第41話 精霊祭


 ―――――燃えている。


 見慣れた城下の街並み、ボクを育ててくれた小さな世界、その全てが、燃えている。

 何の感慨も無い瞳でそれを眺めているボク、そして隣には、エレン。

 彼女の瞳には、狂気が宿っていた。

 ……エレンのその表情の意味を、ボクは知らない。知ることはできない。この凄惨な光景に復讐を誓っているのか、それとも心が壊れかけてしまっているのか。あるいは、もっと別の理由があるのか。

 少なくとも、それはボクの知るエレンとは程遠い存在だ。

 だって彼女は、あんな風には笑わない。


(これが、予言)


 エレンの隣には誰かがいる。靄のような黒い影がボクの視界を覆って、その姿を捉えることはできない。

 けど、何故だろう。それが、嗤っているのだけは理解できて。


(これが、破滅の未来)


 壊れる寸前のいつか。誰かが引き起こす悲劇。

 ボクは、膝を折ってへたり込んでしまう。


(嘘だ)


 その見せられている光景を、直視できない。

 こんな、こんなのって。


(――――エレン)


 いつしか、エレンが、皆が街に背を向け去っていく。もう、用は無いとばかりに。

 その背中に手を伸ばしかけて。

 そこで、映像は途切れた。


「……あ」


「これが」


 いつのまにか、目の前にはボク達をこの旅に導いた巫女様がいた。

 いや違う。巫女様最初からそこにいたんだ。ただ、ボクがその姿を認識出来ていなかっただけで。


「あなたへの神託です」


「嘘だ」


 信じたくない。あんな未来を見せられて、あんな世界に身を置いて、それがどれだけ精巧な未来図だったとしても。

 あれだけの悲劇を、認める訳にはいかなかった。


「……嘘だ!」


 唇を噛みしめて、立ち上がることもしないまま、もう一度叫んだ。

 だけど、そんなボクを見て、巫女様が語りかける。あくまで、淡々と。


「目を逸らさないで」


 無理だ。まだ、手が、足が、震えてるんだ。この先なんて、見たくも、知りたくもないって。


「どれだけ拒絶しても、あの光景は訪れます。いつかの、遠くない未来に。けれど」


 未来から逃げようするボクに、巫女様は告げた。


「あの未来を、本当の意味で討ち果たすことが出来るのは」


 それが、本当の神託。


「あなた、ただ一人なのですから」


「……ボク、が」


「そう」


 それは閃光のような言葉。

 今も、忘れられない一つの指針。


「あなたの正しい勇気が、鍵。その勇気が、未来を創る」



「あなたこそが、勇者」


 

それが、ボクの旅の終わりだった。

 



 俺はゆっくりと矢を弓につがえる。指の感覚から大体のあたりを付け、目測で的までの距離を正確に測り、小さく、より小さく呼吸を整えて、一射。

 矢は、的から大きく外れた位置に突き刺さった。


「ああ」


「残念」


 続けて、二本目の矢を手に取ってつがえる。再び、集中。先ほどの一射で得た情報をもとに修正。次も調整のつもりで、二射目を射る。

 また、外れる。さっきの矢とは大体正反対の位置だ。

 ほぼ、予想通り。


「全然だね」


「惜しい惜しい」


 三度、つがえる。より正確に、指まで意識を集中して、念を入れての軽い引き。これで、確認は終わり。


「…………」


「ははは、残念」


 貰った最後の一本は、的の一番端っこにかろうじて当たる。

 当たった、と言うよりは引っかかった、と言うほうが正しい軌道だったが。


「あ、当たった」


「あの端っこじゃあ得点は一番下だね。はい、これ残念賞」


 並んでる景品の中で一番小さなものを渡そうとする店主に向けて、俺は硬貨一枚を指で弾いて渡した。


「オヤジ、もうワンセットくれ」


「ほう、負けず嫌いだねえ」


 その目には若干ながらも底意地の悪い色が浮かんでいる。あれは、熱くなったカモを見る目か。


「ねえ、アル、そのいっちゃ悪いけど」


 微妙な顔をしているロッテを遮って、俺はもう一回分、三本の矢を受け取りながら答えた。


「まぁ。見てろって」


 弓と矢を一応確認する。粗悪品を渡された様子は無い。

 俺は先ほどと同じように最初の矢を弓につがえる。しかし、今度はより軽く。


「お?」


 店主の顔つきが変わった。なるほど、伊達にこんなとこで射的屋なんてやってないか。

 けど、もう遅い。


「あ!」


 俺の放った矢は、見事に的の真ん中を射抜く。これ以上ない程鮮やかな一射だ。

 続いて二射目を構える。先ほどと同じようにサイボーグの目と手を使って計測。銃よりも調整が難しいが、それでも当てられないって程じゃあない。続く二射目、三射目と中央からは少しずれたが、 きっちり的に吸い込まれる。

 ま、一射目が出来過ぎだっただけで、本来ならこんなもんか。


「やるねえ、あんちゃん。好きな景品持ってきな」


「サンキュ。弓と矢が優秀だったおかげだよ」


 店主は苦笑いを浮かべるばかりだ。俺は景品の中から果物の瓶詰を選んで包んで貰う。


「贈答用の包装にするかい?」


「いや、適当でいいよ。その辺でつまむから」


「まいったね。こりゃ完全に俺の負けだ」


 店主から紙袋を受け取り、ロッテを促して射的屋を後にする。


「なぁ、あんちゃん」


「ん?」


「弓を始めてどんくらいだい?」


 俺は背後に向かって、適当に手を振って答える。


「弓も矢も、持つのは今日が初めてさ」


「ガハハ!そうかい!」


 俺の言葉を冗談だと思ってか、豪快に笑い飛ばす店主。


「二度と来るなよ!あんちゃんみたいなのがいたんじゃ、商売あがったりだ!」


「そりゃどうも。誉め言葉だと思っておくよ」


 そう言って、俺は今度こそ、その露店を後にした。



 精霊祭。それは娯楽少なき世界を生きる市民にとっての、数少ない楽しみの一つ。

 さっきの射的屋も、この瓶詰の果実も、そうやって饗される物の一部。


「本来の意味とはかけ離れちゃってるんだけどね」


 とは精霊とも深いかかわりを持つ魔術研究員ロッテの談。


「本当はボク達人間の傍らに居て助けてくれる、そんな精霊たちにお返しをってささやかなものだったんだ。けど、商魂たくましい露天商とか、騒ぐきっかけを探してる市民とかに目を付けられて、今じゃこの有り様ってわけ」


「ふーん」


 言葉の通り、町は賑わい、子供たちは物珍しい露店にはしゃぎ、大人たちは昼から飲んだくれ、衛兵は忙しそうに走り回る。

 そんな様を見ながらロッテは先ほど貰った瓶詰の果物を齧ると、酸っぱそうな顔をした。やっぱりか。


「なにこれ、ひっどい安物だね」


「ま、露店の景品だからな。包装と置き方で高級っぽく見せてても、結局とられて損するようなもんは置いてないってこった」


 どれだけ時代が変わっても、世界が変わっても大体の手口は一緒って訳だ。


「……こういうのは、随分と久しぶりだな」


「こういうのって?」


 俺たちの目の前を、子供たちが走り去っていく。その手がぎゅっと握りこまれているのは、少ない小遣いを落とさないようにするためだろう。


「ん?ああ、なんて言うか、こんな光景を見るのがさ」


 祭りなんて子供の頃に数回行って、それっきりだ。

 思えば、結構慌ただしい人生を送って来たと思う。飛び級で大学まで行って、在学中には研究とおやっさんの手伝いに明け暮れて。その後は、ずっと死に急ぐように生きてきた。

 それがこの世界に来てから、なんだかゆっくりと時間が流れている気にさえなってくる。まるで一生分の休暇を使い込んでいる気分だ。


「アルは」


 ロッテはそんな俺になにを見たのか、不安そうな声を出した。


「この世界が好き?」


 それは、不用意な事故で俺を呼び寄せてしまったことに罪悪感を覚えているのか。


「前にも言ったろ」


 だが、結局俺はこう答えた。


「こういうのも、悪くない」


「そう」


 ロッテも、遠ざかっていくその背中を懐かしそうに眺めながら言った。


「ボクも好きだよ。今の、こういうお祭りも」


 俺とロッテのデートは、そんな風に、その甘ったるい響きとは似つかわしくない形で始まったのだった。




時間が、ただただ過ぎていく。


「これ、美味いな」


「でしょう。ボクも、結構好きなんだ」


思えば、こんな風に誰かと二人きりで過ごすのは初めてで。

それが、時間を忘れるくらいに楽しくて。


「……アルの方が上手だね」


「俺のは素人芸だよ。それに、こういうとこで弾き語りなんてするのには、それはそれで別の技術がいる」


だけど、ボク達の間には、それだけしかない。

アルとエレンの間にあるものが、ボクとアルには欠けている。


「またボクの負け!あのおじさんズルしてるんじゃないの!」


「もうやめとけ。下手すりゃ財布空にされるぞ」


「……、ねえアル。ボクにちょっとだけ」


「手遅れかよ。絶対貸さねえぞ」


 隣を歩くことは出来ても、きっと向き合って見つめ合ったりはしない。

 そういう風には、きっとならない。


「ケチ!」


「なんとでもいえ」


 巫女様に言われて、ボクは、本当の勇気ってなにかを、ずっと考えてた。


「あははは」


「なんだよ怒ったり笑ったり忙しいやつだな」


 キミの心に触れたいって思ってた、けど、それは。


「いいんだよ、そういう日なんだ」


 エレンに、譲ることにする。

 二人とも、ボクにとってはとても大事な人だから。

 そうやって、ボク達は精霊祭のお祭りの日を、遊んで遊んで、遊びつくした。


「ふぅ、楽しかった」


「そうかい。今日のデートは、お気にめしたか?」


「うん、とっても」


 心から、そう思えた。


「そうか」


 アルは、やっぱりいつも通りだった。


「俺も、楽しかったよ」


 ……ちぇ、少しは照れたり、気負ったりして言ってくれればいいのに。けど、いいか。

 すっかり日は暮れて、祭りは、名残りだけを残してその灯をすでに落としている。明日には、もう今日のことなんてみんな思い出にしているだろう。


 ボクも、そうしなきゃ。


「ま、アルが約束守ってくれたから」


 暮れないで欲しい夕焼けほど、早く落ちる。

 後に残るのは夜の帳。

 最初にした、小さな約束。


「教えてあげるよ。エレンの、誕生日のこと。それと」


 後ろ手で手を組んで、目を瞑って月を見上げる。薄くぼんやりとした月明かりだけが感じられる。


「特別大サービス。今度エレンに会う時に、アルからの手紙をエレンに直接渡してあげる」


 ボクは今、きちんと笑みを浮かべてる。


「いいのか?」


「……いいよ。今日のお礼だ」


 きっとこれが、本当の勇気。

 そう、信じて。


「助かる。手紙、用意しておくよ」


 声の色が、少し変わった気がする。真摯な、重みがあるように。


「エレンのこと」


 目を開けて、振り返って、アルのことを見つめる。


「よろしく頼むよ。ボクの、大切な人なんだ」


「……おいおい、なに言ってるんだよ」


 ああ、アルってば、バカだなぁ。


「ただ、誕生日に贈り物をするだけさ。そんな重く考えるなって」


 今更、いつも通りの顔なんてしてさ。そんなんじゃあ、ごまかせないよ。


「そうだね」


 でも、ごまかされたふりをしてあげる。


「アルにとって、エレンは大切な仲間だからね」



 そうして、ボク達の精霊の夜は終わった。後に残ったのは弱虫が二人。隣で歩く分には、問題の無い二人組。


 ただただ、時間は過ぎていく。


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