第27話 BLUE GILL ①

「お前なぁ」


 ああ、これは夢だ。


「ちったぁこっちのことも考えてくれよ。俺にも立場ってもんが」


 ずっと昔、まだ、俺が大学に居た頃の。

 あいつと、いたころの。


「あんたらが的外れのことばっかり言ってるからだ」


 一人の専門家としておやっさんに協力していた時代。


「いいか。電脳化した人間に関してなら俺の方がよほど詳しい」


 この時俺は本気でそう思っていた。

 おやっさんのことは、時代遅れの人間だと、有り体に言えば見下してさえいた。


「言うじゃねえか」


「まぁまぁ、二人とも、喧嘩なんてしないで……」


 仲裁しようとする声を無視して、おやっさんと俺は睨み合いを続ける。


「お前は、確かにあっちの世界じゃあ一流かも知れねえ。知識も経験も、俺じゃあちょっと及びもつかねえ域に居る。それは認めよう。だがなぁ」


 俺はその事実を、後になってこれ以上なく実感させられることになる。


「人の悪意に関してなら、俺の方が余程よく知ってるぜ」


 人の原初的な悪意というものに。


 脈絡なく思い出される、昔のこと。


「おい、おい、起きろ」


 なんだよ、うるせえなぁ。


「……本当にこんな奴が?」


 おい、このクソ野郎。人が寝てんのいいことにこんな奴呼ばわりか?


「いや、お前のことを疑ってる訳じゃないが、それでも、なぁ」


「―――――――」


 なんだよ、自分勝手なことばっかり言いやがって。


「お?」


「……うるせえな」


 ベット代わりにしてた眠り心地最悪のソファーから起きあがる。


「何日ぶりの睡眠だと思ってやがる。それを耳元でギャーギャーと」


「そいつは悪かったな」


 ちっとも悪びれることなく、そいつは俺の前に顔写真付きの身分証を突きつけた。


「……なんだよ、これ」


「見りゃ分かんだろ。警察証だ」


「そういうこと言ってんじゃねえよ。俺は捕まるようなことヘマした覚えは無いって言ってんだ」


「挑発的な物言いだな、アルフォンス君」


 ビキリと、ただでさえ厳つかったその顔がさらに引き攣る。

 俺は構わず毛布を跳ね除けて体を伸ばす。節々が痛ぇ。


「それで」


 欠伸と頭痛を押さえつけながら、俺はその人と向かい合った。


「何の用なんだおっさん」


「おっさんじゃねえ。さっき名前見せただろ」


「生憎、一瞬すぎて忘れちまったよ」


「嘘つけ、白々しい。そんな訳ねえだろ。まあ、いい」


 刑事のおっさんが、俺の膝元に何かを投げ込んくる。


「こいつは」


 その紙束の正体は、目を通さなくてもすぐに分かった。

 当たり前だ。何百回、何千時間、そいつと格闘してきたのだから。


「その論文を書いたのはお前で間違いないな」


「違ってたら、間抜けすぎる話だ」


「その内容について、少しばかり興味がある」


「ほう」


 そこそこ分厚いそれは、さてどこら辺が刑事さんの興味を引いたやら。


「お前さんに、専門家として話を聞きたいんだ」


「そうかい」


 俺は論文をぞんざいに脇に抱えて立ち上がると、そのままおっさんの横を素通りする。

 おっさんは、慌てたように俺を呼び止めた。


「おい、どこ行くんだ」


「この時間でも、学内のカフェなら開いてる」


 俺は振り返って、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「この埃っぽい研究室の空気にも飽きたんでね。話ならそっちでしてやるよ。勿論、奢ってくれるんだろ?」


 俺のこれを、この古臭い価値観の持ち主がどれだけ理解できるものか。

 ちょっとばかし、試してやろうじゃないか。




「で、なにを聞きたいんだ」


「お、おう」


 俺は砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲みながら促すが、どうにも歯切れが悪い。

 どうにもこの場所は、このおっさんには居心地が悪いらしい。

 目の前のコーヒーにも手を付けていない。


「俺のこの論文」


 俺とおっさんの間に置いてあるのは、俺の研究の集大成ともいえるものだった。


「こいつの話が聞きたいんだろ」


「……そうだ」


 やっとのことで、おっさんがその重い口を開く。


「『電脳化第三世代論』。一応概要は聞いたが、要領を得ない部分も多くてな」


「それで、俺に話を聞きに来たと」


「そういうことだ」


 おっさんがようやくコーヒーに口を付ける。


「あらかじめ断っておくがな。俺は知的好奇心で話を聞きに来たわけじゃない。必要だからだ」


「ま、そんなことだろうとは思ってたよ」


 こんなおっさんが、ましてや刑事ともあろう人が『電脳人類史学』に興味があるとは思えない。


「それで、必要ってのは」


「ああ。それについてはまず、ある事件について話をしなけりゃならん」


「電脳犯罪か」


「そうだ」


 あまり大きな声では言えないのか、熊みたいな巨体を小さくして、辺りを伺いながら言う。


「そいつの名前は『BLUE GILL』。正体不明の、電脳世界を泳ぐ魚だ」




「そいつは、電脳世界に突如現れた。堂々と、悠々とな」


 曰く、そいつは電脳世界で自由自在に泳ぐらしい。

 曰く、そいつはあらゆるセキリュティをすり抜けるらしい。

 で、どんな悪事を働くかというと。


「そいつは、データを喰うんだ」


 領域データ、個人データ、果ては固有プログラムまで、ありとあらゆるものを食むらしい。


「齧られたもんは、壊れる」


「被害は?」


「……部外秘のリストをやられた」


 苦虫を噛み潰したような顔だ。余程重要なもんだったらしい。


「その他にも企業、個人を問わずに被害報告が相次いでる。それで対策チームが組まれることになったんだが」


 おっさんが腕を組んで背もたれに背中を預ける。その顔には疑問符が浮かんでいた。


「ありゃあ、そもそもなんだって話になったんだ」


「なるほど」


 話が段々見えてきた。


「AIなのか、それとも人なのか」


「それで」


 俺はトントンとテーブルの上の資料を指で叩いた。


「こいつの出番って訳か」


「そうだ」


 この論文の中身、それは電脳世界における、『第三世代』と呼ばれるものについての考察が書かれている。


「その魚が『第三世代』じゃないかと」


「その可能性もあるってこったな」


 『第三世代』とは、そもそも俺たちのような幼少期から電脳世界に慣れ親しんだものを『第二世代』と呼ぶことから、その次の世代を便宜上そう呼称したのだ。


「電脳世界への適応度は、どれだけ幼い頃から電脳世界に慣れ親しんだかで決まる。俺みたいな『第一世代』はどう頑張ってもあの世界には馴染めない。せいぜいがアバターを操縦するような感覚でしかあの世界を歩けねえ」


「対して、俺みたいな『第二世代』は人間として使って電脳世界を自由に飛び回れる」


「そうだ。そして」


 ここからが、本題。


「自我が発達する前から電脳世界につけ込まれた幼児は、『自分』という形が曖昧なまま電脳世界に適応する『自己』を形成する。すなわち」


「電脳世界で人でない形を取り、人の形よりも上手く電脳世界に順応する。それが『第三世代』」


「そっから先は、あんたの方が詳しいだろう」


「そりゃあな」


 まさに、俺の専門分野だ。


「翻って、今回の『BLUE GILL』だが。こいつがどうにも妙なんだ」


「妙ってのは?」


「まず、データを喰うってのがよく分からない。喰ってどうする?取り込んで、閲覧や複製が出来るのか?だが、それにしちゃあデータを悪用した痕跡がいまだに見つからない。なら、栄養に?それこそアホな話だ」


 生物じゃあるまいし、とおやっさんがぼやく。


「その上、動きの精密さも自由度も半端じゃない。公安の精鋭部隊を、まるで嘲笑うみたいにやり過ごす。機械的な動きは一切なし。ルーチンで動いてるようには見えないのさ。それこそ知性があるがごとしだ。それで専門家様に聞きに来たわけよ」


 おっさんが肩をすくめる。


「『超高度なAI』と『変質した人間』を簡単に見分ける方法はありませんかってな」


「っは」


 俺は鼻で笑ってやる。


「それで、もしそんな方法があったとして、なんでそんなもんを知りたい?」


「決まってんだろ」


 急にその顔が真剣になった。


「AIに対するのか、それとも人間が相手なのか。それだけでも対策は大きく異なる。ましてや」


 おっさんがその拳を、ぎゅっと固く握る。


「俺たち『第一世代』は電脳世界に適応しているとは言い難い。海にダイビングスーツで潜って、銛でサメを相手にしなきゃならんのと一緒だ。なら、その生態はなるべく把握しておきたい」


「なるほどね」


 事情は、理解した。


「それで」


 おっさんが前のめりに聞いてくる。


「どうなんだ」


「はっきりいって」


 手をひらひらと振る。


「話を聞いただけじゃ、なんとも言えないね。そもそも『第三世代』ってのもまだ理論の段階だ」


「そうか」


「だが」


 俺は手を止めて、ニヤリと笑う。


「俺が実地で検証すりゃ別だ」


「あ?」


 おっさんは怪訝な表情を浮かべる。


「そりゃ、どういう」


「言葉通りの意味さ」


 俄然、興味が湧いた。


「その捜査に、俺も一枚噛ませろ」


「はぁ!?」


 ダンと、テーブルを叩く大きな音が響いた。


「お前、正気か?」


「勿論だ」


 むしろ。


「まだ実在の確認が取れてない『第三世代』が現れたかもしれねえんだ。なら黙って座ってる方が無理さ」


「だからってな」


「それに」


 俺は指をピンと一つ立たせる。


「専門家が居た方が確実だろ」


「そりゃあ、まぁそうだが」


「なら決まりだ」


 俺はその手を差し出した。


「『BLUE GILL』退治、この俺が手伝ってやる。報酬は弾んでくれよ?」


「なーにを偉そうに」


 おっさんはその手を見つめて、数秒間葛藤したが、最後はバシッと手をとった。


「……仕方ねえ!乗ってやるよ!」


「そうこなくっちゃ!」


 これが、始まり。


「よろしく頼むぜ、おっさん」


「その呼び方やめろ」


「じゃあなんならいいんだよ」


「……せめて、おやっさんだ。現場の奴は大抵俺のことをそう呼ぶ」


 俺とおやっさんが組むことになる、最初の事件。


「じゃあ俺のこともアルでいい。大体の奴は、そう呼ぶ」


 今は遠い、俺の世界の話。


「よろしく頼むぜ、おやっさん」


「ああ、アル」


 あるいはいくつもの後悔の、その始まり。


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