第40話 正しいデートの誘い方 ②

 

古い幸福が匂い立つ。琥珀色の約束が、ボクを捉える。


(大丈夫)(あなた、名前は?)(今日から私たちは師弟関係って訳さ)(アルって呼んでくれればいい)



 ――――――シャル。どうか



 ……頭、ぐらぐらする。

 まるでボクがここに居ないみたい。視界がおかしくなって、なんだか色んな事がぼやけて、重なって見えるみたいだった。


「ふふ、ふふふ、ふふふふ」


 口から、変な笑いが漏れる。おかしいな。

 おかしいことなんて何にもないのに、笑うなんて。


「お前、それ、飲み過ぎだ、さっきから」


「……吞みに付き合えって言ったのはアルでしょ」


 ボクはおかしなことはなにも言ってない。だから平気なはずだ。


「そりゃ、そうだけどよ」


 困ったようなアルの顔。

 ふん、だ。いいんだ。困ればいいんだ、アルなんて。


「まいったな、こんな酒に弱かったなんて」


 しかもからみざけ。

 なんだか、アルが追加で言った気がするけど、段々その意味もぼやけてくる。

 ……ボクはこんなにも普通なんだから、アルが悪いんだ、きっと。


「おい、もうやめとけって。片づけは俺がしとくから、もう水飲んで横に……ロッテ?」


「ふふ。アールー」


 そうだ、全部、全部アルが悪いんだ。アルと、ついでに師匠が。


「おい、どうした。なんだ」


 ユラリと、覚束ない足取りで立ち上がって、ボクはアルに近づいていく。


「ふふ、ふふふ」


 そんなボクの様子を見て危険を感じたのか、アルが後ずさっていく。

 けど、もう遅い。


「ふふふふ」


 ボクは思いっきり、壁際まで追いつめたアルに飛びかかった。……避けられたらなんて懸念は、この際無い。

 ボクの小さな体は見事にアルを捉えて、そのまま押し倒すことに成功する。


「おい、ロッテ。止めろ、そりゃシャレに……」


 全部、皆が悪いんだ。ボクにお酒を勧めたアルに、あんなことを言う師匠に、ボクからアルを取り上げようとするエレンに。


 あと、やっぱりあんな話題を出すアルが、一番悪い。


「アル」


「んあ」


「エレンの誕生日のこと、聞きたいって言ったよね」


「ん?ああ、言った。言ったが、それは」


「条件がある」


 きゅっと、アルの服の胸元を握る。


「ボクと精霊祭の日にデートすること。そしたら、教えてあげる」


 ボクがアルの顔を覗き込むのと同様に、アルがボクの瞳を覗き込んでくる。構うもんか。

 師匠がそうしろって言ったんだ。


「お前、何言って……」


「お願い」


 先に目を逸らしたのは、どっちだったか。

 多分、ボクだ。


「お願いだよ」


 アルの胸が一度、大きく上下する。ため息をついたのが、伝わってきたのだ。

 それが示す答えは、きっと、きっと……。


「分かったよ」


「……え?」


 思わず、聞き返す。


「分かったって言ってるんだ。デートでもなんでもしてやる」


「本当?」


「本当だよ。だからいい加減降りろ」


「うん」


 ボクはアルの体から離れようとして、だけど体が上手く動かなくて。


「あれ?」


 なんだろう、糸が切れたみたいに力が抜けて。

 だんだん、意識も遠く……。


「約、束」


「ああ」


「約束、だからね」


「ああ」


 眠気が限界に達して、ボクは全部を手放した。

 なんだろう、こんなに安らかなのは。

 酷く、久しぶりだ。




「いてて。勝手ばかっりしやがって」


 俺は手を離すことなく眠っちまったロッテを抱えて立ち上がる。

 予想外な目に遭ったもんだ。


「まぁ、俺も悪いか」


 急に押し掛けたり、酒を飲ませたり、安直に色々聞こうとしたり、手土産でごまかそうとしたり。自業自得だと思っておこう。こいつに甘えてた部分だって、確かにあったんだから。


「約束、か」


 俺はロッテを寝室のベットに寝かせて、分かる範囲で後片付けをしておく。

 それから持ち歩いているメモ帳に、少し考えて言葉を書き、納得できずにページを送り、それを何度か繰り返して、結局簡単な言葉で出来たページ一枚を選んで破りテーブルに置いておく。


「…………」


 最後に、寝室に入って穏やかな寝息を立てているロッテを確認する。


「幸せそうにしやがって」


 けど、何故かそんなことに安心する。


「さて、と」


 今回のことは、今後のことを考える上でいい教訓になった。少なくとも、ロッテに飲ませるべからず、だ。


 こいつに、酔い覚ましの熱いスープを作ってやれないのが少し残念だが。


「……あれ?」


 何故か、そんな光景を想像して、懐かしさを覚えた。そんな経験、覚えがないんだが。


「まぁ。いいか」


 小さな違和感をもみ消して、俺はロッテの寝室を後にする。


「おやすみ」


 聞こえちゃいないだろうが、一応言っておく。

 うー、と、小さな声だけが背中越しに帰ってきた気がした。



 

「う、ん?」


 ……異様な違和感に苛まれて目を覚ます。

 なんでだか、頭が痛い。


「あれ?」


 気が付けば、いつものベットの上で、いつの間にか外はすっかり朝の様子で。

 ……いつの間にか?


「昨日、一体、な、に、が」


 睡気が抜けるにつれ、段々と昨日のことが思い出される。それにつれて、顔がまず真っ青になり。


「ああ、あああ、ああああああ!」


 最後には真っ赤に染まった。


「バカ!バカ!バカ!!」


 やってしまった。ボクは、昨日、なんてことを!


「あわわわわわ」


 ベットから這い出すように降りて、頭を抱える。

 なんという失態!

 酔っていたとはいえ、あんな勢い任せで、アルに。


「うぅぅぅぅ」


 呻きながら寝室を出る。アルはとっくに帰った後らしく、部屋はもぬけの殻だった。しかも綺麗に後片付けまでされてる始末。

 これは、なんというか。


「ボクの、バカ」


 項垂れて、絶望的な気分に陥る。

 全部自分が悪いだけに後悔しかない。夢だと思いたくても記憶はしっかりと残っているし、それに。


「……書き置き」


 律儀に、アルはテーブルの上に昨日の失態の証拠を残していった。


『気にすんな。それと、約束の日は空けておく』


 ただこれだけの一文が、ボクの心をさらに抉る。

 酷過ぎるでしょ、いくらなんでも。


「どうしよう」


 今からアルの所に出向いて、昨日の全部無し、忘れてって言えばいいんだろうか。


「そんなことしてどうするのさ」


 起きてしまったことはこの際しょうがない。なら、目を向けるべきは。


「アルと、デート」


 精霊祭の日に、一日過ごすなんて、そんなの、まるで。


「あああああああ!」


 結局恥ずかしくなって、床をゴロゴロ転げまわる。

 問題は多数、前途は多難。

 研究のことなんて手に付かない日が続くことは想像に難くない。


 とりあえず、その小さな白い紙片を、くやくしゃにならないように、そっと机の中にしまわなければ。


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