第29話 BLUE GILL ③

 迷うな。

 戒めるように自分に言い聞かせる。


「くそ!」


 そいつはあまりに強大だった。暗く、黒い牙が俺を、俺たちを捕食しようと世界を蹂躙する。原初の、人間が失っちまった『喰われる』という恐怖が鎌首をもたげる。

 まるで、神秘の無くなった世界に再誕した怪物のようじゃないか、こいつは。


「全員、陣形を崩すな!」


 今撃ってる銃も、こいつの前では何の役にも立たない。

 実に忌々しいことだ。誰が、こんな世界を望んだのか。


「来るぞ!」


 部下に激を飛ばす。同時に迫ってくる捕食による暴略。俺たちは、それを段階的に下がってやり過ごす。

 巻き込まれれば、ただでは済まないだろう。


「……くそ!


 巻き込まれる。そう、俺たちはただ巻き込まれるだけだ。あいつの食事に。

 俺たちは、敵として認識されてすらいない。


(だからなんだっていうんだ!)


 そうだ、そんなこと、関係などない。俺たちの決死が、あの魚にとって歯牙にかける価値のないものだとしても、それは俺たちが踏ん張らない理由になったりはしない。


(届かせてやる!)


 俺も、俺の部下も所詮は第一世代だ。

 ガワだけ立派であとはお粗末なこの仮想体でしかこの世界に居られないし、コードも碌に使いこなせない。

 だが、こいつが人間で、第三世代と呼ばれる奴だとしたら、ここから先もこんな怪物とは何度なく渡り合わなくてはならなくなる。

 なら、諦める訳には……。


(勝てるのか?)


 ふと、心に影が差した。


(本当に?)


 ここから先、そう、ここから先の未来に、電脳犯罪は増え続けるだろう。

 そいつらは、きっと俺たちよりもよほどこの世界に適応した脳を持つのだろう。

 じゃあ、置いて行かれるばかりの俺たちに、出来ることがあるのか?


「おやっさん!」


 迷いで、一瞬反応が遅れた。

 部下の声に顔を上げれば、そこには『BLUE GILL』の咢が。


(死)


 電脳世界でこの仮想体が破壊されても、現実の体には傷一つ付かない。課の端末には、幾重もの安全装置がかけられている。

 そんな現実は、冷たい仮想の死に撫でられただけで吹き飛んだ。

 だってそうだろ?

 俺は、ここにいるんだから。


(やばい)


 その牙から必死で逃れようとしても、仮想体は遅々として動いてくれない。


(だめか?)


 まともな死に方をするとは思っていなかったが、まさか化け物に喰われて終わるとは。


(ああ、糞ったれ)


 どうせ逃れられないならと、役立たずのハンドキャノンを鼻先にぶっ放す。

 それは、最後まで目を背けないための、言い訳だ。当然、『BLUE GILL』にはなんの効果も無かった。

 俺は、自身が咀嚼される瞬間を、覚悟の上で受け入れようとして。



「プログラムコード『mk2116』」



 それは、阻まれた。



『BLUE GILL』は見えない何かで横殴りにされ、その巨体を新たに現れた第三者へと向ける。

 間一髪、俺はその間に安全圏へと脱出する。命拾いだ。


「動物っては獲物に喰いつく瞬間が一番無防備だってどこかで見たが」


 茶色いコートを羽織った、俺たちとは違う完全な人型の仮想体。


「本当だったらしいな」


 ここにいちゃあいけない奴が、そこには立っていた。


「アル!お前どうやってここに!」


「おう、おやっさん。偉そうなこと言ってた割に、間一髪じゃねーか」


「お前、まさかハッキングを」


「さあね。偶然通りかかっただけかも知れないぜ」


 こいつ、しれっと言いやがって。


「そんなどうでもいいこと言ってる場合じゃないだろ」


「くそ、覚えてろよ」


 俺は体勢を立て直して、改めて『BLUE GILL』と対峙する。


「……お怒りのようだな」


「ま、そりゃそうだろ」


 眼らしい眼なんてどこにもありゃあしないのに、こっちを睨んでいるのが分かった。

 いや、こっちというか、アルの方をだ。

 こいつは、敵だと認識された。


「おやっさん、部下連れて後ろに下がれ」


「バカ言え、そんなこと出来るわけが」


「あんたのプライドは大事だが」


 アルの表情は、真剣だった。


「今は、邪魔だ。見ろ、あんたらの部下は今、この世界で散り散りになってる」


 冷静になってみれば、それはこいつの言う通りで。


「あんたらは最低でも連携を取らなきゃ駄目だ。意味が無い。なら、まずは体勢を立て直せ。その後にはやってもらいたいことがある」


「だが、お前は」


「なーに、時間ぐらいなら稼げる」


 立ち方一つとっても、俺はこいつに及ばない。


「行ってくれ」


「……済まねえ」


 俺は思い通りにならない足でアルに背を向けた。


「死ぬなよ」


「ったり前だ」


 情けない限りだが、こんな小僧が頼もしく感じちまう。

 それは、なんて。


(俺は時代遅れの人間になっちまった)


 それでも俺は、電脳課の刑事だ。


(まずは、部下を)


 話は全部それからだ。

 けれど、遠くの方でも思う。ここから先には、第二世代の協力者が必ず必要になると。

 願わくば、それがあいつのような、人間であれば。

 それだけで、部下の命がどれだけ救われることか。




「よう、初めましてだな」


 名前と違って、そいつは別に青くは無かった。

 むしろ全身が真っ黒な、魚型のシルエットだ。

 まるで、質量を持った影のよう。そんな、俺の十倍以上のデカさを持つ、巨大な怪物。


「さあて、本当にお前は第三世代なのか、それともただの紛い物か」


 俺にとって興味があるのはそこだ。


「確かめさせて貰うぜ」


 俺は中空を今一度踏みしめて。

 世界を、跳躍する。


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