第10話 酒精の町 ③
流麗な旋律と慈しむような音の波。心が、魂が、惹かれていくみたいだった。
ボクたちとは根本から違う何かが、ボクを捉えて離さない。
けれど、その美しい音を奏でる君は、何故か悲しみを、孤独をその奥に湛えているようで。
不覚にも、思ってしまったんだ。
君の抱える何かを、その意味を、知りたいって。
思って、しまったんだ。
軽快に指が走っていく。驚くほど調子がいい。
楽譜などいらなかった。何千、何万と弾いてきた曲だ。重厚な旋律を、本物のピアノで、何度も何度も。
その通りに動かしていけばいい。ただ無心に、考える必要さえなく、届くように。
そうして生まれる音の、なんて、なんて儚いことか。どこにも響かず消えていく光のように、ただひたすらに空虚な。ああ、くそったれ、これが本物のピアノだったら。
それでも、時間は過ぎる。永遠は無い。いつしか最終小節の最後の一音にたどり着いて、俺は優雅に一礼する。かつて見て、ある人達のように。
そこで生まれたのは、割れんばかりの大歓声と拍手、ではなく。
「アルフレッドさん。大変素晴らしかったです」
ほんの少しの人たちの、暖かい賛辞だった。
「ああ、ありがとう」
ホログラフィックのキーボードが掻き消えて、それで幻から覚めたような心地になる。
けれど、まぁ、なんだ。電脳世界から帰って来たときよりかは、心地いい。
「それで」
汎用ツールを懐にしまって、爺さんに聞く。
「もう一方のお客さんは、満足しましたかね」
「……ええ、ええ決まっておりますとも」
爺さんは今にも泣きそうだ。
「聴いたことのない素晴らしい楽曲に、聴いたことのない素晴らしい演奏。あなたは、さぞ名のある音楽家なのでしょう」
「おいおい。大げさだな」
ちょっと照れくさかった。
「いえいえ。あなた様にこの町は救われました。これで今季の酒も安泰に……。おや?失礼」
爺さんが慌てて酒蔵の奥に潜っていく。
「おいおい、俺も旅芸人扱いか?」
それとも、なにか気に障ったことでもしたのだろうか?
爺さんは程なくして戻って来た。その顔は、なにか言い知れない凄みに満ちており、その手には……。
「「「かんぱーい!!!」」」
グラスを合わせる音が響いて、それから一様に、皆で酒をあおる。
結局、もう一泊することになっちまった。
「おいしい!お酒って好きじゃなかったけど、これは本当においしいよ!」
「それはそうでしょう。なんといっても、酒精から直に贈られた品なのですから」
爺さんが蔵の奥から持ってきたのは、精霊からの贈り物だった。
なんでも、ごく稀に、精霊の方から人間に、贈り物として酒を渡すことがあるのだそうだ。
「これは、実に稀有なことです」
ラベルも何もないビンに詰まった酒を俺に手渡しながら、爺さんは言った。
「数年に一度、いえ、十数年に一度あるかないかというほどのことで、ここ数年はとんと聞きませんでした。私が、この蔵の管理人になってからは間違いなく初めてのことです。このような栄誉ある演奏に立ち会えたことを、私は誇りに思います」
そこからはちょっとした騒ぎだった。精霊の機嫌は直り、職人は急ピッチで酒造りを再開。
俺の演奏は噂になり、もう一曲と何度もせがまれたが、その全てを丁寧に断った。
そして爺さんに、是非お礼がしたいからもう一泊していってくれと言われて通されたのがこの宿だ。
この酒に一番あう料理を出してくれるとのことだった。
「なるほど」
俺は疲れたからと言い訳して、一人離れた席で酒と料理を堪能していた。
「これは、確かに美味いな」
元の世界でも、これほどまでに美味い酒を飲んだことは無い。高い酒に縁が無かったのもあるが。
「アルフレッドさん。ここ、いいですか?」
「おう」
姫さんが、向こうの輪から外れて俺の近くの席に腰を下ろす。
「お邪魔でしたか」
「いや、そんなことはないさ。ちょっと騒ぎたい気分じゃなくてね」
あっちはあっちで楽しそうだとは思うが。
「そうですか。あの、少しお話させて貰ってもいいですか?」
「ああ。いいよ」
俺は少しだけグラスを傾ける。
「さっきの小さいのが、アルフレッドさんの世界の楽器なんですか?」
汎用ツールのことか。
「少しだけ違うな。あれはなんでも便利なもんを放り込んだ機械だ」
「なんでも?」
「そう。あのキーボードは、その機能の一つ」
電話やメールは勿論、聴くだけの音楽やら計算機やら色々だ。
「辞書や図鑑だって入ってるよ。この世界で通用するかどうかは怪しいけどな」
「まぁ、それは凄い。カガク、でしたっけ」
「そう科学」
俺たちの世界の、魔法みたいな力。
「それはこの世界でも再現できるんでしょうか?」
「……ちょっと難しいかな」
いくらなんでも、文明のレベルが違い過ぎる。
どれだけ針を勧めれば、この域までたどり着くやら。
「そうですか。残念です」
それから、話題が少し変わる。
「アルフレッドさんって、音楽をやっていたんですね」
「……まぁ、ね」
この日の俺は、せっかくだからとアルコールの分解設定をオフにしていたから、少し酔っていた。
「俺の両親はさ、ピアニストだったんだ」
だから、口はちょっとだけ、軽くなっていた。
「ピアニスト?」
「ああ。ピアノって楽器を弾いて、金を貰う仕事さ。世界的に有名な人たちでね。俺や、俺の兄弟は
みんなピアノを習ってた」
けど、別に強制されてやってたわけじゃない。ただ両親のことを理解したくて、両親もそれが嬉しかったのか、俺たちに優しく丁寧にピアノを教えてくれた。
「俺には二人兄貴がいるんだけどさ。そのうちの一人がピアノの道に進んだよ。俺は、ピアノを弾くのは好きだったけど、プロを目指すほどじゃなかった。それよりも、強く惹かれるものがあった」
それが、電脳世界。
「だから、俺のピアノはそこまでだよ」
「けど、本当にお上手でしたよ。この旅が終わったら、演奏家になってみるのはいかがですか?」
「はは、それならさ」
演奏家よりも。
「どうせなら、俺は俺の世界の曲をこっちの世界の楽譜におとしてみたいな」
「まぁ、それは素敵な考えです」
「そうだろ?どうせなら一代の音楽屋よりも、何代もずっと弾き継がれるものを残したい」
そっちの方が、いくらか意義があるような気がするのだ。
「そうですね。今日弾いて頂いた曲も素晴らしいものでした」
「だろ?あれは俺の世界で、千年、二千年と生き続けた音さ。それだけの価値が、あれにはある」
俺はその上澄みをかすめ取っただけのこと。
「だから、あの曲を選んだんですか?」
「ん?」
「今日、あの場であの曲を弾いた理由ですよ」
「ああ、少し違うな。俺は一時期、あの曲をずーっと弾いていた時期があるんだよ」
「そうなんですか?それは、何故?」
「何故、……何故だったかな」
意識が朦朧としてくる。少し、眠い。
「気に入ってたからじゃないかな」
「そういえば聞きそびれていました。あの曲の名前はなんと言うんですか?」
曲、あの曲の名前。
そう、あの曲は、確か。
「レク、イエム」
ボクは、視界の端にずっとその二人を捉えてた。
エレンと、アル。
アルはなんだか眠そうな目をしていて、エレンはアルの話を楽しそうに聞いていて。
なんの話をしているんだろうと気になったけど、少し遠いこのテーブルからじゃ意味までは全然聞き取れなくて。
ただ、そんな二人を眺めてた。
ずっとずっと、眺めてたんだ。
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