第52話 消え去りし想い ④


「う、ん……」


 目が覚めた時、ボクの隣にアルはいなかった。


「アル……?」


 立ち上がろうとして、肩から落ちそうになるそれを反射的に手で押さえる。


「これ」


 血と、泥でボロボロに汚れたそれは、アルがいつも着ていた外套コートだった。


「温かい」


 ボクには大きすぎるそれを羽織ったまま、落とさないように注意して辺りを見渡す。

 窓から見える外はすでに明るく、夜が終わって朝が来たことを示していた。


「アル」


 この部屋にアルはいない。

 アルを探して、小さな家の各所を回っていく。

 いつも清潔と幸福に満ちていたキッチン。ほとんど使われているのを見たことがない静謐な寝室。この世界で培った小さな思い出と書物を押し込んだ書斎。

 どこも、静かなばかりでアルはいなかった。


「…………」


 予感はあった。

 だけど、そうじゃないって信じたかった。


「アル……」


 アルはもうどこかに行ってしまって、もう戻ってこないかも知れないって。

 玄関から外に出て、陽光に照らされながら白い息を吐き出す。

 外の空気は刺すように冷たくて、ボクは小さな体をさらに小さく縮こめながら、キュっと外套を握りしめる。

 やっぱり、アルはどこにもいなかった。


「なんで」


 嘘だ。

 本当は、分かってる。

 なんで、だけじゃなくて、どうして、とか、どこに行ったか、とか。


「アル」


 どこか無機質な匂いに身を任せて、ゆっくりと目を瞑って、開く。


「君を、必ず取り戻して見せる」


 多分それは、ボクにしかできないことだから。

 君のためにしてあげられる、唯一のことだから。


「見てろよ」


『あの未来を、本当の意味で討ち果たすことが出来るのは』


 それが、神託。


『あなた、ただ一人なのですから』


 ただ、一人のためだけの。




 夜が終わる。


「…………」


 すべきことを全て終えて、俺は概下に広がる城下の街を見下ろした。

 この後のこと、それを見られないのは非常に残念だが、なに、万事うまくいくはずだ。

 ずっと、やってきたことなのだから。


「…………」


 明日、この街を襲うであろう衝撃は計り知れない。

 裏切り、策謀、明るみに出る暗い真実達。まずは、その第一波に耐えられるかどうか、見物だ。


「ふふ……ぐ!」


 突然の脱力感に苛まれ、俺は膝を折る。

 この感覚には覚えがあった。あれは、確かこの世界でコードを使った、あの夜に。


「世界を書き換える力は……」


 その分、自分から失われていくものだ。

 例のコードは、あまり多用できるものでもないらしい。


(ロッテ)


 無意識に、震える手が何かを求めるように宙を泳いだ。

 だが、当然あの夜の温もりは、重なった手は、ただ遠くにあって。


「……寒い」


 それも当然のこと。

 全てを裏切ったのは、俺なのだから。


「アルフレッド様?」


「なんでもない」


 一つを選べば、もう戻らないものなんていくらでもある。それは、どんな世界でも同じことだ。


「次だ」


 カレンの言っていた、神託を持つものの排除。

 彼女の手からそれは零れ落ち、代わりに、俺の為すべきことに変わった。


「行くぞ」


「は」


 リズを伴って街に背を向ける。

 もう戻れない道を進むように。


(済まない、ノエル)


 誓いは、脆くも崩れ去った。


(お前の願い、叶えられそうにない)


 魔王となって世界を壊すために。

 俺は、再び歩み出す。


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