第15話 夜明け

 ドクン。


「え?」


 最初に感じたのは、世界が書き換わるその感触。

 魔術が行使されて、全く新しい法則が世界に置き換わって。

 そうして、現象が起きる。


「アル?」


 その中心に立っているのは、ボクが呼んでしまった異世界の人間、アルだ。

 彼の周りには、見たこともないような式が並んでいる。

 このボクが、全く聞いたことも見たこともないような法則で形作られるそれらは、あまりにも。


「綺麗だ」


 自分の全く知らない、理路整然としているのに自由な術理。

 書き換えるのではなく、上書きするのでもなく、新たに現象を創造するかのような方程式。

 どれだけの人間が、どれだけの物を費やせば、あんなものを積み上げられるんだろうか?


「けど、なんで」


 アルは、魔法も魔術も無い世界から来たって言ってた。

 それが、どうして。


「今は、いいや」


 ボクは、ボクの今すべきことを考える。

 どうすればいいかなんて、全部、分かってるじゃないか。

 

 三枚のカードには、それぞれ別の意味を込めた。

 そのカードを束ねて、一つのカードを再構築する。


「まずは」


 現状一番の脅威。あの厄介な投石を行うチャリオットからだ。


「行け!」


 命令を下すと、カードは俺の指定した通りの位置に滑るように送られていく。

 カードが目標にぶつかる直前、それを阻害するかのような透明な壁が一瞬現れ、それを。


「成功だ」


 思わず笑みがこぼれた。

 俺のカードは防壁の網を潜り抜け、チャリオットを引いていたイノシシにぶつかり弾ける。


「ブフォォォォォ!」


 簡単な麻痺効果しか付与できなかったが、効果は絶大だった。

 イノシシはその場で大混乱を引き起こし、暴れ、チャリオットの制御は不可能に陥る。


「あばよ」


 そのまま、慣性に引きずられ、横転。

 もう、俺たちを追うことはできないだろう。


「次だ」


 カードに込めた効果、誘導、すり抜け、麻痺、全てがきちんと機能を果たした。

 俺は再度コードを手書きで書き込み、もう一度三枚のカードを構築する。


「ちくしょう」


 コピー&ペーストが出来ないなんてあまりにも非効率だ。

 いちいちこんなめんどくさいものを書き込まなきゃならないなんて。


「っぐ」


 疲労で片膝をつく。

 体力の消費が激しい。

 なんとなく理解できた。

 俺のこれは、無駄が多すぎるのだ。

 どれだけ単純なコードだけで構築したって、この世界のことを理解していない分のズレが、ツケとして俺の体力に回ってきている。


「設定、変更」


 目の前に現れた真っ赤な警告文を全て無視して脳を切り替える。途端に体が軽くなった。

 身体に一切の疲労を受け取らないよう指示を出したのだ。

 これで、まだ動ける。


「コード」


 再び三枚のカードを一枚に集約。


「『ブラック・メール』。行け」


 馬車の前方を走る騎兵に視線を合わせ、今一度カードを繰り出す。

 カードは、今度も狙いたがわず目標を追尾し、その防壁をすり抜けて馬に直撃する。

 馬が暴れ出し、騎手が振り落とされる。

 これで、残るは一騎のみ。


「コード」


 意識を覚醒させろ。

 まだ、終わっちゃいない。


「『ブラック』……!」


 残りの体力を全て絞り出すように、コードを途中まで書き込んで、不意に手が動かなくなる。

 それどころか。


(あ)


 視界がぐらついて、制御が効かなくなる。


「もう、少し」


 あと少し、あと少しなんだ。

 だが、俺の体は言うことを聞いてくれない。

 あの一騎さえ潰せば、逃げ切れる。

 それでも、バランスをとることすら難しくなって、俺の手からはせっかく書き込んだコードも消え去り、体からは、一切の力が無くなる。

 そのまま、前のめりに倒れそうになって。


「もう、何やってんのさ」


 誰かが俺の体を、倒れないように支えた。


「……ロッテ?」


「そのままじゃあ、君死んじゃうよ?」


 だとしても。

 こんな格好悪い姿を見せる訳にはいかない。

 俺は無理矢理もう一度立ち上がろうとする。

 だが、やはり足に力は入らなかった。


「俺が」


 電脳化だけでなく、体までサイボーグにすると決めたときから、俺はそうだ。


「俺が、一人でやらないと」


「君は……」


 ロッテが、落ちないように俺を横たえた。


「大丈夫さ」


「何を」


 夜空に月が出ている。その光を浴びて、ロッテの理知的な瞳が輝きを帯びる。


「今度は、ボクが君を救う番だ」


 言って、ロッテが片手を振るうと、それだけで彼女の手の中には三枚のカードが現れる。

 そんな、バカな。


「言ってなかった?ボクは天才術師なんだよ。あれくらい、一度見れば理解できるさ」


 振るったその手をぎゅっと握ると、三枚のカードは一枚に再構築される。

 俺と同じ手順なのに、圧倒的に早く、無駄がない。


「さあ、行くよ。コード『ブラック・メール』」


 二本だけ指を立てると、それをすっと、最後の騎手に向ける。

 騎手は、矢をつがえ、木馬に狙いを定めているところだった。

 間に合わない。

 そう思った瞬間。


「行けー!」


 ロッテがカードを放つ。

 その速度は、俺の作ったものとは比べ物にならないくらい、早い。

 射手が矢を放つよりも前に、カードは防壁をすり抜けて、目標に当たる。

 ロッテが狙ったのは馬ではなく、騎手そのものだった。

 その上。


「ぎゃぁぁぁぁ!」


 騎手が悲鳴を上げる。

 俺の付与した麻痺効果とは違う。

 騎手に当たった瞬間、カードは凄まじい光をまき散らし、夜を明るく染め上げた。

 あれは、電撃?


「ちょっと、ボクの好みにアレンジさせてもらったよ」


 馬から騎手が落下し、後方に流れていく。

 あの電撃を喰らって生きているかどうかは疑問だが。


「少なくとも、もう追ってはこれないだろうね」


 ロッテが不意に笑顔を浮かべる。


「ボクらの、勝ちだ」


 そうか。これで。


「終わりか」


「うん。カークには悪いけど、このまま夜通し目的地まで突っ走って貰うからね」


 ロッテが、俺の横に腰を下ろした。


「もう、安心していいよ」


「そうかい」


 ちくしょう、いいとこ全部持ってかれちまったな。


「このまま、寝るわ。少し、疲れた」


「うん。お休み、アル」


 俺は、強烈な眠気に身を任せて目を瞑る。

 何故だろうか。

 今日の眠りは、こんなにも穏やかだ。




「あ?」


 次に目を覚ました時、最初に感じたのは左手の違和感だった。


「あ、起きた?」


「なんで」


 俺は手を持ち上げる。


「なんでお前、俺の手握ってんの?」


「そりゃだって」


 ロッテの手と俺の手は重なっている。

 その手を通じて、何か温かなものが俺の中に流れ込んでくるようだった。


「君、魔力切れで死にかけてたんだよ。だからこうしてボクの魔力を分けてあげてるの。その証拠に、体、多少元気になったでしょ?」


「なるほど」


 確かに、体は多少動くようになってる。

 それに。


「温かい」


「それもボクの魔術だよ。風邪ひかないようにね」


「至れり尽くせりだな」


 俺は体を引き起こしてロッテの横に座り込む。


「ねえ」


「ん?」


「君が使ったあの魔術、あれは、なに?」


 なに、ときたか。


「言わなきゃダメか」


「ダメだね。ボクは知りたいんだ」


 そういえば、こいつ本職は研究者だっけ。

 俺は考える。何を、どこまで、どんな風に話すか。

 適当な嘘をつくのもありかなと、そう思った時だった。


「あ」


 ロッテが声を上げる。

 つられて、俺も顔を上げた。


「夜明けだ」


 空から星は消えて、代わりに遠くの方で光が見え始める。

 俺は、それを見て、なんだか話してもいいような気分になった。


「そうだな」


 朝日が、俺とロッテを照らし出す。


「何から、話そうか」





「ふーん」


 俺の説明を一通り聞いて、ロッテは空を見上げた。


「ここよりも、自由な世界か」


 俺は電脳世界のことを話した。

 コードは、そこで世界を書き換えるためのプログラムで、この世界でも応用が利くものだと。


「いいなぁ」


 その瞳にあるのは憧れ。

 この空よりも自由な場所があるということへの、憧憬。


「行ってみたいなぁ」


「さて」


 無理だと笑うのは簡単だったが、それはこの場に似つかわしくない気がする。


「お前が俺の世界に来るか、この世界であと二、三千年生きるか、魔術で代用するかだな」


「どれも、ボクなら可能だね」


「バカかお前は」


 俺は笑いながら言った。


「ねえ、アル。ボクにもそのコードっていうの、教えてよ」


「興味あるのか」


「勿論。全く見たことのない術式だ。もしかしたら、新しい魔術体系が出来上がるかもしれない。ううん。きっとそうしてみせる」


 楽しそうに、興奮気味に話すロッテ。


「で、どうなのさ」


「分かったよ」


 俺はその様子に、苦笑しながら答えた。


「俺が知ってる範囲と、手元に残ってる資料の分くらいは教えてやる」


「本当に!やった!」


 ロッテは、その場で飛び跳ねそうな勢いで喜ぶ。


「じゃあ、じゃあ早速頼むよ!」


「おいおい、今、ここでか」


 いくらなんでも、急すぎないか。


「問題ないよ。太陽はまだ昇ったばっかり。目的地に着くまでまだ時間はたっぷりある」


「お前、疲れとかは?」


「全然!」


 あれだけ大暴れして、俺に体力まで分け与えてるのに、元気な奴だ。


「知りたいことがあるんだ。なら我慢なんてしてられないよ!」


 まるで子供みたいな奴だ。知的好奇心の塊で、知りたいって思ったら、止められない。そんな。


「ま、いいさ」


 これでも人に教えるのは得意だ。


「まずコードの基本はな」


 今はまだ夜明け。

 時間なら、ある。


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