第21話 枠組みの風景

「~~~~♪」


 不思議だ。前は面倒なだけだったことが、今は、こんなにも楽しい。


「~~~♪」


 旋律を思い出しながら、追うように鼻歌を口ずさんで、なんだかそのメロディーそのものが嬉しくて、つい笑みがこぼれる。

 ボクって、こんな人間だったっけ?


「ま、いいか」


 手順通りに出来上がったそれを、綺麗な箱に盛り付けて、バスケットに丁寧にしまう。その上に、清潔な布を敷いて、準備は完了。

 バスケットを箒の先端に括り付けて、ボクは研究塔の窓に足をかける。天気は快晴。風は良好。


 今日はなんだか、いい日になりそう。


「あっと」


 忘れちゃいけないと、ボクは机の上に置いてあった手紙をバスケットの中に差し入れる。

 それから、ちょっと姿見の前に寄り道して自分の姿を確かめた。

 いつもよりちょっとだけ丁寧に櫛を入れた髪と、お気に入りの帽子。白と黒を基調にしたお出かけ用のローブ。靴は、箒で飛ぶのを邪魔しない革製のブーツ。


「うん。ま、合格」


 知り合いに会いに行くだけなんだから、これくらいが自然さ。

 これでほんとに、準備は万端。


「よーし」


 ボクは箒にまたがって、開け放った窓から飛び出す。

 ふわりとした浮遊感。

 ボクは一度中空で制止。念のために窓を閉めて、魔術で鍵をかけておく。研究資料とか置いてあるから、念のためにだ。

 しっかりと戸締りを確認してから、ボクは滑るように高く高く、空へと昇っていく。

 さあ、行こう。

 なんだか少し、飛ばしたい気分だ。


「アルー!いるのー!」


 城下町の端の方の閑静な場所に、その家はこじんまりと佇んでいる。

 色んなとこを見て回って、アル本人がこの場所とこの建物を気に入って購入したものだ。


「もう」


 とりあえず、戸を叩いても返事は無い。

 呆れることに、いつもこうだ。


「なら、勝手にやらせて貰うよ」


 ボクはドアノブに手を伸ばした。

 ここの鍵は特殊だ。アルが実験がてら自分で作ったオリジナルの術式を組み込んでいて、どんな凄腕の魔術師も盗賊も、無理やり開けることなんて出来やしない。そういう特別性。

 勿論、ボクを除いて、ね。


「よしっと」


 いつものように勝手に鍵を開けて、ボクは室内に足を踏み入れる。

 まずは、寝室を覗いてみる。


「アルー?」


 だけど、ここにはいない。最初から、そんなに期待はしてなかった。この部屋のベットでアルが寝ていることは少ないのだ。

 ボクは次に居間に足を踏み入れる。ここのソファで寝ていることが、一番多いんだけど。


「ここにもいない、じゃあ、あそこか」


 最後の、一番奥まった部屋。

 ボクは一度キッチンに寄ってバスケット置いてからその部屋を訪れる。

 そこはアルのアトリエ。

 この家の色んな所にずけずけと入り込んだボクだけど、此処だけは別だ。

 ここはアルにとって、静寂であるべき場所。ボクの工房と同じ。

 だから、アルが作業中だったなら、邪魔だけはしちゃいけない。

 そっと中を覗き込むと、そこには乱雑にものが積まれている。幾多の本に、吊るされた羊皮紙。羽ペンに、散乱した紙。箱一杯に差し込まれたスクロールに手紙の山。

 そして、ドアに背を向けるように作られた作業台に突っ伏す影が、一つ。

 ボクは足元に気を付けながら忍び足で作業台に近付いて、その姿を確かめる。

 寝てる。

 穏やかそうな顔で、インクの跡なんか顔につけて。


「ふぅ」


 作業中じゃなくて、良かったと思う。

 この机に向かって集中してる時のアルは、少し声を掛けづらいから。

 けど、寝てるだけなら問題ないや。

 ボクはアルの肩を揺する。


「アル、起きて」


「んー……」


 起きない。

 仕方ないなぁと思いながらもう一度、今度は少し強めに揺する。


「ほら、アル。こんなとこで寝てたら風邪ひくよ」


「う、ん飯、ハン、バーガー」


「もう」


 まだ寝ぼけてるみたいだ。


「お腹減ってるの?ご飯、持ってきたよ」


「あー」


 まだ机に突っ伏したまま、アルが寝言交じりに呟く。


「ジャンク、フード、が」


 ピキ。


「こらー!起きろー!」


「うお!おい、なんだ、どうした」


「このー!」


 突然の大声に跳び起きたアルが、辺りをキョロキョロと見回す。


「ボクの!作った!ご飯を!ゴミだと!」


「ハァ?」


「アルのバカー!」


「なんの話だー!」





「信じられないよ」


「本当だって。俺の世界じゃあ、そういう名前の飯があんの」


 ロッテが露骨にウェーという顔をする。


「なに?そんなに不味いの?」


「……いや、美味い」


 俺たちは今、キッチンに居る。

 アトリエで暴れられては敵わないので、俺が無理やりロッテを抱きかかえてここまで運んできたのだ。途中で、何発も胸をポカポカと殴られた。


「なんで美味しいのにゴミなんて呼ばれるのさ」


「美味いけど、健康に悪いんだよ」


 だからこそ、中毒性があるんだけどな。


「ああ、くそ。思い出したら喰いたくなっちまった」


「こっちじゃ作れないの?」


「無理だろうなぁ」


 同じようなものは作れても、あのケミカルな味は再現できないだろう。

 口惜しい。


「はぁ、無いもんのこと考えてもしょうがない。飯にしよう」


「あ!」


 俺はロッテが持ってきてくれたバスケットを開けて、中からランチボックスを取り出す。


「勝手に出すなよ!」


 そうは言っても止めに入っては来ない。俺は丁寧にランチボックスの蓋を外して中身を拝見する。


「お、サンドイッチか」


 件のジャンクフードとは違って、実に健康そうで彩り豊かだ。


「いただきますと」


「…………そのハンバーガーとやらを食べればいいじゃないか」


「ぼやくな、すねるな。夜は俺が作ってやるから」


「……ほんとう?」


「ああ。勿論だ」


 それでロッテも機嫌を直してサンドイッチに手を伸ばす。


「お茶、淹れてよね」


「はいはい」


 俺は立ち上がって茶の準備をしながら考える。

 さて、晩飯の材料、なにがあったっけ。

 ま、適当に作ればいいか。





「それで」


「んー」


 食後の茶を嗜んでいるロッテに、俺は聞く。


「お前、今日は何しに来たんだよ」


「あー」


 行儀悪くテーブルに顎を乗せてだらだらしているロッテ。こんなのが稀代の天才魔術師だなんて呼ばれているとは。


「そうだ。これ、これ」


 ロッテがローブから取り出したのはそこそこ分厚い紙の束だ。


「コードの解析。進んだから見て欲しいんだ」


「……ああ」


 あれから、ロッテは俺の世界のコードにえらくご執心だ。未知のものに心をくすぐられる性質なのだろう。


「一応、見せて貰う」


 俺はパラパラと資料をめくり、流し読みで内容を確認する。


「……問題は無いと思うぜ。多分」


「そう」


 俺が見た限りでは、書き込まれたコードに間違いや矛盾は無い。この世界でも十分使える代物だろう。


「つってもな。もうすでにこの分野じゃあお前のほうが詳しいだろ」


 この世界でコードを使う技術。ロッテは今それを研究している。

 こうして時々その成果を見せに来るのだが。


「俺はもう、読み解くだけで精いっぱいだ」


 俺が教えることなんて、すでに無いと言っていい。とっくに、ロッテのほうが先を行っている。

 だというのに、ロッテはこともなさげに言うのだ。


「それでも、アルに見て欲しいんだよ」


「そんなもんかね」


 俺は肩をすくめる。ま、間違いがあったら指摘はしてやれるか。

 あったらの話だが。


「それはいいけど、ロッテ。お前ちゃんと俺が元の世界に帰るための研究も進めてるんだろうな」


「え?あー」


 ロッテの目が泳いだのを、俺は見逃さない。


「おい」


「いや、やってるって。今はちょっと、ちょっとだけこっちの研究に力入れちゃってるけど」


「……はぁ」


 こいつ、絶対忘れてやがったな。

 好奇心旺盛なのはいい。興味を持ったら一直線なのも。

 だけど少しばかり、融通が利かないのは欠点だ。

 俺は小さく鼻を鳴らしてからいう。


「ま、いいさ。気長に待つよ」


 嘘だ。

 本当は、今すぐにでもこいつを動かして帰るべきなのだ。

 それが一番、あの未来を回避するためには手っ取り早い。

 だけど。


「ここは、居心地がいいからさ」


 それもまた、事実だった。

 なんというか、向こうじゃずっと感じていた焦燥感のようなものが、ここにはない。


「さて、と」


 俺は立ち上がり、軽く伸びをする。


「作業に戻るわ。まだ、依頼の曲が完成してないんだ」


「評判、いいみたいだね」


「まあな」


 俺は現在、天才作曲家として名が売れている。

 素晴らしい曲を、凄まじいペースで発表しているのだから当然だ。それも、王女様のお墨付きなのでなおさら。

 依頼の手紙やファンレターが積み上がり、金庫の中身も溢れんばかりときたもんだ。


「全部盗作のくせに」


「著作権侵害で訴えられるもんなら訴えてみろってんだ」


 世界跨いで来れるもんならな。


「せこい」


「誰も損してないだろ」


「その考え方が、またせこいんだよ」


「なにおう」


「べー」


 言うだけ言ってロッテは箒を持って出て行ってしまった。


「ったく」


 ま、約束もあるし夜にはまた来るだろう。

 俺は編曲と今夜の飯について思考を巡らせていると。


「あ、そうだ」


 ロッテが戻ってくる。

 その手は、バスケットの中をごそごそとまさぐっていて。


「これも、用事の一つ」


「あ?」


 すっと、ロッテが何かを放る。ふわりふわりと俺の手元に舞い落ちてくるそれを、俺は両手で受け取った。


「手紙?」


「招待状」


「なんの?」


 にひー、と楽しそうに笑う。

 悪戯を成功させたガキみたいに。


「エレンからだよ。今度の夜会に、是非新進気鋭の作家様をお招きしたいってさ」


「おい!それを早く言えよ!」


「じゃーねー」


 今度こそ、ロッテは逃げるようにキッチンから出ていく。

 俺は詳細を聞こうと慌てて後を追いかけるが、いかんせんスタートが遅すぎた。

 俺が玄関から出る頃には、ロッテはとっくに空の上で。


「約束、忘れないでねー」


 空中に尾を引きながらそれだけ言い残して、自分勝手に帰っていく。


「ったく」


 最近ますます無遠慮になっていくな、あいつ。


「そんなことより、だ」


 ペーパーナイフはアトリエに置いてある。

 俺は手紙に押されている、豪奢な印を眺めながら室内に戻った。

 ロッテに聞かずとも、詳細はこの中に記してあるだろう。

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