第28話 BLUE GILL ②


 帰りたい。

 それが私の願いだった。

 海に立ち、思う。

 ここは、私の世界じゃないと。

 けれど、帰りたい場所がどこだったのか、すでに分からなくなっている。

 ただ哀郷の念だけが私の中にあった。

 帰りたい。

 帰りたかった。

 どこかに。



「おいこりゃ」


 電脳空間に降り立って、存在しない顔をしかめる。


「酷いな」


 周囲に広がっているのは、電脳空間特有の『壊れた世界』だった。


「言ったろ。奴に喰われた空間は壊れちまうんだ。穴、落ちないよう気を付けろよ」


 認識が悲鳴を上げるようなノイズ交じりの空間に、底が見えないのではなく存在しない黒い孔。そして在りもしない空気に混ざる特有の無臭の匂い。これはもう。


「修復は無理だな。壊して作り直した方が早い」


 電脳空間には自己修復の機能が備わっているが、それも一定を超えると自己崩壊に切り替わる。直そうとして、結果的に綻びを大きくしてしまうのだ。

 この場所は、すでにそういう領域に達している。


「らしいな。上はとっととこんな空間壊しちまえって意見だ」


 画面越しのおやっさんはつまらなそうに言った。


「維持費も安くないんだと」


「そんな状況でも、この空間を保持してる理由は?」


「事件も解決してないのに現場を荒らす刑事がどこにいる」


「ごもっとも」


 俺は空間の壊れ方を見聞しながら答える。


「それが正解だ」


 この場所は、情報の山だ。

 隠しきれない痕跡などいくらでもある。ましてや。


「隠す、って感じじゃないな、こいつは」


 本当に、まるでただ暴れた跡だ。

 目的も、意義も見出すことが出来ない。

 だが、それゆえに見えることもある。


「AIの仕業じゃねえな。こいつは」


「分かるのか?」


「ああ」


 明確な証拠はないが。


「ウィルスによる破壊は、もっと理路整然としていて独特だ」


 ここには、意志が感じられる。まるで怒りに身を任せたような。


「それだけ分かれば上等だ。こっちに戻ってきてくれ」


「そういうなって」


 俺は壊れかけの電脳空間に歩を進める。


「もう少し、手がかりを掴んでからだって遅くない」


 妙だと、俺の直感が告げているのだ。


「こいつは確かにAIの仕業って訳じゃあないが」


 空間に入った亀裂を覗き込む。その先には人が視認することのできない深淵が広がるばかりだ。


「おかしな点がある」


「おかしな点?」


「ああ。あんたも言ってただろ」


 他にも順々に、喰われたというデータ群を確認していく。


「目的が見えない」


 データを喰うと言っていたが、そんなことをしてなんになるやら。


「ウィルスみたいなもんなら、それが目的のプログラムって可能性もあった」


 無造作に壊れたデータを収集し、その断片からなにか重要な情報を得る。そういうタイプのウィル

スならこの在り様も納得がいく。だが、人間じゃあそうはいかない。


「『BLUE GILL』が同時に二か所に現れたことは?」


「あったらとっくにプログラムに認定してるよ」


「そうだよなぁ」


 一応コピーのきかない唯一無二のプログラムである可能性は捨てきれないが。


「それでも、本線は人間だ」


 それから俺は見れるモノは一通り確認してからログアウトの手続きを取る。


「一旦帰還する」


「了解だ」


 それからふと、気になったことをおやっさんに尋ねた。


「そういえば」


「ん?」


「その魚野郎は一体どうやって逃げたんだ?」


「ああ」


 これだけ壊れた空間で、警戒されていたら逃げるのも簡単ではないはずだが。


「その穴だよ」


「は?」


 思わず、聞き返す。


「穴って」


「ああ、そこの穴に潜って逃げて行った。そのせいでログアウトまで追えなかったんだ」


 息を吞む。俺の目の前に広がる深淵は、俺でも潜る気にはならない。

 人間では意味消失と隣り合わせの世界だ。


「ぞっとしないな」


「へー意外だな」


「なんだよ」


「いや、お前みたいなやつでもビビることがあるなんてな」


「そいつは、あんたの想像力がちょっと貧相なだけさ。……今度こそ、帰還する」


 その暗い穴を見つめながら、俺は電脳空間からログアウトした。

 いくら緊急でもまっとうな手段じゃない。

 そう思いながら。




「よう、お帰り」


「……おう」


 最悪の酩酊感だ。いつまでたっても、現実世界に帰還した時のこの感覚だけはきつい。二度深呼吸をして体を慣らそうとするが、それでも少しもましにはなってくれなかった。


「お前さん、体はまだ生身のままか」


「ああ。サイボーグ化すりゃ、電脳酔いは少しはましになるって話だけど今の所その気はない」


 首に刺さっているコードを引き抜こうとして、その重さに忌々しさを覚える。

 それでも、今の体に愛着がある。簡単に捨ててしまう気にはなれなかった。


「それよりも、ちょっと思いついたことがある。簡単なプログラムを……」


 その時だった。


 部屋中に、けたたましいアラームが鳴り響き、おやっさんが素早く汎用ツールを取り出す。


「どうした!なにがあった!」


「た、大変です!奴が、『BLUE GILL』が現れました!」


「なんだと!」


 直後、おやっさんはしまったという表情を浮かべる。

 だが、もう遅い。

 俺はさっき外したばかりのコードを首筋に押し込んでおやっさんに聞く。


「位置は!」


「バカ野郎!」


 無理矢理通信を打ち切り、怒鳴り声を上げるおやっさん。


「そこまで部外者巻き込める訳ねえだろ!それも連続ダイブなんて!許せるはずが」


「『BLUE GILL』用のプログラムをさっき思いついた!」


「!」


 おやっさんの瞳に揺らぎが生じるのを、俺は見逃さなかった。


「そいつは、本当か」


「ああ。簡単なもんだから作って渡すつもりだったが、こうなっちまったらしょうがない。現地で組んで試す」


「駄目だ。認められない。そのプログラムは次の機会に試せ」


「言ってる場合かよ」


 しばし、俺とおやっさんは睨み合うする。

 聞き分けがない、頭が固い、それに頑固だ。


「俺の方が電脳世界じゃ余程上手くやれる」


「そうかも知れん。だが、ガキを巻き込むのは大人のやることじゃねえ」


「ふざけてんのか?」


「そりゃこっちのセリフだ。いいか」


 おやっさんは警察手帳を取り出して、俺に突きつける。


「俺が、俺そのものがどれだけ時代遅れになったってこいつを掲げるのは伊達や酔狂じゃねえ。譲れねえもんがあるからだ。俺は確かにお前さんに協力を要請した。だが、それは奴の正体を知るためであって、断じて魚退治そのものに協力してもらうためじゃねえ」


「だが、俺の方が」


「適してるとか、上手くやれるとかは関係ないんだよ。すべきことは、すべき奴がやる。そう回るべきだ。世界ってのは」


 話は終わりだとばかりに、おやっさんは大型のヘッドギアの準備を始める。


「お前は、そのプログラムってのを作って、もし間に合うようなら送ってくれ。仕様書もつけてくれると助かる」


 それだけを言い残して、ヘッドギアで頭を覆ってバイザーを下ろし、電脳世界にダイブしちまった。

 これでもう、おやっさんの意識はここにない。あるのは、抜け殻になった体だけ。


「そうかよ」


 俺はヘッドギアが接続されている端末に向かう。勿論、そこには一般人がおいそれと見れないように、情報には多重のロックがかけられていた。


 だが。


「『第二世代』を舐めるなよ」


 俺はさっきまで自分と電脳世界を繋いでいたケーブルを、端末に差し替える。

 手作業の時間すら惜しい。俺は電脳を使っての直接操作で端末にハッキングを仕掛ける。後は鍵開けの範疇ですらない。無造作に簡単なパズルでもバラしていくかのようにその中身をどんどん暴いていく。


「見つけた」


 目当ての情報を見つけるのに、現実世界では十数秒しか経過していなかった。

 『第二世代』と『第一世代』の間の壁は、それだけ隔絶している。

 おまけに、俺はこういう小技の類は得意なのだ。


「あんなバカデカいもんつけないと電脳世界に入れないくせに」


 俺はケーブルをもう一度、電脳世界に繋がる端子に差し替えた。

 座標の抽出は完了。

 後は、どれだけ離れていようと一瞬だ。


「俺をガキ扱いしたこと、後悔させてやるからな」


 大仰な動作など必要ない。

 俺は軽い眠りにでもつくように、電脳世界に、そして例の『BLUE GILL』のいる座標に。

 ダイブを、開始する。


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