第54話 騎士の在り方 ①
「ぶえっくしょい!」
「ほっほっほ、騎士様は寒いのが苦手ですかな?」
「そういう訳じゃないが」
白んだ鼻を押さえながら、視界いっぱいに広がる枯れた大地を辟易した目で見渡す。
「これは度が過ぎているだろう」
「この辺りではこれが普通ですよ」
そう言って、御者と案内を頼んだ辺境の老騎士は笑った。
「ここからさらに北に向かえばそれこそ雪と氷の支配する世界ですよ」
「それは考えるだけで気が滅入るな」
がたがたと震える本物の馬が引く馬車はマントを着ていても寒いし、なんとも乗り心地も悪い。あの旅で操っていた魔道具の馬車がどれだけ優秀だったか思い知らされる。
「それで、王城の近衛騎士様がこんな辺境になんの御用で」
「ああ」
僕は懐から二枚の質の悪い紙を取り出す。一枚はこれから向かう目的地の地図。もう一枚は、人相書きの入った手配書だった。
「人を探しに」
思い出すのは、この紙と共にいくつかの想いを託された日のことだった。
「カーク、久しぶりですね。よく、来てくれました」
「そんな、僕のような者には勿体ないお言葉です」
拝謁したエレオノーラ様は、どこか憔悴したような顔をしていた。無理もないことだ。
数日前、一人の男がもたらした衝撃は、国中を混乱の渦中へと放り投げることになった。
男の名前はカーディーン。王家に連なる名家『ノースフェルト』の元執事であった彼は、その当主であった『カレン・ノースフェルト』の非道なる行いに良心が耐えかね、彼女の悪事の証拠を手に王城へと参じたのである。
所詮は一騎士である僕では全てを知ることはできないが、それでも明るみに出たこと、出なかったこと、大小合わせて様々な波紋を呼び寄せたことだけは理解できる。
不正や賄賂による黒い繋がりに、自身を有利に置くために手に入れた有力者たちの弱み。果ては、亜人種たちとの同盟。
そのどれもが、彼女が王位を簒奪するために用意したものだった。
あの旅の襲撃も、当の『カレン・ノースフェルト』の手引きであったことがすでに判明している。
エレオノーラ様も、事件に巻き込まれ危うい立場にあったが、それもすべてカレンの陰謀であったことが判明し、今はこうして元の地位を取り戻しつつあった。
だが、それでも失った物も大きい。王都の情勢は混乱の極みに在り、誰もが疑心暗鬼になって宮廷政治に躍起になっているのだ。
だが何よりもエレオノーラ様を苦しめたのは、きっと妹のように思われていた者からの裏切りだろう。
「あなたを呼んだのは他でもありません」
それでも、エレオノーラ様は御自分の不調のことなど構わずに、気丈な振る舞いを見せていた。
僕は、本気で思う。この方の力になりたいと。
「なんなりとお申し付けください」
「ありがとうカーク。これは、あの旅を共に過ごしたあなたにしか頼めないことなのです」
今、エレオノーラ様は僕を見ている。だけど、正確には違うのだろう。本当の意味で見ているのは、きっと僕などではなく。
「アルフレッドさんを……、行方不明になっているあの方を、どうか探し出して欲しいのです」
だが僕は、この御方の騎士だ。決して間違えることはない。
あらゆる困難を打ち払い、その願いを聞き届けることこそが、僕に与えられた使命であると。
それを、この身が知っている。
(全くあのバカは、エレオノーラ様にこんなに心配をかけるなんて)
手配書の人相書きを眺めながら思う。あの男のキザで小憎たらしい顔の特徴が、よく捉えられていた。
そして、もう一人。アルの隣にはよく見知った顔の人相書きが並んでいる。
(エリザ・クラリア)
元、騎士学校での同期で、ライバルだった。彼女は卒業と同時に近衛騎士ではなく別の道を進んだためにその後の足取りは知れなかったが。
(何故、君がこんな真似を)
僕の知るエリザは、強い意志と高潔な矜持を併せ持った、騎士として嫉妬を覚えると同時に尊敬に値する存在だった。
それが、今やエレオノーラ様を謀殺しようとした罪で追われる一級の悪党だ。
僕の脳裏によぎったのは、あの日授かった神託のことだった。
(本当に、君が)
……考えても仕方がない。
少なくとも、今はアルフレッドと行動を共にしているという情報が入ってきている。ならば、探し出した後にでも問いただせばいい。
もし、それが到底許せるはずもないような理由であれば。
(僕が、彼女に引導を渡してやるだけだ)
「それが例の探し人なんですか?」
手配書を見ながら思案にふけっていると、老騎士が興味深そうに尋ねてくる。
僕は一応の用心をしながら老騎士にそれを見せてみた。
「そうなんだが……。なにか、心当たりはないか?」
「はて、この村に見慣れないものが訪れれば噂ぐらいは流れてくるものですがね。最近よそ者が来た
なんて話は聞きませんね。と、着きましたよ」
木で出来たボロボロの門をくぐり、馬車が村の敷地を踏む。正面を見れば、そこにはガランとした風景が広がるばかりだった。
(寂れているな)
老騎士が気を悪くするかもと思い口には出さなかったが、それが最初の感想だった。
灰色を塗りたくったような閑散とした村の風景に、思わず顔をしかめそうになる。
「なにも無いでしょう」
「いえ、そんなことは」
「いいんですよ。私も、赴任して最初はそう思いましたから」
馬車を返す道すがら村の様子を軽く見て回るが、やはりどこか活気がなく寒々しい。
「こんな場所ですからね。農作物もあまり育ちませんし、家畜の数も少ない。乗合の馬車なんて通りませんので人の往来も、ほぼありません。私の仕事は、羊泥棒を捕まえるくらいのものです」
腰の剣も飾りのような物ですよ、なんて言う辺りに思うことがないではなかったが、こんな村ではそう責められるようなことでもないだろう。
「それでも、村の皆さんはよくしてくれますし」
馬を厩舎に戻してから、その頭を労うように撫でる老騎士。
「ここはもう、私にとっては第二の故郷のようなものです」
「宿、ですか」
「ああ。泊まれるところであればどこでもいい」
僕の言葉に、老騎士は言葉を濁した。
「あるにはあるのですが……」
「なにか問題が?」
「ええ、まぁ」
歯切れの悪い物言いを不思議に思いながら、僕は問い直す。
「問題って、どんな」
「何分普段から人が来るような場所ではありませんので、その」
「なるほど。普段は休業状態で準備が出来ていないと」
「そんなところです。はい」
王都に慣れている僕からすれば眩暈のするような事実だが、村の現状を思えば仕方ないのかもしれない。
「流石に、この寒さの中で野宿などは避けたいのだが……」
「それでしたら」
老騎士が一本の道を示して、僕は視線をその先に向けた。
「ここから少し歩くと騎士用の詰め所があります。そこをお使い下さい」
「願っても無い提案だが、いいのか」
老騎士は、おおらかそうな顔で頷いた。
「構いませんとも。今この村に騎士は私しかおりませんし、私には自分の家があります。どうぞお気になさらず自由にお使い下さい」
「では、そうさせて貰おう」
あまり多くもない荷物を持って、老騎士の案内に従い、騎士の詰め所へと向かっていく。
途中、誰ともすれ違うことはなかった。
「……やけに静かだな」
「そういうものですよ」
老騎士は、ただそれだけ答えた。
「ふぅ」
近衛騎士様を送り届けてから、詰め所の前で一つ息をつく。正直、慣れないことをしてくたびれた。
「よう」
「ああ、これはこれは」
偶然通りかかったのか、村の仲間が声をかけてくれる。
「なにかあったのか?ため息なんてついて」
「それがですね、今村に来た王都の騎士様のお出迎えを終えたところでして」
「そりゃ大変だったろう。ご苦労様」
「いえいえ、これも仕事ですから。……そう言えば」
その仲間の顔を見て、一つ思い出したことがあった。
「その騎士様がね、手配書を持っていたのですが」
「へぇ」
「その顔が、あなたによく似ていたような気がしたのですよ」
それを、小さな笑い話として話す。いくら似ていても、彼とは関係のない話だ。なぜなら。
「あなたには関係ないですよね?なんていったって、村の仲間なんですから」
「ああ、勿論だ」
村では珍しい、赤い瞳の若者は。
「仲間、だからな」
何故か、見慣れ無いような表情をしていた気がする。
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