第43話 その日 ①


 姫さんの誕生日は、気持ちのいい風の吹く明るい月夜になった。


「よし」


 プレゼントを確認する。花束なんてガラじゃないし、持って行けるはずもないので、その場で姫さんに弾くための曲を一曲だけ用意した。

 俺にしてはなるべく明るく、なるべく綺麗なものを選んだつもりだ。花の名前が冠されたその一曲が、割と気に入りだったというのもある。

 まぁ、俺にしては浮かれ気味な選択だと思うが、構うもんか。たまにはそういうことがあってもいい。

 少しばかり念入りに身だしなみを整えて、手順の最終確認を行ってから、家を出る。時間はまだ早いが、まあいいだろう。不測の事態で遅れてもつまらない。

 今日は、俺にとっても姫さんにとってもいい日になればいいと、本気でそう思った。




「目標、……動きやした」


「そうか。引き続き監視を―――」




 王城の堅牢な壁の前に再び立つ。手順は前回と一緒だ。

 まず光学迷彩で不可視の姿をとり、コードで足場を作って一歩一歩昇っていく。そんな空中散歩をしている途中、最近の俺にしては、明るいことばかりを考えていた。姫さんはプレゼントを喜んでくれるだろうかとか、ロッテには今度改めてお礼をしなくちゃな、とか。そんな取り留めもないことだ。


 この瞬間だけは、色んなことを忘れていたように思う。未来のこと、神託のこと、俺が本来は異物だってこと、……いまだに誰にも話せていない、真実のこと。

 そんな面倒で暗いことを心の片隅に追いやって、ただ今日のこれからに思いを馳せた。

 月により近い場所、外壁の頂上までたどり着いて、低くない敷居をひょいと跨ぐ。音をたてないように気を付けて、落下の速度をコードで調整しつつ飛び降りる。

 楽勝だと、そう思いながら城の裏手に着地した瞬間――――――。

 光が、俺を照らし出した。


「!!」


「動くな」


 酷く無機質な、女の声が俺に降りかかる。


「真実を照らす聖なる光だ。いくらお前が消えるのが上手かろうと、無駄だ」


 その女の言う通り、徐々にだが俺の姿が浮き彫りになっていく。


「ぐっ」


「透明化を解除しろ。さもなくば処断する」


 向けられる強すぎる光に目が対応すると、完全に包囲されているのが理解できた。杖に光を灯した術師に、騎士剣と盾を構えた近衛騎士、それらが俺を取り囲むように隊列を組んでいる。

 その中で突出しているのが、先ほどから俺に言葉を投げかけている金色の髪をした女の騎士だった。他の騎士たちとは違い、刺突剣のみを構えて、その鋭利な氷蒼の瞳が真っ直ぐに俺を射抜いている。


(どうする)


 一瞬の逡巡。

 まだ、姿を完全に見られたわけでは無いが、それも時間の問題だ。あの光に照らされている限り、徐々に迷彩は効果を薄くしていく。なにより使用時間も、もう長くない。


(どうする!)


 今、この包囲を突破できれば、或いはまだ可能性があるかもしれない。

 だが、相手の女騎士は俺に考える時間を与えてくれる程間抜けではなかった。

 透明化の解除を躊躇した俺に、二度目の警告などなくその脚が動く。速い、まるで矢のような速度で、俺との距離を詰めに来る女騎士。

 俺は咄嗟にナイフと銃を構えそうになるが。


(―――だめだ!)


 今の俺は、王城への侵入者なのだ。武器を抜けば、最悪の事態になりかねない。なんとか武器無しでやり過ごさなければ。

 そんな俺の一瞬の反応後れを見逃すはずもなく、女騎士が刺突を繰り出す。俺はそれを、体をひねってなんとか躱す。

 サイボーグの俺でも、まさに紙一重だった。もし、俺の反応速度が人間並みなら、間違いなく心臓を抉られていただろう。

 完全に、殺す気の一撃。


(凄まじい技量だ)


 ただの人間がこの域に至るまで、どれほどの修練が必要になるか。

 無論、それで終わりではない。必殺の刺突を避けられた上で、一切のためらいなく追撃を行う女騎士。

 首を狙って横なぎに払われる一閃に、先ほどの刺突で無理な体制を強いられていた俺は反射的に腕を上げて防御に回る。

 その腕を、女騎士の刺突剣が浅く切り裂いた。


(妙だ)


 鋭いは鋭いが、それでも先ほどとは打って変わって鈍い一刀のように感じられた。

 まるで、俺の命ではなく、腕を狙ったかのような奇妙な感覚。まず迷彩を剥がすためにコートを狙ったのだろうか。少なくとも、腕にダメージほぼない。少なくとも、人工皮膚が切られた程度だ。傷というほどでもない。

 だが、そんな些細な違和感に気を取られている暇はなかった。俺は何とか女騎士と距離をとり、考えを巡らせる。


(……多少危険だが、やるしかないか)


 周囲は、完全に包囲されているが、まだ道はある。

 この城に侵入した時と同じように、この背後の壁を超えるのだ。

 全力で跳躍すれば、数回の足場で城壁を跳び越すことが出来るだろう。無論、その間は術師に狙われることになるだろうが、強行突破よりはよほどましな選択だ。

 もう、時間もない。これ以上やれば、迷彩も完全に切れるだろう。

 俺は、油断なく刺突剣を構える女騎士を凝視する。


(次だ)


 次にあいつが動きを見せた時、不意打ちで上に跳ぶ。

 きりきりと、次こそは俺に致命的な一撃を与えようと引き絞られた弓のように力を溜める女騎士。

 俺は感覚を研ぎ澄ませ、その挙動に集中する。普通の人間には見えないような微細な筋肉の動きまでを見通し、その瞬間が訪れるのを待つ。

 まだだ、まだ。焦るな。

 そう自分に言い聞かせ、永遠のような一瞬に身を浸す。

 そして、瞬きする間もない程の刹那、女騎士が力を解放するための予備動作に入るのを感知して、俺は上空に跳躍し。



 ――――――そのさらに上から、俺は頭を押さえつけられる。




「捕えたぞ、賊め」


「な、に」


 思わず、抑えていた声が漏れた。

 急に現れ、俺の頭を押さえつけたその初老の男は、そのまま俺を躊躇なく地面に叩き付ける。


「ぐ、が!」


 普通に考えれば、頭をかち割られていたであろう。気絶一つせずに済んだのは僥倖としか言いようがない。だが、少しの間意識が遠のくのは避けられず、そのまま成すがままに腕を取られ、地面に組み伏せられる。


「う、ぐ」


 俺の全力の膂力をもってしても抜け出すことのできない程、完璧に抑え込まれていた。

 身動き一つ、取れない。


(なにが、どうなって)


 まだ衝撃でぐらぐらとする脳で、無理やり現状を把握しようとする。

 今の奇襲は、間違いなく俺の行動を読んでいた、ということだ。俺が、追いつめられれば上に逃げようとするだろうと。

 いや、そもそも。

 この包囲は、一体なんだ?

 偽装を見破る術式、異常な実力の騎士、そして、通常では考えられない、中空での待ち伏せ。

 この周到さはなんだ?

 前回とは、警備の質がまるっきり違う。

 これでは、まるで。


「どうしたことだ」


 そんな中、声が響き、騎士たちが素早く臣下の礼を取り、道を開ける。


「なんの騒ぎだ、これは」


 その先に現れた人物を、俺は知っていた。


「これは、カレン様」


「カスツール、リズ、状況を」


 カレン・ノースフェルト。俺のファンだと言って、俺に姫さんに贈るための作曲を依頼してきた、赤色の髪の少女。

 だが、その表情や仕草は俺の知るものとはずいぶんと違った。依頼のために顔を合わせた時は、姫さんのような雰囲気だった。それが、今は凛として、冷たい。


「なんのことはありません」


 リズと呼ばれた、先ほど俺と相対していた女騎士が恭しく述べる。


「城に侵入した賊を、捕えた所です」


「ほう、それは恐ろしいな」


 少しも恐怖など感じていない表情で、カレンが答える。

 なんだ、これは。


「それで、その恐れ知らずの侵入者はどんな顔をしている?」


「それが、術式かなにかで顔を隠しているようでして。今、晒します。術師、光を」


 そうして、魔術に光によってか、もしくは使用時間が切れたのか、俺の迷彩は完全にその機能を失う。

 照らされた俺の顔を見て、カレンは声を上げた。


「まさか、アルフレッド・オディナ」


 その表情を見れば、理解できる。こいつは、少しも驚いてなんかいないと。


「お知り合い、ですか」


「作曲家だ。つい最近、曲の依頼をした、だが」


 その見下したような表情だけは、きっと本物だろう。


「まさか、こんな、大罪を企てていただなんてな」


 ゴミを見るような、その表情だけは。


「城に侵入して、なにをしようとしていたのやら。宝物庫に盗みか、国の重要機密を狙った他国の間者か、それとも、暗殺か」


 そうして、後ろを振り返り、その背中に隠していた人物に、告げた。



「本当に、恐ろしいと思いませんか、姉さま」



「あ、あ、あ」


 その声には、聞き覚えがあった。


「アルフレッド、さん」


 いま、聞きたくは無かった。


「これは、エレオノーラ様」


「ああ、姉さまと話をしていた時に外が騒がしくなってな。こうして様子を見に来たのだが」


 遅れながら、本当に、致命的なまでに遅れながら理解する。


「まさか、こんなことになっているなんてね」


 全ては、仕組まれていたことだったのだと。



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