第32話 BLUE GILL ⑥
「なぁ、アル」
「…………」
「さっきの話、マジだと思うか?」
「……どうだろうな」
それは途方もない、馬鹿げた話だった。
本来ならば、議論する余地もない程の途方もない話。
だが、何故だかそれだけで切って捨ててはいけないような説得力を、俺もおやっさんも感じていた。
「……嘘ならもっとましな嘘つくだろ」
「あるいは、全ては偶然って線もあるぞ。全部勘違いで、俺たちはホラ話に踊らされるアホ野郎って
訳だ」
「それなら、どれだけ良かったことか」
いや、良くねえか、実際。
車を運転するおやっさんを横目に、俺は提供された資料に目を通す。
「辻褄は合ってる。データにも嘘は無い。だけど、なぁ」
俺たちを押しとどめているのは、これまでに培ってきた固定概念だ。
それは、簡単に捨て去れるようなものではないほどに強固な。
「死んじまったもんが、あんな元気に走り回るかねえ」
「はは、まるでネット黎明期に流行ったオカルトみたいな話じゃねえか」
「笑い事じゃねえだろ」
おやっさんはハンドルを切ってコンビニの駐車場に車を止めた。
「いいんだよ、アル。こういう時は笑っとけ」
「…………」
何故、俺たちがこんな馬鹿みたいな話をしているのか。
それは、数時間前に遡ることになる。
担当者とやらとの話は思いのほかスムーズに進んだ。
正式な手続きを踏んだうえでの訪問だったということを差し引いても、実に誠意ある対応をしてくれたと言えるだろう。
問題は、その内容だ。
「心当たりは、無いと」
「はい。いえ、その、あると言えばあるのですが……」
担当者は額の汗をぬぐいながら、しどろもどろに答える。
どうにも、要領を得ないな。
「なんと申しますか、その、到底信じられないような話でして」
「信じる、信じないはこっちで判断する。いいから話を聞かせろ」
「ですが、あの、その」
担当者の煮え切らない態度に業を煮やしたのか、おやっさんはドスの効いた声で告げた。
「強制捜査に切り替えてもいいんだぞ。あいつは、それくらいの被害を出してる」
「いえ、そんな、滅相もない!」
おやっさんの言葉は、俺にはフェイクだと分かったが、担当者はそうもいかない。
声を震わせながら、なんとか絞り出すように言い訳じみた弁明を繰り返す。
「話します、話をさせて頂きます。ですが……」
「なんだ、まだなんかあるのか」
「はい。一つだけ断っておきたいのです」
「何をだ」
「これからお話しすることは、嘘や作り話ではございません。ましてや、私の気が狂ったなどとは」
「そういう前置きはもういい。とっとと本題に入ってくれ」
「分かりました。では、まずはこちらをご覧ください」
そういって、担当者はあらかじめ用意されていたであろういくつかの書類と資料、そして一枚の写真を取り出した。
「これは?」
「これが、私どもの心当たりでございます」
「おいおい」
俺とおやっさんは顔を見合わせる。
「確かに、問題になってるのは『魚型の何か』だとは言ったけどな」
写真に写っているのは、小さな水槽に押し込められた。
「こいつは、本物のイルカじゃねえか」
「順を追って説明させて下さい」
そう言って、担当者はページをめくる。資料の二枚目には、その計画の概要が掲載されていた。
「イルカではなく、正確にはシャチですね。名前は『ルリ』。とある電脳実験の『被検体』ということになります」
見れば、資料には先ほどのシャチが幾多の機械に繋がれている写真が添付されていた。
「その実験っていうのは?」
おやっさんは資料には目もくれず担当者に話を振る。
「……それほど複雑なものではありませんよ。単に、人間以外の生物が、電脳世界にどれだけ順応できるか、という類のモノです」
「じゃあ、まさか」
「はい。ごくクローズドな範囲での話ですが、ルリは電脳世界に繋がっていました」
おやっさんは写真に目を落とした。
「こいつが、あの『BLUE GILL』だってのか」
「断定はできませんが」
「なら確かめるだけだ。そのルリってのはどこにいる」
言われて、担当者は顔を伏せた。
「……もう、いません」
「あん?」
「ですから、もうここにはいないのです」
「どっか別の実験施設にでも送られたのか?なら、その移動先を……」
「そうではありません」
俺はゆっくりと、資料のページをめくっていく。
その最後の一枚には、こう記載されたいた。
「ルリは、実験中の事故で死亡しています」
俺もおやっさんも、最初は驚愕で声を出せなかった。
「……それは、事実か」
やっとの思いで、おやっさんが絞り出すように言う。
「はい」
「なるほど、確かに信じられないような話だ」
資料によれば、ルリの死亡は数か月前。原因は不明。電脳実験の途中、脳波の出力が急に不安定に
なり、実験を中断しようとするもそのまま心停止。以降、ルリの死に関しての様々な憶測が並べられている。
主眼に置かれているのは、同様の現象が人間にも起きはしないかということだったが。
「動物愛護団体が聞いたら卒倒しそうだな」
「言っておきますが」
ここに来て、担当者の語気が少し強まる。
「この実験はきちんと国の認可を受けた正式なものです。なんら違法性はありません。このシャチにしたって、きちんとした手続きを踏んで購入したものです。それに、実験以外での健康面には極めて気を払っていました」
まるで研究者らしい意見におやっさんは一瞬顔をしかめたが、すぐに自分の領分を思い出して話を進めた。
「その辺は管轄外だ。俺がどうこう言える立場じゃあない。だからこそ、俺たちの問題はただ一点。あのモンスターをあんたらが作り出したかどうかって点だ」
「……分かりかねます。先ほどお話したことが、我々が把握している全てなのです」
おやっさんは少し考えたあと、いくつか質問を飛ばした。
「そのルリってシャチを元に作成したAIとかはないのか」
「ありません。この実験施設にあるのは観測装置が主ですので、そのような高度なAIを作ることはとてもとても」
「ならルリが生きてるって可能性は?」
「それも、ありません。ルリの死は多くの職員が確認しております。彼ら全てを騙すなど、不可能でしょう」
「じゃあ……」
他にもいくつかのやり取りがあったが、全ての答えはNOだった。
「参ったな」
おやっさんは、残っていた頭痛を思い出したかのように額に手を当てる。
「これじゃあまるで、死んじまったルリの亡霊がネットの海で暴れまわってるみたいじゃねえか」
「……少なくとも、我々の心当たりはその一件しか御座いません」
「分かった」
もうここに用は無いとばかりに、おやっさんは帰り支度を始めた。
「この件は持ち帰らせてもらう。それで、検討しよう」
「はい。よろしくお願いします」
担当者は隠そうとしているが、ほっとしているのが目に見えて分かった。
「あの、それでですね」
「なんだ、まだなんかあるのか?」
「いえ、大したことではないのですが」
ああ、嫌だなと、思う。
これは何度も聞いたことのある、媚びるような声だ。
「今回私どもは、できうる限りの協力をさせて頂いたわけなのですが」
「なにが言いたい」
「その『BLUE GILL』の捕獲に成功した暁には、当研究所に引き渡して頂ければな、と思いまして。いえ、それも全て、世界の発展のためにですね」
「…………」
おやっさんは、もう担当者の顔を見ることもしなかった。
「そういうのは現場が決めることじゃねえ。……上に媚び売っとけば、こっちに回ってくるかもな」
そう言うと、おやっさんはさっさと部屋から出て行ってしまった。担当者は、その後ろ姿に礼なんてしていやがる。アドバイスされたのだと勘違いしたのだろうか、この男は。
「では」
俺も、おやっさんの後を追うために立ち上がる。
「こちらの資料は頂いても?」
「ええ、構いません」
さっきの言葉が聞いているのだろう、資料についてはそう快く諾してくれた。
「おい、アル!早くしろ!」
ドアの向こうから、不機嫌そうなおやっさんの声が聞こえてくる。
俺はやれやれと言った体でドアノブに手をかけた。
「ああ、それともう一つ」
なんでもないことのように、俺は最後に一つ聞いておく。
「そのルリってシャチは、どこから購入したのでしょうか?」
「確か、経営難の水族館からだったと思いますよ」
「連絡先は?」
「どこかに残っていたと思います。見つけ次第、ご連絡しましょうか?」
「お願いします」
それだけ告げて、俺は今度こそ、その部屋を後にする。
外で待たされていたおやっさんは、何処かふて腐れているようだった。
「一つの仮定として」
コンビニで買ってきた缶コーヒーを飲みながら、おやっさんは自分の考えを話した。
「生物ってのは三つの要素で成り立っているものとしよう」
「三つ?」
「そうだ。身体、本能、そして魂の三つだ。それら三つが組みあがって、生命ってものは立体的に成り立つ。だが、このうち一つが欠けても、それは平面的には存在できる」
バカみたいな話だが、おやっさんは至って真面目だった。
「魂が欠ければゾンビに、本能が欠ければ廃人に、そして肉体が欠ければゴーストに。そんな具合にだ」
「正気かよ」
「この仮説が正しいとは言わん。こじつけみたいなもんだ」
コーヒーを置いて、今度はタバコに手を伸ばす。
「だが、さっきも言ったが筋は通る。あの魚、まだネットの深いとこにいるんだろ?」
「ああ。ずっとログアウトせずにじっとしてる」
「もう、帰る場所がないんだよ。きっと」
帰る場所、すなわち肉体がない、意識だけの存在。
「あの場所に留まってるのは帰巣本能だ。あいつは、自分がもう死んでることにも気が付かずに、ネットの海を彷徨ってる。そういうことだろう」
「じゃあ、データを喰うのは」
「疑似的な食事だろうな。喰えそうなもん片っ端から齧ってんだ、きっと。生きるために。もう、死んじまってるのに」
肉体が死んでしまった時に、電脳世界で取り残された意識。それが『BLUE GILL』。
「悪いな、第三世代なんかじゃなくて」
「いいや、それが事実なら、こっちの方が大発見だ」
もしかしたら、長年研究されたきた、魂の証明に繋がるかもしれないことだった。
「……なぁ、アル。お前も、そう思うのか?」
「なにがだよ」
「あいつを研究材料にしたいってことさ」
おやっさんは、どこか寂しそうだった。
「バカみたいなことかも知れないが、俺はこう思ってる。……あいつを、きちんと終わらせてやりたいって」
タバコに火をつけて煙を吐きだす。途中で、手癖のように車の排煙機能をオンにした。
「実験動物なんかにされて、そんで死んでも実験動物のままなんて、そんなの、惨過ぎると思わねえか」
「……俺は」
それでもなお、俺はその結果によって得られる何かに期待を寄せずにはいられなかった。
「アル、手伝ってくれ」
俺の返事なんて待たずに、おやっさんは言う。
「俺たちだけじゃあ無理なんだ。……悔しいがな」
少し、驚いた。
なんていうか、大人ってのはこんな風に素直にものを言ったりしないって、心のどこかで思っていた。
だからこそ、俺は素直に頷くことが出来たのだろう。
「分かった」
あいつを、『BLUE GILL』を、いや『ルリ』を。
「きちんと、あいつを終わらせてやろう」
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