第50話 消え去りし想い ③
俺たちには、基本的には人間みたいな名前は無い。
『そうか、だがそれでは私が不便だ』
あるのは、群を維持するためのつまらねえ役目と、あるかも分からねえロクでもない明日ぐらいのもの。
『では、今日からお前はレインと名乗れ。私はそう呼ぶ』
だからなんだって話ではある。
『良かったな。それは世界で語られる英雄の名だぞ。いささか皮肉、というより冒涜的でさえあるが……。なに、お前と私には相応しいだろう』
だが、恐怖を押し殺してあの男の後を追って来たのは、案外、そんなことが理由だったかもしれない。
慎重に慎重に、地下通路を進んで行く。
(ちくしょう)
俺は恐ろしかった。あの光景が、未だに目に焼き付いて離れない。
(オーガが、あんなあっさり)
首を飛ばされ、体は影に喰われ、残ったのは無残にも生首ひとつ。
次は俺がああならないとは限らないのだ。
(俺も、あいつらと一緒に逃げちまえば……)
思う、が、すぐにその安易な考えを消し去る。
それが出来れば一番よかった。だが、仮にも同盟相手なのだ。せめて一番関わりのあった自分くらい、助けに行ってやらないと。
それが例え、死体の確認作業になったとしてもだ。
(ん?)
暗闇を見通す目が、ふと遠くの方に灯りと、人影を見つける。
(こりゃ、やべえ)
咄嗟に身を伏せて、音をたてないように辺りを伺う。
見えるのは、倒れ伏している、恐らくはカレンと、その横に佇むあの男。
(どうする?)
このまま反転して逃げ出すか?
だが、それじゃあここまで来た意味が無い。
なら、あいつの背中を不意打ちで襲うか?
無理だ。俺も殺されて終わる。そんなのはまっぴらごめんだ。
なら、あいつの横からカレンをかっさらって逃げるか?
これも却下。そもそも、俺は逃げ足は速くても力はそんなに無い。カレンを担ぐ、なんてのが土台無理だ。
ああでもない、こうでもないと葛藤を続けているうちに、その男がゆっくりと振り返ってこちらを見る。
(そんな、嘘だろ)
目があった。
自ら発光する赤い瞳が俺を捉え、何故か懐かしげに細められる。
「そうか、お前か」
俺はもうこれ以上隠れても無駄だと悟り、立ち上がる。自分の、これから迎えるであろう運命を呪いながら。
「俺が、どうしたって」
「気にするな、ちょっとした未来の話さ」
そいつの顔をきちんと見るのは、これで三度目だった。
一度目は、あの旅の途中で。
二度目は、この上の屋敷で。
確か、名前はアルフレッド。
「最初にここに来るのがお前とはね。運命ってのは残酷だ」
残酷で、面白い。
そう言って、低い声で笑うアルフレッド。
何を言ってるんだ、こいつは。
「そう警戒するなよ。この女を助けに来たんだろ?」
アルフレッドが倒れているカレンに視線を向ける。
「う」
俺は警戒して身構える。
何を言われるか、どんな凄惨な未来が待っているのか。少なくとも、一矢報いるくらいの覚悟でいたのだが。
「いいぜ。行きな」
アルフレッドは、意外にもそう言った。
「俺はもう、こいつに興味はない」
「な」
たじろぎ、懐疑的な目をアルフレッドに向ける。
この男が何を考えているのか、俺には全く分からない。分からないが。
(見逃してくれるっていうなら、それでいいじゃねえか)
俺はじりじりと、それでも少しずつ前へと進んで行く。
その様子に満足したのか、アルフレッドの方も、カレンを置き去りにしたまま、俺とすれ違うように歩を進めた。
「その女は」
すれ違う時、アルフレッドが俺に囁く。
「お前にやるよ。精々、大切にするんだな」
その意味を計りかねて振り返るが、そいつはもう俺からも興味を失ったようで、背を向けて暗闇の中を去って行った。
その背中を見送りながら、思う。
結局、あいつの言ってることなんてほとんど分からなかった。
だが、大切なのは生き残ったことであって、その意味なんて知る必要なんて今はない。
「おい」
俺はカレンに駆け寄って、声をかけながらその体を軽く揺する。
「う、うん」
反応、有り。どうやら死んではいないらしい。少し、ほっとした。
「おい、大丈夫か」
もう一度、今度は大きく揺すりながら声をかける。
カレンは、弱々しくもいつもよりも幾分薄く目を開けた。
「ここは、私はどうなった?」
「生きてるよ。死んじゃいねえ」
頭を押さえながら起き上がろうとするカレン。
俺は咄嗟に助け起こそうと手を差し出す。
カレンは躊躇なくその手を取った。
(ん?)
この時点で、違和感はあった。
「ありがとう」
「お、おう」
カレンが、俺に礼を言った?
いや、そもそも、いつもなら一人で立てる、なんて言いながら俺の手を無視しそうなもんだが。
「私は、そうか、あの男に……。なんてことを」
俺の疑問をよそに、カレンが一人呟き、その顔を絶望の色に染める。
「おい、なんだ、どうしたんだよ」
俺の言葉なんて聞こえていないように、カレンは呟きを漏らす。
「全てを、失ってしまった」
「……そう言うなって、あいつに何をされたかは知らないが、生きてるだけ儲けもんだろ」
俺の無責任な慰めは、けれど無意味だったのだろう。カレンはかぶりを振って、俺の言葉を否定する。
「私は自分の不正の証拠を全てあの男に渡してしまった。明日には、私は国中のお尋ね者だろう。もう地位はおろか、帰る場所さえ、私は失ってしまったんだ」
放心状態で、顔を伏せるカレン。このままほっといたら、本当にそのまま死んじまいそうだった。
「おいおい、せっかく拾った命だぞ。それに、生き方なんていくらでもあるだろうよ」
「……亜人に、私の気持ちなんて分かるものか」
ひどく棘のある言い方だったが、不思議と腹は立たなかった。その敗北に打ちひしがれた表情が、あまりに惨めだったからか。
「このまま国に反逆者として処刑されるか、何処かの国に逃げていずれ野垂れ死にするか、私の未来は二つに一つだ」
「なぁ、だったら」
その言葉を口にしようとしたとき、一瞬、あの男の最後の言葉が脳裏によぎる。
「……俺と一緒に来るか?」
「お前と?」
「ああ」
構うもんか。
こんな奴でも、見殺しは寝覚めが悪い。
「俺と一緒に、亜人の集落にさ。少なくとも、この国の手配書が回ってくることは無いぜ」
「そうか」
拒否されるだろうと、俺は思っていた。こいつのこの国に対する執着は知っていたし、亜人の国なんかで生き恥を晒すくらいなら、死んだ方がましだと、そう考えるだろうとも思っていた。
だが、カレンの答えは俺の予想とは違うものだった。
「そうだな。それもいいかも知れない」
俺は驚いて、思わず聞き返してしまう。
「本気か?」
「……提案したのはそっちだろう。実際、私には選択肢などないし、それに」
自分でも何を言ってるのか分からないという表情で、カレンは言った。
「何故だか理由は不明だが、お前に……。いや、レインについていくのが一番いいと、そんな気がしたんだ」
カレンが、幾分か困惑した表情で俺を見る。
「駄目、か?」
「いや、構わねえよ」
乗りかかった船だ。最後まで面倒見てやるさ。
「その代わり、お前の知恵、知識を俺たちの国のために使ってくれ。お前は頭がいいからな」
「ああ、勿論だ」
カレンが、俺に見せたことのない、普通の少女みたいな笑顔を向ける。
「ありがとう、レイン。本当に助かるよ」
そのおかしさにも、その時俺は気が付いていた。
カレンが、亜人にあんな表情をして、礼を言うなんて。
だがまあ、あれだけ酷い目に遭ったのだ。心が弱ってるってこともあるだろう。
ただそれだけのことだと、俺は自分に言い聞かせる。
『その女は』
暗い虚から響いたような、その冷たい声を。
『お前にやるよ。精々、大切にするんだな』
俺は意識的に心の奥底へと閉じ込めた。
だってそうだろ?
それ以外にその不安から逃れる術を、俺は知らなかったんだから。
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