
「俺は所詮異世界からの来訪者だ。この世界の人間じゃあない。つまり、姫さんがこの国の王族だとしても、俺が無条件に敬う必要はないのさ」
「そんなはずがあるか!」
「そう大声を出すなって。他の連中が起きるぞ」
アルフレッドは脇に置いてあった薪を適当に焚火の中に入れていく。
そういう態度がまた腹立たしい。
「下らないって言ってる訳じゃねえよ。地位も、身分も当然権威も重要なモンだ。それはいい。けどな、その外側から来た俺が、形だけなぞったって意味なんてないだろ」
「意味ならあるだろう」
「お前が不快にならないって意味か?なら、俺は姫さんが喜ぶ方を選ぶね」
ぐぅ、と、僕は呻き声を上げざるおえなかった。確かに、姫様はそういう一面を持っておられる。なんというか、気安く呼ばれたりすることや、気安い関係性に憧れのようなものがあるらしいのだ。
あの無礼な魔術師、ロッテなどがそのいい例である。
そういう、無意味に偉ぶったりするのを好まない所も姫様の魅力の一つだとは思うのだが。
「ま、本当にその必要がある場じゃあそういう態度をするさ。だけど、この旅の間くらいはこのままでいるつもりだよ」
軽く言うが、僕にとっては頭が痛くなるような話だった。だが、姫様が本気で嫌がったりしない限り、この男は自分の態度を改めたりしないだろう。
全く、何故姫様はこのような男のことを気に入っているのか。
僕の内心など知らずに、アルフレッドはさらに言葉を進める。
「……お前は、視野が狭すぎるな」
「なに!?」
「あらゆることには理由がある。お前は、形式ばっかり見てその本質を見てないってことさ」
話は終わりだとばかりにアルフレッドはさっさと立ち上がって、背中越しにひらひらと手を振りながら、自分の寝床に向かって歩いていく。
「途中で居眠りなんかするなよ?」
「するか!」
僕はいらいらとしたものを抱えながら、その場ではアルフレッドの言うことを深くは考えることはしなかった。悪いのはあくまであの男で、僕の言っていることこそ正しいのだ。
あの時は、そう信じて疑わなかった。
作りの悪い、粗末なベッドに寝転がって見慣れない天井を眺めながら思う。
「騎士が必要、か」
これまで考えたことも無かったことだ。
僕は、生まれた時から騎士になることを運命づけられていたし、そのために努力もしてきた。
騎士学校を首席で卒業して、近衛の騎士団に迎えられ、エレオノーラ様の護衛として着任することになった。
だが、どうだろう。僕と彼の立場が逆だったら?
僕が辺境に飛ばされて、騎士になった意義も見いだせずに朽ちていく生涯が無かったと、本当に言えるのだろうか?
『……お前は、視野が狭すぎるな』
思い出すのは神託の旅の途中でアルフレッドと交わした会話だ。
……確かに、騎士の世界のみで生きてきた僕には、視野が狭いと言う一面があるかもしれない。
だが、だとしても。
「あんな常識の無い奴に言われるとは」
そのこと自体が、中々に腹立たしい事実である。
「……もう、寝よう」
深く考えるようなことじゃない。そう自分に言い聞かせて目を瞑る。
ああ、それにしても寒い。
室内だと言うのに、まるで鋭利な刃を突き立てられているかのような冷たさを感じる。
北方の冬というのは、ここまで寒いものなのだろうか?
これでは、あまりにも。
「いや」
手探りで、騎士剣を手に取る。
「これは、あまりに寒すぎる」
瞬間、僕は咄嗟にベットの上を転がって床に飛び退く。と、同時にそれまで僕が寝ていた位置に、三本の氷柱が降り注いだ。まさに間一髪だ。気が付くのが一瞬でも遅れていたら、今頃穴だらけになっていたのはベットじゃなくて僕の方だっただろう。
だが、まだ油断はできなかった。
不意打ちで僕を殺り損ねた襲撃者は、次いで僕に対して氷の礫を放ってくる。
僕はそれを鞘のままの剣で打ち払い、濃い闇の中を見据える。
この怜悧で冷たい殺気。そして研ぎ澄まされた氷の術式。
まず、間違いない。
「エリザ、君か!」
投げかけた声は、しかし、虚しく響いて消えていくばかり。
「夜襲とは君らしくもない!姿を見せたらどうだ!」
答えは、声ではなく激しい氷撃だった。僕の頭上で三本の氷の槍が形作られ並びたち、それらが声なき襲撃者の意志によって一斉に振り下ろされる。
これは剣では受けきれないと判断して、僕は床を転がるようにして横に跳び、殺到する氷の槍から身を逃す。
「っく!」
執拗に、今度は氷の矢でもって襲撃者は僕の足を狙ってくる。後ろに跳んでなんとか躱し、僕は重厚な執務机を盾にして身を潜めた。
「エリザ!」
場が一瞬停滞したのを見計らい、僕は必死で声を上げる。
「本当に君なのか!何故こんなことをする!」
一瞬の静寂。やはり返答は無い。
代わりに空気が段々と冷たく、白く凍てついていく。
彼女が、次の術式を準備し始めたのだ。
(やるしかない!)
僕は騎士剣を抜き放ってテーブルから顔をだし、闇を見通すように目を凝らした。
この襲撃者が彼女であるなら、分かるはずだ。これまで、幾度も交わしてきた彼女の呼吸が。
感覚を研ぎ澄ませ、その一瞬を待つ。直感的な空白を挟み、空気の歪みを感知する。それは、術式によってもたらされたささやかな、けれども確かな世界の変化だ。
僕は狙い済まされたその氷撃の軌道を先読みし、あえて前に出る。
床を蹴り、爆発的に生まれたエネルギーを利用して跳躍する。その際、僕の顔の横を氷の矢がかすめたが、致命傷には至らない。
「はぁ!」
そのまま、新たに魔術を使わせる猶予を与えずに襲撃者へと肉薄する。
僕は勢いのまま剣を振るい、横払いに一閃するが。
一つ当然の帰結として、僕が彼女の術を知っているように彼女もまた僕の剣をよく知っているのだ。
そして、僕の振るった一刀は。
「!!」
まるでそれがいつかの再演のように弾き飛ばされる。
「終わりだな」
強引に剣を振るった代償に、僕は無様にも片膝をついて襲撃者を見上げた。
「やはり、君なのか」
見上げた視線の先、そこに居たのはやはりというべきなのか、それとも間違っていて欲しかったのか、騎士学校で幾度も剣を交えた、エリザだった。
だが、不思議な違和感がある。
僕の知っている彼女とは、なにかが違うのだ。
(……右眼?)
刺突剣を突きつけ、僕を見下ろす彼女の目は憎悪に染まっている。その右の眼の色が、見知った氷蒼ではなく炎で彩ったような紅色をしていたのだ。
「カーク・グライス」
いつだって冷静で、理知的に言葉を紡いでいた彼女の声が、今はただ氷のように冷たい。
「貴様さえ、居なければ!」
その言葉の意味を、僕は知らない。
何故彼女がここまで僕に憎悪を向けるのか。
「…………」
床に片手をついて自身に問いかける。
どうすべきかと。
(決まっている)
勘違いしてはいけない。僕は、あの未来を拒絶するために神託を授かったわけでは無い。
変えるために、今ここにいるのだ。
「聞かせてくれ、エリザ」
巫女様は言った。許さなければならないと。
僕が、どうしても許せなかったこと。僕達の間に残ったままのわだかまり、それは。
「何故あの日、君はわざと僕に負けたんだ」
僕には、ずっと疑問だった。
僕達が別れてしまった日。
卒業式を控えた最後の決闘。
僕は、きっと彼女と、もっと話をするべきだった。
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