第34話 BLUE GILL ⑧
「笛の音?」
「そうだ」
事前の作戦会議で、俺が提示した作戦は全部で三つ。
その一つ目が、この誘導策。
「こいつは、ルリがまだ水族館に居た頃に使われていた笛の音をコピーした物なんだが」
当時の映像が残っていたので、同じ音を作り出すのは比較的簡単だった。
「水族館じゃあ何をするにもこの笛を合図にしていたらしい。芸や、誘導、休息なんかもだ。そして勿論」
「食事もって訳か」
おやっさんは合点がいったとばかりに頷きを返す。
「なるほどな。あいつの中にまだその時の記憶が残ってるって言うんなら」
「浮上するタイミングでこいつを鳴らせば、恐らく俺たちの用意した空間に誘導出来る」
あくまで仮説だが、勝算は高いと俺は踏んでいる。
何故なら。
「本能に根付いたもんはそう簡単に消えねえよ。とくに音ってやつはさ、残るんだ、ずっと」
「……分かった。他に有用な作戦があるわけでなし」
何かがおやっさんの琴線に触れたらしく、少し楽しそうにおやっさんは笑った。
「その賭け乗ったぜ。駄目だった時のことは、駄目だった時に考えようや」
それが、一つ目。
俺たちの用意は、全部この作戦に起因することになる。
「成功してよかったぜ」
予想通り、ルリは俺たちの前に現れ、そして俺に対して怒り狂っていた。
そうだ、もっと怒れ。
お前の思い出を踏みにじった俺を。
「殺してみろよ。なあ!」
俺の挑発などなくとも、俺の言葉の意味など分からなくても、ルリは一直線に俺へと向かってくる。
これもまた、作戦通りだ。
俺は悠然と立って、ルリが突進してくるのを待った。
彼我の距離はどんどん狭まっていく。ルリが俺を、その背後の空間ごと食い殺そうと咢を開きかけた、その瞬間。
俺とルリの間に、巨大な『網』が出現する。
「―――――――――!!」
急な罠の出現に、ルリは慌てて停止しようとするが勢いは止まらず、そのまま網に頭から突っ込み、その巨体が絡めとられる。
ルリは暴れて網から逃れようとするが、特製の網は軋みを上げこそすれ、破壊するには至らない。
破壊できないのには、理由がある。
「動けないだろ?それはお前の」
過去からの枷だ。
ルリは水族館から研究所に移動された時、麻酔と網を併用して動きを封じられている。
この仮想世界において、その認知存在は大きな影響を及ぼすのだ。
ルリの記憶が、刻み込まれた本能が、この網からは逃れられないと認識している限り、この網が食い破られることは無い。
これが、ルリの動きを封じるための、二つ目の策。
「出番だぜ」
そして、その成功を確認してから俺は一つのデータを転送する。
何のことは無い、ただルリがいる位置の正確な座標だ。
直後、暴れるルリの上空にいくつもの歪みが生じた。
そして、その歪みから長大な杭を抱えたおやっさんとその部下たちが次々と現れる。
「うぉぉぉぉぉぉ!」
おやっさんたちは自由落下に任せて杭を構え、そのまま、身動きの取れないルリの背中に着地する。
これが、俺の三つ目の策。
俺の開発した、この対ルリ用のパイルバンカーは持って歩くのが困難なほどにデカくなってしまった。
持ち運ぶことすら困難なこいつを、動いている目標に当てるのはまず無理だ。
なので、おやっさんたちにはこのパイルバンカーを持ったまま待機しておいてもらい、ルリの動きを封じると同時にその上空にログインし、直接その巨体に飛び乗って貰うという方策をとることにしたのだ。
持ち運ぶことが出来ないのなら、持ち運ばなければいい。要はあいつの体にぶっ刺さればそれで問題は無い。
「喰らいやがれ!」
前回こいつの体を削り取った技術を参考に作ったプログラムだ。少々取り回しは悪いが、当たりさえすれば一撃でその外皮を貫通できる威力を持つ。
おやっさんとその部下たちはルリの背中にパイルバンカーを取り付けていき。
「セット!」
作業終えると、すぐさま蹴たぐるようにその場を離脱。
その姿を確認した俺は、すかさず起爆のコードを口にする。
「ファイア」
同時に、弾けるように四本のパイルバンカーが撃ち出され、影の巨体に突き刺さる。
「―――――――――!!」
それはまるで断末魔の悲鳴か。
凄まじい情報圧が、びりびりと俺たちを襲った。
立っていられたのは、俺とおやっさんだけだ。
「やったか!」
「まだだ」
その巨体を折り曲げ、傷口から血のような黒い泥を噴出させながらも、ルリの気配はまだ死んでいなかった。
それどころか、その巨体は脈動をし、徐々に。
「おい、網が」
決して破れないはずの網が、軋みの音を大きくしていく。
「お前らは退避してろ!」
おやっさんの号令で、へたり込んでいたおやっさんの部下たちは次々とログアウトしていった。
その判断は正解だろう、どう見たって、これは。
「……やばいんじゃねえのか」
滲み出る泥は、まるで殺意の色だ。
零れ落ちる色が、この空間を侵食して染め上げていく。
崩れかかっている巨体が、何かに変貌していくようだった。
それはまるで、ルリの存在を食らって成長していく化け物のよう。
こいつは、まさに。
「亡霊、か」
声ならぬその嘆きは、まるで人を同じ場所へ落とそうする意志持つ呪いだ。
暗く、黒く、獣のように。
「こうなったら、この空間ごとネットから切り離して凍結させりゃあ、或いは」
おやっさんの提示したそれは、最後の手段として俺が考案したものだった。
一応の、最終手段ということになってはいる。
だが。
「無駄だよ」
予感がある。
「そんなことしても、根本的な解決にはならない」
分かる、理解できる。
そんなことをしても、こいつはいつかその殻を破って再び世界を喰い始めるだろう。今よりも、より大きな災害となって。
「だからって、あんな怪物、どうすりゃ」
「おやっさん」
俺が作戦会議であらかじめ話していた作戦は全部で三つ。
そして、明かさなかったものが、一つ。
一つだけ、ある。
「こっから先は、見ない方がいい」
おやっさんには、見て欲しくなかった。
「……まだ、なんかあんのか」
「ああ」
できれば、この手は使いたくなかったが。
いや、今更、か。
「ならとっとと、やれ」
「けど、おやっさん、あんたは」
「いいから、俺に気を使うんじゃねえ。生意気な」
結局最後まで、この人は頑固だ。
「俺には、見届ける義務がある」
「……分かったよ」
俺はおやっさんの説得をあきらめて、プログラムコードを起動する。
きわめて、簡単なコードを。
「じゃあ、行って来る」
苦しい、痛い、苦しい。
体中から、吹き上がるように何かが失われていく。
それと同時に、なにかが湧きあがってくる。
ああ、そうだ。憎い、憎い、憎い、憎い、憎い。
自分をこんな目に合わせた奴が、この息苦しい世界そのものが、なによりあいつが。
憎い。
「――――――――!!」
そうだ、何故こうなった。
ずっと、楽しかったのに。
ずっと、皆と一緒に居たかったのに。
いつの間にか、一人ぼっちに。
何故、何故、何故。
何故捨てられたのか。
『さあ、生きろ、電脳の海を』
いらないのに。
『お前は、自由だ』
そんなの、いらないのに。
ただ、あそこに居られれば、それでよかったのに。
『……ごめんな』
けど、全ては無駄だ。
帰る場所なんて、もう。
「ルリ」
……声が、した。
懐かしい、声が。
「おいで、こっちに」
ああ、そうだ。
これは、思い出の声、姿、面影。
ただ、帰りたかった、楽しかった場所。
そこで生まれて、最後まで、あの場所に居たかった。
消える前に見れた、まるで美しい。
「ごめんな」
「――――――――」
なんて、穏やかな気配。
これが、こいつの本質なんだろうか。
「おいで、こっちに」
……テクスチャを簡単に張っただけだ。
水族館で、ずっとルリの世話をしてきた人の姿かたちを、俺のアバターに張り付けてある。
詳細なデータがあったわけじゃないから、酷く薄っぺらい姿だが、それでも、お前は。
ルリは、大人しく俺に従う。
縛られたまま自由には動けない身で、その体から黒い泥をこぼしながら、俺に鼻を摺り寄せるように近づいて来る。
「ごめんな」
思い出を、汚すような真似をして。
俺はその鼻先に触れて座標を固定。
圧縮解除、セット、起動。
長大な杭が、顔と顎を貫いて地面に突き刺さる。
これで、終わりだ。
ぐしゃりと、その輪郭がへし曲がるように仮想体が潰れ、そしてその数秒後。
消えていく。
ルリの影のような体が、本物の影が光に照らされていくように、薄れていく。
眼などないのに、そいつは縫い付けられた地面から、必死になって俺を見上げているようだった。
なんで、と、問いかけるように。
俺は、この薄っぺらいテクスチャを、最後まで脱ぐ気にはなれなかった。
「もう、どうあっても幸福な道がないというのなら」
とんだ偽善だ、畜生め。
「せめて、安らかに」
ルリの最後の表情は……いや、やめよう。
所詮は、影だ。
俺に、語りえるものじゃあない。
「終わったのか」
「ああ」
俺は元の仮想体に戻って、消え行くルリの残滓をその目で追った。
とても、おやっさんの顔を見る気にはなれなかった。
「これで、良かったんだろうか」
不意に、口をついて出たのは小さな弱音だ。
俺が決めたことで、俺が踏みにじったことなのに。
それでも、選んだことに後悔が残る。
「そう思うしかねえさ」
おやっさんはぶっきらぼうに答えた。
「良くても悪くても、俺たちは前に進むことしかできねえ。なら、無理にでも納得して進むしかねえ」
「それが、俺たちの義務ってわけか」
「いいや」
おやっさんが一方的に肩を組んでくる。
「それは生者の特権さ。なぁ、そうだろ。アル」
ああ、それは、そうかもしれない。
亡霊じゃあ、何処にも行けはしないんだから。
俺は無理矢理組んできた肩を外して、おやっさんと向き合う。
「帰るか。現実世界に」
「ああ。その後は、報告書の山と格闘さ、俺は」
「ご愁傷様」
その辺の御領分は、俺の管轄外だ。
ログアウトする直前、最後に俺はその電脳空間を一望する。
……あいつを構成していた要素は、あまねくこの空間に溶けだして消えた。
ならば、あいつは、この放棄されるであろう空間に永遠に取り残されることになってしまうのだろうか?
(いや、それこそ)
考えるだけ、無駄なことだ。
ならば、せめて一つだけ祈ろう。
この人の作った世界の空も、俺たちの世界の空に繋がっていますようにと。
仮想世界から抜ける感覚と同時に、目を覚ます。
ここは……。
「居間のソファ、か」
随分と長いこと、昔の夢を見ていた。
そうだ、あの事件が全ての始まりだった。
俺とおやっさんが解決していく多くの電脳犯罪の。
何故、今更、あの日々のことを思い出したのだろうか。
「おやっさん」
俺はジャケットの裏地に縫い付けられた隠しポケットから、一発の銃弾を取り出す。
「どうする、べきなんだろうな」
俺とおやっさんとを隔てた弾丸。
最後には俺が社会に害をなす存在になって撃たれちまった。
結局それは、この世界でも。
「寝るか」
俺は取り出した時と同じ場所に銃弾をしまいこんで、また目を瞑った。
そうだ、考えたって、無駄なこともある。
なら、せめて、今日くらいは。
(幸福な夢でも見よう)
それがこそが、生者たる俺の、ささやかな抵抗なのだ。
そうそう、これは、ちょっとした、下らない後日談。
「お前!」
事件の後、約束通りおやっさんのおごりで吞みに行ったその席での話。
「未成年だったのかよ!」
「だから言ったろ。驚くって」
俺は悪戯が成功したガキみたいな顔をしていたと思う。
「お前、なんだよそりゃ。大学で、研究室に居て、論文だって」
「大学には飛び級で入った。あの研究室は俺のじゃない。それと、論文なんて今の時代、学生でも書くぜ」
「だからって、あんなデカい態度で」
「それこそ、生来のもんだ。年なんて関係ないってもんさ」
「……おおぅ」
おやっさんは頭を抱えだす。
それを見て、俺はまたけらけら笑ってやった。
「俺は、未成年を連れまわしてあんな危険な真似を」
「そう気にすんなって。俺が居なきゃあの事件、解決できなかったろ」
「そりゃ、そうだが」
複雑そうな顔をしているおやっさんの背中を、俺はばしんと叩いた。
「そう落ち込むなよ。酒でも飲んで、忘れようぜ」
「……この悪ガキめ」
おやっさんは、何かを吹っ切ったように電子版の品書きを手に取った。
「俺はさっきの事実を、この飲み会の後に知った。いいな?」
「おーおー、そう来なくっちゃ。融通が利くのはいい大人の証拠だぜ、おやっさん」
これもまた、一つの始まりだ。
ここから先、数えきれないほど酌み交わす、酒と議論の応酬の。
「……けど、バレたら懲戒免職モンだから程々にな」
「気にすんなら止めればいいのに」
それは間違いなく、俺の望んだ、少し幸せな夢だった。
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