第56話 騎士の在り方 ③

「知らねえ」

「見たことねえ」

「ていうかお前誰だ」


「…………はぁ」


 あまり褒められたことではないが、それでも僕はため息を漏らさずにはいられなかった。

 予想の通り、村人の反応は著しく悪い。誰も彼もが協力的とは言いづらかったし、そんな状況では有力な手がかりなど見つかるはずもなく、途方に暮れる以外に無かったからだ。

 そもそも。


「なんでここの住民はこんなに警戒心が強いんだ」


「閉鎖的な環境ですからね、余所者には少々厳しいんですよ。私も、最初の頃は苦労しました」


 同行してもらった老騎士も苦々しげな顔を覗かせている。どうやら、似たような経験をしているらしい。


「ここの出身ではないのか」


「ええ、私はここには赴任してきただけですよ。もうかれこれ四十年前のことです」


 遠くの方を見つめる老騎士。なるほど、確かに第二の故郷なんて言っていた覚えがある。

 なら、その視線の先には本当の故郷でもあるのだろうか。


「色々と苦労したのですね」


「ええ。まあ」


 部外者の僕なんかに事情は話してくれなかったが、それでもその表情だけで苦労の程は伺えた。

 こんな村で、四十年か。


「なるほど敬服する。余程の忍耐が無ければ、まともではいられない」


「それは違いますよ」


 僕の方に視線を戻して、老騎士ははっきりと言った。


「ここで生きなければ私のような者はスラムで生きるか、野盗に身を落とすしかなかった。だから、耐えるしかなかったのです」


 そこまで言ってから、はっとしたように顔を背けてぽつりと言った。


「このようなこと、王都の近衛騎士様に言うべきではありませんでしたね」


「いや」


 僕もまた、村の何もない景色を眺めながら答える。


「同じ騎士だ。それも、不遇を囲っているのならばそれくらいの不平不満はあって当然です」


「お恥ずかしい」


 ぽりぽりと髭を掻きながら、老騎士はそれだけ言う。

 僕は何ともいたたまれなくなり、捜索を再開しようと辺りを見回して。


「ん?」


「あ」


 なんとも、小さなお客人に気が付いた。

、僕は遠くの方に視線を感じて顔をそちらに向けると、一人の子供が物陰に隠れながらこちらの方をちらちらと覗き見ていたのである。


「あの」


「なんだ君は」


 おどおどとした様子で子供がこちらに近づいて来る。年は、まだ十にも満たないだろう。


「あなたも騎士様なの?」


 小さな子供の小さな問いに、僕は胸を張ることもせずに答えた。


「無論だとも。この外套を羽織ることが許されているのは、王都の近衛騎士に限られている」


 そしてちらりと見せる程度に王家の家紋が入った外套を翻した。この一枚は王都でも指折りの職人と魔術師が手塩にかけて編み、それを王家の人間がその手で直接騎士に下賜される大変名誉なものだ。

 ありとあらゆる騎士の憧れそのものであると言っていい。

 殊更見せびらかすのは趣味ではないが、それでも少年の夢を壊すことも無い。なんなら、普段なら絶対にしないが、今日だけは少しくらい触れることを許可するのも、やぶさかでは……。


「それって偉いの?」


「……まぁ、少しばかりね」


 流石は田舎の子供。この外套の価値を知らないとは。


「おじさんよりも?」


 おじさん?

 誰のことだろうと思い子供の視線の先を追ってみると、その先には老騎士がいる。

 ああ、彼のことか。


「そうだな。階級で言えば、高いと言えるだろう」


 辺境の駐在騎士と王都の近衛騎士では天と地程の差があるが、それを説いても仕方ないと思い言葉をぼかした。

 それでも、その言葉を素直に受け取ったのか子供は目を輝かせて僕のことを見つめる。


「すごーい!」


「ああ、まあ」


 これで感心されるのも複雑だが、悪い気はしない。


「それじゃあさ」


 子供というのは素直なもので、最初のおどおどとした態度はどこへやら、その目を輝かせながら言葉を重ねた。


「おじさんとお兄さん、どっちの方が強いの?」


「こらリット、失礼なことを聞くものじゃない」


 傍で聞き役に徹していた老騎士が、慌てて制止に入る。

 リット、それがこの子の名前か。


「けど、僕……」


「構いません」


 僕は膝を曲げてその子に視線を合わせる。


「いいかい、強さというものには色々な意味があるものなんだ」


 ゆっくりと、諭すように僕は言う。


「一概に、どちらが強いだとかどちらが優れているかなんて言うのは簡単じゃない。例え、直接剣を交えていてもね」


 僕の方がこの老騎士より強い。そう言うのは簡単だし、恐らくは事実だろう。だが、それを言う気にはなれなかった。自分の自尊心のためにこの少年の瞳に宿る憧れを、消していいとは思えなかったからだ。


「だが、少なくともこの人は尊敬に値する人物だと、僕はそう思っている」


 僕の答えを聞いて、リット少年は満面の笑みを浮かべて、少し早口になった。


「僕、騎士に憧れているんです!」


 老騎士の方を振り返り、興奮気味にまくしたてる。


「前に、おじさんはこの村に来た魔物をその剣でやっつけて、それで、それが凄くかっこよくて!」


 僕も老騎士の方に顔を向ける。


「そうなのですか?」


「え、ええ、まあ」


「それは凄い」


 魔物の討伐は簡単なことではない。訓練を受けた騎士が、四人一組になってようやく安全に狩れるというくらいの強靭さを持っている。一人で、それも村を守るために戦うなど、そうそう出来ることではない。


「この辺境の村は魔物の領域に程近いですからね。私が赴任してから二度ほど、迷い込んで作物を荒らしに来た魔物が居ったのですよ」


 照れくさそうに、あるいはバツが悪そうに老騎士が答え、それを聞いたリット少年はさらに目を輝かせた。


「僕、将来騎士になりたいんです」


「ほう、そうなのか」


「はい!騎士になるために強くなって、勉強をして、騎士学校に入って、それから……!」


 それまで上り調子で続いていた口調が、急にしぼむように熱を失い始める。


「強くなって、お兄さんみたいに王都で騎士になれるほど強くなって、村を出るんです」


「……そうか」


 察するに、それがこの少年の本当の願いなのだろう。


「リット。君は、この村を出たことは?」


「……ありません」


 リット少年は顔を赤くして俯いてしまう。それを恥ずべきことだと感じているのが理解できた。


「けど、僕は」


 彼はきっと、村の外への憧れと騎士への憧れを混同して考えているのだ。

 その気持ちを、不純なものとして片づけていいものなのだろうか。昔の僕ならば、不純だと断言していたことだろう。

 今は……。


「いいじゃないか」


 僕はじっとしているリット少年の頭に手を伸ばす。


「立派な騎士になればいい。僕は王都で、君のことを待っている」


 僕はそう言ってその子の頭を二、三度撫でた。

 リット少年は、実に嬉しそうな顔をしていた。



「随分と好かれていたじゃないか」


 空が赤く染まること、僕は遠ざかっていく小さな背中を見送った。

 途中で何度も振り返って手を振ってくるものだから、なんとも微笑ましい。


「あの子は、私がこの村に赴任してきた後に生まれた子ですからね。私のことを余所者だと思っていないのですよ。それに」


 同じようにリット少年に向かって手を振っていた老騎士が手を下ろした。


「あの子は、私から聞くこの村の外の話が楽しくてしょうがないようですしね」


 その背中が完全に見えなくなってから、老騎士がポツリと漏らすように言った。


「あまり、無責任なことを言わないほうがいいのではありませんか?」


「そうかも知れない」


 老騎士の言う通りではあるのだ。村を出て、騎士になる。言うだけなら簡単だが、騎士の家に生まれなかったものが騎士になるには並大抵の努力や才能では足りない。

 優れた才能を、鋼の心で鍛え続ける必要があるのだ。


「だが、子供の夢を壊すのもどうかと思ってな」


「……あの子が将来、村を出れるとは限りません。ましてや、騎士になんて」


 老騎士の口調がどこか悲しそうなのはきっと気のせいではないだろう。


「あなたは、どうして騎士に?」


 僕の質問は一瞬の空白を生んだが、老騎士はその言葉が中空に消え去る前に答えてくれた。


「私の生まれた村は貧乏でしてな。食い扶持を求めて辺境の騎士学校に入ったのです。こう見えて、当時は腕っぷし一つで村を出たんですよ」


 昔を懐かしむような声はどこか空虚に聞こえて、僕はなんとも言えない気持ちになった。


「ただ、どんなに腕が立っても所詮は田舎者。卒業後はこの土地の衛兵を命じられ、そのまま四十年です。私は、一生この村で暮らすことになるでしょう。騎士らしいことなど、ほとんどしないまま」


「だが、魔物の退治をしたと」


「それも、あの子の勘違いのようなものです。私はあくまで罠や道具を駆使して追い払っただけで、剣なんてほとんど振っちゃあいません」


 リット少年が知っているのは、あくまで伝え聞いただけの話というわけか。

 それも、多少なりとも真実の置き換わった。


「私はね、思うんです。騎士として人に必要とされる者がどれだけいるのかと。少なくとも、この村に騎士など必要ないでしょう。……この村に必要なのは、畑仕事の働き手なんですから」


「だからと言って」


 老騎士の言ってることは最もだ。それにその境遇に同情もしよう。

 だが。


「あの子の未来を邪魔していい権利は誰にもない。ましてや、僕やあなたのような人の規範となるべく騎士が」


「まだ、私のことを騎士と呼んでくれるのですね。庶子の出で、こんな村で不平を漏らすだけの私を」


「無論です」


 僕はきっぱりと言った。

 そうだ。


「僕の最も尊敬した騎士も……」


 名家の出自ではなかった。そう言いかけて、口をつぐんだ。彼女は今や、追われる身なのだ。


「騎士様?」


「……今日はもうすっかり暗くなってしまった。捜索の続きは、また明日としよう」


「え、ええ。そうですね」


 見れば日も沈みかけ、辺りには夜の帳が降りつつあった。

 今日も、収穫は無し。


(もし明日にもなんの情報も集まらなければ)


 この村は外れだと思っていいだろう。別の村に向かったか、もしくはもうこの村を通り過ぎて氷で閉ざされた世界へと向かった後なのか。


「今日も騎士の詰め所を借りても?」


「ええ、勿論です」


 良ければ、夕食でもご一緒にどうかという老騎士の提案を丁寧に断って、仮宿にしている詰め所への道を歩いていく。


(エリザ)


 途中僕の心を支配したのは純粋な疑問だ。


(あの影は、本当に君なのか?)


 どれだけ自問自答したところで答えは出ない。

 出るはずがない。


(アルフレッド)


 もう一人、姿を消した、僕の仲間は。


(今何をしている?何を思っている?)


 思考は纏まりを見せないまま、結局色んな事が中途半端なまま。

 神託の夜は訪れる。

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