第30話 BLUE GILL ④


 さあ、生きろ、電脳の海を。

 お前は、自由だ。



「ハァ、ハァ、ハァ」


 脳が悲鳴を上げている。幻痛のような息苦しさを感じる。


「くそ!」


 迫ってくる巨体に、咄嗟に身構える。それと同時に、いくつもの防衛機構が俺を守ろうとするが、そんな防護とは関係なしの物凄い質量が俺を吹っ飛ばす。


「ガァ!」


 そのまま、電脳空間の境界まで吹き飛ばされる。

 安全装置による強制ログアウト寸前の衝撃が俺を襲った。

 だが、奴の瞳はまだ俺を捉えたままだ。


「――――――」


 声ならぬ雄たけびをあげて『BLUE GILL』が、俺の背後の空間ごと俺を喰いちぎろうと迫ってくる。

 俺はなんとか境界面を蹴って、その巨体の真下に潜り込んだ。

 これなら……。


「嘘だろ!」


 まるで悪夢のように、振り返ればそいつの顔が俺の背後に迫ってきていた。

 急制動からの方向転換が、あまりにも滑らかすぎる。


「プログラムコード!『スプリット』!」


 俺は無理矢理手持ちのカードを出現させると同時に発射する。

 カードは途中で二発のミサイルとなって『BLUE GILL』に向かっていくが。


「―――――――――!」


 その影が、ガパリと裂けたかのように大きく口を開く。

 そのまま、俺の放ったミサイルを口の中に受け入れると。

 容赦なく、噛み砕いた。


「効果なしかよ」


 妨害系の攻勢プログラムでも無意味とは。

 もう、後がない。


「喰われて」


 追いつめられる形になった俺は、垂直に足場を作ってそこを駆けあがるように跳躍していく。


「たまるかよ!」


 俺の後を追って機首を上げる『BLUE GILL』。俺はその鼻先めがけて腕を振るった。


「うぉぉぉ!」


 振るった俺の腕には、一本の鉤爪付きロープが出現している。

 そいつは意志を持つかのように、『BLUE GILL』まで真っ直ぐ飛んでいき、その顔面を鉤爪ががっちりと掴んだ。


「頼むぜ」


 空中で半回転しつつ、ロープを引っ張る。するとロープは自動で縮み、俺の体は『BLUE GILL』に引き寄せられていった。


「うぉ!」


 途中で『BLUE GILL』は大きくその身をよじり、俺をロープごと振り回すが、それでもなんとかロープを手放さないまま、『BLUE GILL』に取り付くとに成功した。


「これ、で」


 とりあえず、喰われる心配はなくなった。


「つっても、この後のことはなんにも、うぉわ!」


 俺が鼻先にくっついてのが気に喰わないのか『BLUE GILL』が滅茶苦茶に暴れ出す。

 俺はなんとかロープにしがみついて振り落とされないようにするが、いかんせん、脳がシェイクされれば、いくら電脳世界でも平衡感覚がおかしくなる。


「調子に、乗んな!」


 気づいたことがある。

 こいつが電子の情報を喰っているのは、あくまで目に見えている事象だ。


(実際は、崩して、解体しているのに近い)


 それを取り込んでいるだけで、仮想体の壊し方としては理にかなっていると言っていい。

 なら。


(俺にも同じことが出来るはずだ)


 両手で掴んでいたロープを片手に持ち替えて、俺は右手に集中する。

 仮想体の手を、現実世界のルールを無視して変質させる。


「てめえのその化けの皮!」


 突き刺すように、掴みとるように。


「剥がしてやるよ!」


 俺はその腕を振り下ろす。


「――――――――――!!」


 効果は覿面だった。

 俺の右手は巨影の外皮を削り取り、それに呼応するように『BLUE GILL』が音にならない雄たけびを上げたのだ。


(効いてる!)


 傷そのものは小さいが、それでも確実に手ごたえがあった。


(これなら)

 

 その時、俺の背中に、なにか得体の知れない悪寒が走る。


(やば)


 そいつに、眼なんてついてない。存在しているのは、ただののっぺりとした影だけだ。

 だが、今俺は、確実にこいつに睨まれた。

 より正確に言うのであれば。


(殺意を、向けられた)


 理知的で、冷淡で、これ以上なく怒り狂ったような、狩人の瞳が俺という存在を捉えたのだ。

 その感情の波が、針のように俺に突き刺さってきた。


(逃げ)


 そう思った時には、すでに遅かった。

『BLUE GILL』が、ありえない軌道を描いて回転し、速度は尾を引くように、ちっぽけな俺に凄まじい衝撃を与えてくる。

 片手でしかロープを掴んでいなかった俺は、あっさりと投げ出され。


(く、は)


 「BLUE GILL』はその隙を見逃さず、動くこともままならない俺を正面に捉え、その研ぎ澄まされた殺意をもってして、俺という外敵を喰いちぎろうと咢を開き。


(ログ、アウ)


 その牙から逃れようとした最後の一手も、刹那の差で間に合わず。


(だ)


「撃て!」


 その瞬間、幾重もの弾丸が俺に噛みつこうしたその顔に命中し、たまらず『BLUE GILL』はそのデカい口を閉じた。

 俺の死は、響いたダミ声で間一髪遠のいたらしい。


(く!)


 俺は何とか空中で体勢を立て直して、苦し紛れに電脳空間の地に足を付けた。

 やばい、まだ仮想の心臓が異常な心拍数を叩き続けている。

 あんなにも悪意ある意思をもろに受けたのは、生まれて初めてのことだ。


「さっきの借りは返したぞ」


「…………」


「どうした、減らず口叩く余裕もないか」


 見れば、おやっさんたちは隊列を組み直してその頼りない銃口を油断なく『BLUE GILL』に向けていた。


「隊を再編する時間を稼いでくれたことには感謝する。だが、もうお前は戻れ」


「ふざ、けんな」


 そう漏らしたのは、小さな意地だ。


「俺は、まだ」


「俺たちは」


 おやっさんの瞳は『BLUE GILL』を見上げている。


「きっとあいつに敵わないだろう。この電脳空間も、廃棄されることになる」

 ロクでもない仮想の瞳が映しているのは、目の前の怪物。けれど、おやっさんが見据えているのは、もっと……。


「ここから先、こんな怪物はいくらでも出てくる。俺の勘がそう告げてやがる」


 絶望と切望、そして、あいつに負けない強い意志がそこにはあった。


「その時、この新しい世界を守るのは、きっと俺たちじゃねえ」


 初めて、おやっさんが俺の方を見た。


「アル。お前みたいな第二世代の人間だ。お前は、こんなとこであいつの餌になっていい人間じゃねえ」


「だからって」


「心配すんな。俺たちも折を見て撤退する」


 これから行うのは酷い敗走だというのに、おやっさんに悲壮感は無かった。飾ったような正義感も、苦し紛れに振りかざす希望もない。


「こんなちんけな装備じゃ、傷一つ付けられないことも分かったしな」


 ただ次を見据えている。

 おやっさんはもう、負けても戦い続けることを覚悟しているのだ。

 きっと、俺の知らないとっくの昔に。


(いいのかよ)


 大口叩いて、クラッキングまでして勝手について来て、その結果が一人で逃げ帰るなんて。


(考えろ) 


 俺に出来ることを。

 この場を打開する、何かを。


(考えるんだ!) 


 黙々と『BLUE GILL』は俺たちに向かって侵攻して来ていた。弾幕も、足止め程度にはなっても、あいつの外皮を削るほどの威力がない。

 これじゃあ。


(まてよ)


 あるじゃないか。

 あの外皮が存在しない箇所が。


「おやっさん」


「どうした、まだなんか」


「俺の眼と、おやっさんたちの銃をリンクさせてくれ」


「はぁ?お前、何言って……」


 最初は怪訝な表情を浮かべたおやっさんだったが、俺の方を見てすぐに表情を引き締めた。 


「なんか策があんのか?」


「ああ。あいつの鼻先に、俺がさっき外皮を削った箇所がある。そこを重点的に叩ければ、あるいは」


 これは、一種の賭けだ。

 そこなら通るって保証はない。

 だが。


「……どうせなら、少しでも可能性の高い方に、か」


「そういうことだ。照準は俺が付ける。任せてくれないか」


「分かった。だが全員にいきなりは無理だ。まず俺とリンクして、それから全員に繋ぐ」


「了解だ」


 俺はおやっさんに一つのコードを飛ばす。


「銃の射撃管制をしている間、俺は無防備になる。しっかり守ってくれよ」


「善処するよ」


 おやっさんが承認を行い、俺とのリンクを繋げる。


「聞いたかお前ら!」


 通信いらずのデカい声でおやっさんが叫ぶ。


「これからあいつの鼻っ面に一発かます!ちょっとばかし照準に細工入れるが」


 おやっさんの部下に動揺は無い。


「その通りに撃てば問題ねえ!多少乱暴でもいいからぶっ放せ!あの化け物に」


 そこには、信頼だけがある。

 この人になら背中を預けられるという信頼が。


「俺たちの底力、見せてやろうぜ!」


 リンクが繋がり、広がっていく。


「行くぜおやっさん。反撃の時だ」


 最後の承認は、一瞬で成った。


「「プログラムコード『コネクト』」」


 

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