第24話 夜に想う ③


「さーて」


 ざわめきの雑音、好奇の視線。

 そして、少なくない期待。


「うまくいったらおなぐさみ」


 俺はピアニストじゃない。

 だから、この演奏に命を賭ける訳じゃあないが。

 それでも、ちっぽけなプライドくらいはかかってる。

 それも、三人分。


「それじゃあ、始めますか」 


 だから、ま。

 ずるい手でもなんでも使ってやるさ。



 ふっと、会場の明かりが落ち、一瞬だけの静寂が訪れた。

 すぐには動き出さない。ほんの少し、間を持たせる。


「3、2、1」


 暗闇に目が慣れ始めるタイミングで、スポットライトが俺を照らす。

 その中でゆっくりと左腕を持ち上げ、視線を誘導したところで、高らかに指を打ち鳴らした。


「おぉ!」


 同時に俺の周りに展開するホロキーボード。

 普段はこんな展開の仕方はしないが、これも演出の一つ。


「皆様、お待たせいたしました」


 遥を仰ぐ。もうここには、誰も届かない。

 俺だけの場所。俺たちだけの場所。

 贈るべき人は、実のところただ一人。


「これより演奏を始めさせて頂きます。最後まで、ごゆっくりお楽しみ下さい」


 始まりはゆっくりとした曲調。

 静かに、けれど確かに、波紋を広げるように紡がれ、そして反響し、あるいは砕け散っていく音。

 そしてその中を、青く光る何かが、揺らめきながら姿を現す。


「これは、一体」


「なんて美しい」


 会場に姿を見せたのは蝶だ。

 勿論本物じゃない。ホログラムの光で編まれた、綺麗なだけの幻想の蝶。

 観客は、みな初めて見るホログラムというものに魅了され、触れよう手を伸ばしている。

 だが、勿論幻の蝶はその手をすり抜けていくばかり。


「なんだこれは」


「不思議だ」


 俺の演奏は、ほんの少しずつ、けれど着実に速さと、激しさを増していた。

 演奏に合わせて、蝶の数は増えていく。

 そしてある一定のラインを越えた瞬間、それまで堰き止められていた何かを決壊させるように演奏を派手なものに切り替えていく。

 それと同時に、蝶の群れは一つに集まり、天井へと昇っていく。

 駆け上った蝶たちは、そこでまたバラバラに広がり。


「わぁー」


「ほう」


 感嘆の声がそこかしこで上がった。

 広がった蝶たちは、ほどけていく。

 ほどけた蝶たちは、全て細かい光となって降り注ぎ、会場中を青く染め上げる。

 それは、まるで青い光の雪のよう。

 俺はタイミングを合わせてさらに曲調を変化させていく。

 今度は、軽快に、テンポよく。

 変化は顕著だった。

 降り注いだ雪は、床に落ちてもなお、その輝きを失わずにそこにあり続け、唐突に色を変える。


「おぉぉ!」


 あるものは落ち着いた緑に、あるものは仄かな赤に、あるものは輝くような黄色に。

 それらの調和は、まるで突然会場が花に埋め尽くされたよう。


「綺麗ね」


「ええ」


 変化はそれで終わらない。

 光は微かに動き続け、まるで風が吹いているような錯覚を起こさせる。

 ここが一つの正念場だ。

 俺は曲調を段々と緩やかなものに変えていき、最後には。


「あ」


 一曲を完全に終わらせる。

 床に残った色とりどりの光たちは、段々と輝きを失っていき、会場内に暗闇が戻る。

 これで終わりかと、そんな雰囲気が漂う手前で。

 天井一杯に、星空が広がる。

 ホログラムの光が作り上げる空。

 今度は誰も声一つ上げられない。

 俺も演奏を再開する。今度は、厳かで壮大な曲を叩き付けるように。

 こいつをこの偽物のキーボード一つで表現するのは骨が折れるのだが、そこは演出がある程度ごまかしてくれる。

 曲に合わせて星が回る。

 光の尾を引いて、円を描くように空を彩っていく。

 それは、神秘さえ宿す夜の情景。

 本物の夜よりもなお美しい星々の夜。

 人々の視線は、空に惹きつけられている。

 その合間を縫って、一人の人と目が合う。

 俺は小さな目配せで、その視線に応えた。


(あれ?)


 その瞬間、演出と音楽の調和に、ほんの些細な違和が混じる。

 それはたった一瞬で、俺以外に気が付いた奴はいなかった。


(なんだ?)


 だけどすでに過ぎたこと。

 その上、あまりに小さすぎた。

 俺はそれを勘違いだと結論付ける。


(さあ)


 壮大な曲が終わり、俺は間を開けることなく次の演奏を開始。


(最後だ)


 情景は夜からは変化しない。しかし、星の光は薄れ、代わりに空に大輪の花が咲く。

 花火。

 どこからか打ちあがって、派手に輝いては、儚く消えていく。


(こればっかりは、本物には敵わないけどな)


 匂い、音、臨場感、本物の花火は、まさに格別だと言える。

 ホログラムでは再現しきれない、夏の幻。

 観客の顔には、いつの間にか笑顔がある。

 一秒でも、この時間を長く瞳に焼き付けようと空を見上げている。

 誰もが、決して視線を逸らすことなく。

 そしてそんな観客の耳に届けるのは、最後の曲。

 軽く、明るく、馴染みやすい音なのに、何処か遠くに終わりを感じさせるメロディ。

 不思議だ。この曲は、こんなにも陽気なのに、何故か聞くともの悲しさを持ち合わせているんだから。

 そして花火は、段々とその数を減らし始める。

 皆、思っているだろう、もっと、もっとと。


(だけど)


 駄目さ。

 この曲には、折り返すべき場所、最初に戻ってループできる箇所がある。

 そこを無慈悲に通り過ぎて、そのまま最後の一音まで、駆け抜ける。

 空に、一際大きな花火が上がった。

 それが、終着。

 あっさりと、空から幻の光は消え、あとには、余韻だけが残った。


 消えていた照明が灯る。

 これで、本当に終わりだ。

 会場全体が俺に視線を向けて、そこで小さなどよめきが起こった。

 いつの間にか、俺の横にはロッテが立っていたからだ。誰も気づいていなかっただろう。

 花火に視線を吸い寄せられている間に、ロッテは俺の隣に移動してきたのだ。

 今はお嬢様らしい澄ました顔してるが、こいつ内心じゃあ、したり顔してるだろうな。


「皆様」


 ホロキーボードを消して、少し前に出る。

 そこで、優雅に一礼。


「これにて全ての演目を終了させて頂きます。お楽しみ、頂けましたでしょうか?」


 そんなのは決まってる。

 これは、勝利宣言に他ならない。

 それは、次の瞬間会場を埋め尽くした、割れんばかりの拍手が証明していた。


「素晴らしい」


「芸術的だ」


 俺たちを包み込む賞賛の嵐。


「これほどであれば、エレオノーラ様が目をかけていらっしゃるのも納得だ」


「是非!是非うちの領内でも今の演奏を……!」


 最初にあった劣等感はすでに消え去っている。

 同時に、俺の内で暴れ出しそうだった暗いなにかも。


「申し訳ありません」


 誰もが口々に、演奏の依頼をしてくるが、俺はそれらを全て断る。


「これは、ロッテ様の協力があって初めて成り立ちます。この場以外では、披露することが出来ないのです」


 嘘だった。やろうと思えば俺一人でも再現くらいはできる。だけどやる気は無い。

 この夜限り、一度だけだからこそ価値はあるのだ。

 安売りなどもってのほか。


「そうですか」


「それは残念」


「そこを、何とか!」


 反応は様々。だが、誰一人として、俺を軽んじる奴はいない。

 いや、内在的には存在するが、ここで糾弾しては分が悪いと悟って表には出さないのだろう。

 ひとまずは、これでいい。


「本当に申し訳ありません。ですが、普通の作曲の依頼でしたら喜んで……」



「すみません、通して頂けますか」



 その声が響くと、人垣が割れた。

 こちらに向かって歩いてくるのは。


「エレオノーラ様」


 なんだか、これでようやく姫さんと再会できたと、そんな気がした。


「楽しんで、頂けましたか?」


「はい、とても」


 俺たちを囲む視線に、嫉妬はあっても下卑たものは無い。


「あの日、酒精の町で精霊様に認められたあの演奏に負けずとも劣らない素晴らしいものでした」


「なんと」


「まさか、それほどの腕が」


「いえ、その価値があります。私には分かりますぞ」


 会場全体がどよめく。

 これは、姫さんなりの仕返しのつもりか。

 俺は苦笑を浮かべつつ、それに応える。


「それはよかった。では月の美しき夜にでも、今日のことを思い出して頂ければ幸いです」




「なーに逃げてんだよ」


「うるっさいなぁ」


 騒動も一段落した後、会場の外で俺は逃げたもう一人の功労者の肩を叩く。


「ボクはああいう煩いのは苦手なんだ」


 まぁ、こいつは確かにそういうタイプかも知れない。

 俺はぽんと、いつもは帽子に収まっている頭に手を置いた。


「お疲れ」


「ふん」


「演出、見事だったぞ」


 実際の所、俺の苦労なんて大したことは無い。

 それよりも、あの余興が成功したのはこいつの功績が大きい。

 即席であれだけのコードを再現できるのは、こいつの実力が飛びぬけているからだ。

 はっきり言って、俺では前準備なしには無理だった。


「……ボクにかかればあれくらい、余裕だよ」


 素直じゃない奴だ。


「ねぇ、アル」


 ロッテが、躊躇いがちに聞く。


「エレンは、喜んでた?」


「ああ、勿論」


「そう。よかった」


「お前も、あの場に居ればよかったのに」


 そういうと、ロッテは露骨に不機嫌そうな顔になる。


「そんなの、ダメに決まってるだろ」


「なんでだよ」


「なんでもだよ、バカ」


 ぷいっと、そっぽを向いて俺から逃げるように距離をとる。


「ボクにだって、それくらいは分かるんだよ」




 夜会が終わり、招待客はみな帰宅の途に就いた。

 明日の話題は、この夜会のことでもちきりだろう。


「さて」


 けれど、それは、明日の話。

 俺の今日はまだ終わっていない。

 日付が変わる少し前、深夜と呼べる時間帯に、俺は不可視の姿をとって、城壁の前に立った。 

 夜会のあれは新進気鋭の作曲家、アルフレッドの事情。

 ここから先は、姫さんと旅したアルの事情だ。


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