第47話 魔術師の凱旋
話し疲れてしまったのか、ロッテは先に眠ってしまった。
月光に触れて輝きを放つ金色の髪と、年齢の割に小さすぎるその体躯とで、丸まって眠る彼女の姿は、まるで本物の妖精のように見えた。
俺は、今や役立たずとなってしまったコートをその体にかけてやり、彼女を起こさないようにひっそりと立ち上がる。
本当は、俺もその隣で眠っていたかった。
だけど、それが許されない夜もある。
芯から疲れた脳に、無理やり覚醒作用のあるパルスを流し込んで奮い立たせる。これで、酷い頭痛と多少の脳へのダメージとを引き換えに、数時間の活動が可能になる。
「ロッテ」
ここから先のことを、彼女はきっと許さないだろう。
だけど。それでも。
「……行って来るよ」
小さな寝息に耳を傾けて、ふとそれに気が付いた。
この女から『処理』したほうがいいんじゃないかって。
瞬間、脳に火花が走ったような激痛が走る。
目を見開いて蹲り、嵐が過ぎるのを待つように息を殺す。
……どうやら、脳への負担が思ったよりも深刻らしい。
俺はふらふらと立ち上がって、それでもなるべく音をたてないようにその部屋を後にする。
後には、眠ったままのロッテだけが残った。
多少強引な言い訳で王城を後にした私は、屋敷に戻ってすぐに使用人に戦利品を手渡す。
「技術屋に回しておけ。解析と、可能なら複製も視野に入れろと伝えてな」
「畏まりました、カレン様」
余計なことは一切言わない、よくできた執事だ。戦力という面ではあの女に付いた執事に劣るが、出しゃばったことをしない分、こちらの方が自分には好ましい。
「リズ」
「はい」
「分かってるな」
「勿論です」
この騎士にしてもそうだ。騎士学校では二流の偽物などと揶揄されたらしいが、ふたを開けてみれば実に有能なものだった。私なら上手く使ってやれる。
「……あの男は来るでしょうか?」
「普通なら、来ないだろう」
執務室に戻る道すがら、暇つぶしの雑談に応じるくらいの気持ちで私は答える。
「なんといっても昨日の今日だ。常人なら心が折れているだろうし、身体だって、あのカスツールが一日二日で治るような痛めつけ方をしてるとも思えん。だが」
ふっと立ち止まって手の平を見つめ、きゅっと握りこむ。
「運命は残酷だ。そういう普遍的な判断とは別に、容赦なく襲い掛かってくる。……油断した者から、喰われていく」
そういうものだ、と締めくくると、リズもまた己の胸に手を当てた。
生まれや運命に翻弄されたことのある者の仕草だった。
私は脅しが少し過ぎたなと思い直し、言葉を繋いだ。
「なに、そう畏まる必要もない。さっきも言ったが普通ならあり得ない話だ。それに、動きがあればすぐに連絡が来る手はずになっている。それまでは執務室で休息でも……」
その時だった。連絡用の護符が、反応を示したのは。
私は目を細めて取り次ぐ。
「なんだ」
「よう」
私は目を見開いて息を呑む。その声には、聞き覚えがあった。
「楽しいお遊戯の、第二幕といこう」
それだけ告げて、護符からの反応が消える。
私は、護符を握りつぶしたくなる衝動を必死で抑えた。
私自ら技術屋どもに高い金を払って作らせた特注の品だ。壊してしまっては大きな損失になる。
「……監視役はなにをやっていたんだ」
だが、ここで文句を言っても仕方がない。未知の能力を持つ相手なのだ。それこそ、部下の怠慢だと決めつける方がどうかしている。
「カレン様、まさか」
「そのまさか、さ」
リズを促して踵を返す。執務室での休憩は無しだ。
「お客様がおいでのようだ。屋敷の主として、出迎えに行かねばならない」
用意しておいた高価なお茶とお菓子が無駄になったのは残念だが仕方がない。それより、もう一つの準備の方が功を奏したと喜ぶべきだ。
それと。
「……準備は念入りにしておくべきだな」
私は少しの寄り道をすることにした。
運命に喰われないための、ささやかな抵抗のつもりで。
取り留めのない思考が俺を支配する。
それは飛んでは散って繋がって、けれど結局形にはならない。懐かしの雑多な街並みのこと、書きかけの楽譜のこと、死んじまった友人のこと、果ては子供の頃好きだった映画のことまで、まさに様々だ。
それはモザイクで彩られた絵画のように、バラバラで美しく、混沌としている。
実に楽しいひと時だった。
「Tu crois, o beau soleil,」
唇からはメロディーが勝手に漏れて、気に入りの歌を口ずさってしまう。
「Qu’a ton eclat rien n’est pareil」
一歩進むごとに高揚感が増していくようだった。まるで昔の自分に戻っていくようで、気分がいい。
「En cet aimable temps」
歩く。影の外套を身に纏い、悪神の靴で大地を鳴らす。
「Que tu fais le printemps.」
歩く。幾重ものカードを手で弄び、頭をフードですっぽり覆う。
「Mais quoi ! tu palis」
仮面は……、いらないだろう。顔を隠す気はないし、この身には少々窮屈だ。
「Aupres d’Amaryllis」
黄金の杯を手に入れたかのようだった。中には、たっぷりと煮詰めた悪意の泥を湛えて。
メロディを止めて、口元に笑みを作る。さあ、ここだ。
幾度となく足を運んだ屋敷。依頼のため、エレンに曲を贈りたいという彼女の願いを叶えるため。
「やあ」
呼び鈴を鳴らす前に彼女が出迎えてくれたことに、別段驚きはなかった。当然だ、わざわざこちらから挨拶してやったのだから。
「君のようなものが、わが屋敷にどのような御用かな」
「なに」
白々しい演技に付き合ってやる。そういうのがお好みだということは昨夜のことでわかっていたから。
「依頼料の取立てにね。もっとも、違約金込みで少々お高くついてるがね」
「違約金とは不本意なのだが、まあいい。それで、如何ほどになるのかな?」
「お前のすべて」
カレン、俺はお前を許さない。
「お前のすべてを奪いに来た」
「それはまた剛毅なことだ。だが」
カレンがハンドベルを鳴らすと、周囲に展開していた気配が顕在化する。
俺に狙いを定める術士に弓兵。彼らを守るように並び立つ騎士たち。そして、もう隠す気はないのか亜人の群れが俺の背後に現れ、逃げ道を塞ぐ。
カレンの隣には例の女騎士が付き従い、いつでも俺に切りかかれるように刺突剣を構えている。
「残念ながら、支払う気はない」
薄く笑みを浮かべるカレン。内心では間抜けがまたも罠にかかったと喜んでいることだろう。
「昨日のことを逆恨みした賊が屋敷に侵入。私は自衛のためにやむなく殺してしまった。完璧なシナリオだと思わないか?」
「ああ。そうだな」
なるほど、ここは俺を殺すためにあつらえられた舞台と言う訳だ。周囲を囲まれた俺は、奴らにとっては殺されるのを待つ生贄も同然と。
「それで、俺は命乞いでも?」
「一応聞く耳は持とう。結果が変わることは決してないがね」
俺は肩をすくめて、カレンを小馬鹿にするように言った。
「逆だよ。聞いてやろうかって言ってるんだ」
「……傲慢だな」
余程不快だったのか、カレンは目を細めて俺に背を向けた。
「もういい。お前の下らない話に付き合うのは飽きた。ここで死ね」
それだけ告げて、こちらを見ようとしないまま、カレンは指を鳴らして合図を出す。
その合図を受けた兵たちの動きは、実に迅速だったと言えるだろう。
弓兵による波状攻撃、術師による魔術の奔流。あわや憐れな生贄は、矢に貫かれ、炎に巻かれ、塵ひとつ残さず消え去るだろう。誰もがそう確信し、ことの推移を見守っていた。
……正直に言えば、その男に背を向けたのは、その瞬間を見たくなどなかったからだ。人がずたずたに引き裂かれ、炎に焼かれる様を見たいと思うほど悪趣味ではない。
私には確信があった。
弓兵には全て純銀を用いた破魔の矢を持たせていたから魔術による防衛は不可能だし、追撃の魔術も護符程度で防げるような下級魔術ではなく対抗魔術なくしては防げない上位魔術を準備してきた。
これで一人目の排除は成っただろう。
次は、リズとエレオノーラを餌にあの騎士でも……。
「傲慢といったな、カレン」
その有り得ない声に、思わず私は振り向く。
「それはお前だ」
幽鬼的に揺れる紅い瞳と、それを覆うような不定形のおびただしい影。
あれは、なんだ。
「お前の傲慢を、俺が正そう」
矢は一つたりともあの影に届くことなく、炎は一かけらたりともその身を焼いてはいない。
まるで、理から外れた存在のように、それは佇み、揺らめき、凱歌を上げた。
「なんだ」
「いけませんカレン様、お下がりください」
部下達の動揺も、カレンの忠言も、私の耳には入らない。
「なんなんだ!お前は!」
人間ではありえない、それは、蠢く闇そのもの。
まるで、私を地獄に引きずり落とそうとする、死神の眼。
「さあな?」
男はただ、笑みを浮かべるだけだった。
最悪の結末へと向かう私を、嘲笑うかのように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます