第42話 彼からの手紙
この世に嵐があるとして、私はそれを渡る航海者だとします。
荒波に揉まれ、舵を握り、恐怖と戦い、そして孤独の中で灯台の灯りを探す、そんな冒険を延々と続ける、一人の航海者。
勿論、これは例え話です。ですが、日々、王族にふさわしい者となるための勉強に励み、執務をこなし、作法や言葉遣いにも厳しい目を向けられる私は、まさに、静謐ならざる海に生きるが如しです。
ですが、そんな冒険行の合間にも、雲間に日が差し込み、風は凪いで波も穏やかな顔をする、そんな日があります。私にとって、それは、今日のような日。
「エレオノーラ様」
私に長く仕えてくれている初老の執事カスツールが、控えめなノックの音と共に入室して、要件を伝えてくれます。
「ロッテ様がお見えになりました」
その顔が少しだけ不機嫌そうなのは、気のせいではないでしょう。カスツールは、高潔な意志と善良なる魂は貴族の血にのみ宿るのだと信じて疑わない人で、私とロッテの友好をあまり快くは思っていないのです。
ですが、私もそう強くは言えません。ロッテに出会わなければ、きっと私も同じような考えを持ったまま生きていたはずですから。
「お通ししてください」
けれど私は、そのことには目を瞑ったままカスツールにそう告げました。
それから程なくして、ロッテが部屋に通されてきます。
「やあ、エレン」
「ロッテ。お待ちしてました」
ロッテは、こうして私の安息日に会いに来てくれます。名目は、魔術塔の研究員として、私にその成果の報告を、ということで。
けれど、そういう建前とは関係なしに、ロッテは私に会いに来てくれているのです。こうして、私とお茶をするために。私がそれを楽しみにしていることを知っているので、御付きの侍女も、カスツールもお目こぼしをしてくれているのです。
「あの、夜会の日以来だね」
「そうですね。あの夜は、本当に素敵でした」
そうして、色々な人の協力で、私の安息日は成り立っているのです。
「けど、ロッテ、ずるいですよ。あんな風に、アルフレッドさんと共演だなんて楽しそうなこと」
「あはは、ごめんごめん。けどさ、エレンには特等席で見てて欲しかったからさ」
この日ばかりは、紅茶も私が自分の手で淹れます。最初は不慣れで失敗してばかりでしたけど、今ではすっかり慣れて。
「最近、どう?」
「目まぐるしい忙しさですよ。あの旅をした日々が、懐かしいばっかりです」
こうして、ロッテが美味しそうに私の淹れた紅茶を飲んでくれることが楽しみにさえなってきています。
「それでね、エレン」
ロッテが昔は私にだけ向けていた、最近はある別の人にも向けるようになった、悪戯好きな猫のような表情でこう言いました。
「もうすぐ、キミの誕生日だよね」
「ええ、そうですけど」
「ある人から、手紙を預かってる」
「!!」
ロッテが取り出した手紙。それは、紛れもなく。
「誰から、ですか」
「エレンの待ち人で間違い無いと思うよ」
手を伸ばしてその手紙を受け取ると、今すぐにでも封を開いてしまいそうになる衝動を抑えるのに必死でした。
「いいよ」
そんな私を見て、ロッテは見透かしたように促します。
「ボクに構わず、見てくれて」
「では、失礼します」
努めてゆっくりと私は手紙を開きますそこには、簡潔に、用件だけが書かれていました。
『誕生日の日、あの夜と同じ時間に、同じ場所で』
それは私にだけ伝わる、間違いない彼からのもので。
「ありがとう、ロッテ」
私の最愛の友人は、いつでも私に幸福を運んでくれる。
「ボクは、頼まれたから手紙を届けただけだよ」
私はその手紙を、そっと自分の胸にかき抱いて。
「本当に、ありがとう」
その日に、想いを馳せるのでした。
「これで、良かったんだよね」
お茶会の後、自分の研究室でエレンに手紙を渡した時のことを思い出す。アルからの手紙を抱きしめる様は、本当に幸せそうで。
「これで、良かったんだ」
きっとこれが、正しい勇気のはずだから。
「研究を、再開しよう」
もうすぐ、だ。
アルの力になるために。ボクは、最後の仕上げにとりかかる。
その研究が完成を見たのは、偶然にもエレンの誕生日だった。
「出来た」
ボクの目から見て、完璧な理論。後はアルに見て貰って、実践できれば、それでこの研究は終わり。アルの世界のコードは、この世界で全て使うことが出来るようになる。
「さて、と」
時間が時間なだけに、今すぐ見て貰うという訳にもいかないか。
きっとアルは今頃、エレンと会ってるはずだし。
「けど」
少し悩んで、ボクはアルの家に向かうことにした。
勝手に入って、待ってればいい。
一刻も早く成果を見て貰いたかったし、今日のことを、仲介した身としていち早く聞きたい、というのもあった。アルが帰って来たときに、驚かせてやりたいっていう悪戯心も。
「行こう」
目深に帽子を被り、箒にまたがって、月夜に足をかける。
きっといい報告が聞けると信じて。あるいは、失敗したと落ち込むアルを見れるかもと期待して、ボクは、その日を迎えた。
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