第55話 騎士の在り方 ②
「っは!」
剣閃が走る。芸術的なまでに洗礼されたその一突きを、僕は刹那の間に見切って剣戟を合わせ、その切っ先を後背へと逸らす。
「っぐ!」
見切った、つもりだった。だが、速度によって武装されたその刺突は、剣同士が交錯した一瞬で僕の長剣を弾き飛ばし、その手から武装を奪いとったのだ
威力を、殺しきれなかった。
「それまで!」
返す刃を喉元にぴたりと突きつけられ、それで勝負は完全に決した。
僕の、完膚なきまでの敗北だった。
「おい!お前!」
「ふ、不正だ!今の勝負は、完全に!」
「上級錬武官殿!私は今の勝負に異議を!」
僕らの教練を見ていた他の騎士候補生たちが口々に騒ぎ出す。普段僕に付き従い、恭しく頭を垂れるばかりの連中だ。僕は一瞬呆けた後に、カアっとなって叫んだ。
「やめないか!」
それで周りはしん、と静まる。
「今のは、僕の完全なる敗北だ。そこに異論をはさむ余地など一切ない。僕に、これ以上恥をかかせないでくれ」
「ふん」
その言葉を聞いて、つまらなそうに彼女が鼻を鳴らした。可愛げのない態度に腹は立つが、それ以上に言うべきことが僕にはあった。
「エリザ。エリザ・クラリア」
名ばかりの騎士家出身である彼女。だが、その姿は、その存在は、僕の中に強く刻まれることになる。
「その名、決して忘れない」
鮮烈な輝きを放つ、澄み切った氷蒼の瞳。
僕が彼女を好敵手として認識したのはその時が初めてだった。
それから騎士学校を卒業するまで、僕らは幾度となく剣を交えることになる。
「うぅぅぅ」
騎士の詰め所は、お世辞にも快適とは言いづらかった。
この寒いのに隙間風が入ってくるし、ベットは軋んで寝心地は悪い。そもそも、建物全体が古くて心もとない。
「顔を洗って来よう」
そう思って水を入れておく瓶を覗けば中身は空っぽ。
井戸まで水を汲みに行かねば顔一つ洗うことすら叶わない。
「マジか」
思わず、騎士学校時代を同部屋で過ごした庶子のような言葉遣いになる。
早く王都に戻りたい。暖かいベットと朝の調練前に用意されるお湯が恋しかった。
「……ボヤいていても仕方がないか」
どれだけ騒ごうと水が勝手に湧いて出たりはしない。僕は水汲み用の桶を持って外に出る。
水汲みなんて騎士学校の当番以来のことだった。
「おはようございます」
「…………」
共同の井戸に向かう途中、幾人かの村の住人とすれ違うが、誰も彼もが僕を訝しげな瞳で見るばかりで気持ちのいい挨拶が帰ってくることは無かった。
(なるほど)
その様子を見て、よそ者が来れば噂はすぐに広まるというのはどうやら本当のようだと当たりをつける。彼らが、僕のことを隣人に話すであろうことは想像に難くないからだ。
それにしたって、王都の騎士用の外套を羽織っているのだからそれだけで信用の一つもしてくれてよさそうなものだが。
(それだけこの村は排他的な風潮という訳か)
あの老騎士は最近村に来た余所者などいないと言っていた。では、この村に向かったという情報は間違っていたのだろうか。
(引き返したか、途中で進路を変えたか)
もしくは、より上手く潜伏しているかだ。
どちらにせよ、今日は聞き込み調査をする必要がある。住民が協力的であってくれればいいのだが……。
そうこう考えているうちに、井戸にたどり着く。
(まずは、水とお湯だ)
少なくとも、人の営みに溶け込むのは容易ではない。ここにいるのなら、何らかの痕跡を残しているはずだ。
村の状況を考えれば、あの老騎士に協力を仰ぐのが一番適切だろう。
(よし、方針は決まった)
気合を入れ直し、まずは水を汲もうとして、はたと気が付く。
ポンプが付いてない。
「マジか」
騎士学校で使っていたものとは種類が違う。手押しの井戸ではなく、竿と重りを組み合わせた天秤のような構造の井戸だった。当然使い方などまるで分からない。
僕は途方に暮れて、親切な村人が通りかかるまで井戸の前で寒さに震えるしかなかった。
その親切な村人に井戸も使えねえのかと馬鹿にされて、僕は礼を言いつつ顔をひきつらせて、やっぱり王都が恋しくなったのだった。
……あの男が、この村に来ているという。
「お前は」
黒い影が私の表面をなぞって、最後に右目に至る。
その氷蒼の瞳の、より深くまで。
私は、片方の手を胸に当て、もう片方の手で剣の柄を握った。
それは、私にとっての祈りの所作。
「許せるのか?」
問われて、滲みだす。
あの場所で、二線級と蔑まれ、踏みにじられ続けた日々を。
ただ、抗うばかりだった日々を。
「そうだ、リズ」
生まれから特別な、光をその身に受けて真っ直ぐ進んでいくあの男が。
「憎かったんだろ?」
……そうだ。
私は、あの男が。
憎かった。
「思い出せ」
どれだけ苦しかったか。
どれだけ惨めだったか。
私に無いモノばかりを持つ、あの男が。
「奪え」
囁きは毒を含み、その毒が致死量になって世界を黒く染め上げる。
「今度はお前が、あの男から奪うんだ」
全てを。
頭痛を伴って流れ込んでくるそれは、酷く甘美なように思えて。
私は、それを衝動に身を任せて手に取った。
「あの男はお前に任せる」
復讐という、騎士にあるまじき果実を。
「望み通りだろう?存分に殺しあえばいい」
誰もが、私を指差して言ったものだ。お前に、騎士という名誉は相応しくないと。
その言葉に抗い続けた私だが、皮肉なことにそれは全て事実だった。
私には、影の濃い暗い世界の方が合っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます