第9話 酒精の町 ②

「一流の騎士というものは」


 最初に手を挙げたのは権威に弱いヘタレ騎士、カークだった。


「あらゆる教養を求められるものだ。時としてマナー、時としてダンス、時としてユーモア。護衛としての実力は言うに及ばす、魔術、歴史、生物などに関しても深い知識を求められる。そして当然」


 ちゃっと、バイオリンらしき弦楽器を構えて、キザったらしくウィンク一つ。


「音楽もその中には含まれている。生憎と愛用の品は持参していないので借り物で失礼させていただく」


 わー、と、期待を込めて拍手しているのは姫さん一人だった。俺たちは一様に、楽器を貸し出してくれた爺さんも含めて、はよ始めろ、くらいの気持ちでいる。


「本来、ヒテルンバルクの流儀では演奏の前にその曲にまつわる悲喜演歴を語るのが習わし。本日は語り手不在なので、奏者である僕自身が、語らせていただきます。この曲は……」


 楽器を構えてからが長い。段取りの悪さが際立ってやがる。最初は期待してた姫さんすらも、まだかなー、という具合ですでに飽きはじめていた。


「と、いう訳で彼らの勇名に敬意を表して」


 クソ長い語りを終えて、演奏が始まる。むかつく決め顔で奏でられる音は、なるほど、教養として実に完成されたものだ。堂に入っていて、旋律に狂いはなく、動作は洗礼されている。

 興が乗ったのか、目を瞑り、自身の高ぶりを抑えながら弦を振るう。そして、その頭に。


「あで!」


 フライパンが投げ落とされる。


「誰だ!僕の頭にこんなものを投げたのは!」


 無論誰も手を上げない。というか、投げたのは俺たちではなかった。


「あのー」


 町の代表者として爺さんがおずおずと説明をしてくれる。


「それは恐らく、精霊様が投げたものかと」


「何故精霊がフライパンを投げる!」


「まことに申しあげにくいのですが、演奏が気に入らなかったからかと」


「何故だ!」


 あれだけ長い口上を挟んで置いてあの程度の腕前じゃあなぁ。

 別に下手くそなわけではない。十分聞けるレベルではある。だが、所詮は教養で習っただけの腕だ。そもそも、専用の演奏会ではなく社交界でいい恰好させるためだけの音楽など、毎日プロの音を聴いている精霊とやらには通用しないらしい。


 自称一流の騎士がすごすごと演奏台から降りる。


「っく、僕愛用の楽器さえあればこんなことには」


「お前騎士が決闘の後に剣に文句言ってたらどう思うよ」


「そんな奴は騎士の風上にも置けないな。道具のせいにするなんて三流のすることだ」


 とりあえずこいつは演奏家の風上にも置けないことが分かった。


「では」


 姫さんが立ち上がった。


「次は私にやらせてください」


「あの、姫様、やっぱりやめた方が……」


「ロッテ、私には義務があります。民の安寧を守る義務が」


「いやだからそういうんじゃなくて」


 金髪の制止を振り切って、姫さんが前に出る。金髪はあわあわと狼狽えていた。


「なぁ」


「なんだよ」


「姫さんの演奏って、なんか問題があるのか」


「……ある。じつはエレンは」


 騎士が弾いていたのと同じ楽器を手に取り。


「ものすごく演奏が下手なんだ」


 騒音が鳴り響いた。


「おい!これ、嘘だろ!」


 空間にクソ程反響する下手くそな不協和音。何故かうっとりとした顔でそれを引いている本人。金髪が泣きそうな顔で解説してくれる。


「その上、エレン本人は自分が下手くそだっていう自覚がないんだ!何故かちょっと前衛的くらいの気持ちでいる!もう呪いだよ、あれ!」


 周りを見れば爺さんが引き攣った顔で耳を塞ぎ、騎士は立場から目を背けることも耳を塞ぐことも出来ずに棒立ちで目から涙を流し、サムライに至ってはいつの間にかいなくなっていた。

 当然、精霊からは不評らしくご機嫌な姫さんに向かって鍋の蓋やら卵やらが降り注いでくるが。


「させるか!『バッツ』!」


 姫さんの横を風が吹き抜けていく。それらは、姫さんの背後に迫るありとあらゆるものをリズミカルに撃ち落としていく。


「エレンは、ボクが守る!」


 ガ、ガ、ガガガガ、ガガガガと、下手くそな演奏をバックに繰り広げられる精霊と魔法使いの攻防。迫力は凄まじいがあほらしさも凄まじかった。


「ハァァァァァ!」


 金髪の奮闘のおかげで姫さんが一曲引き終わるまでの間、姫さんに飛来物が当たることは無かった。パーフェクトだ。


「ハァハァハァ」


 肩で息をする金髪。これだけ苦労したのはいいんだが。


「ふぅ。精霊さんたちのご機嫌は治りそうですか?」


 姫さんがやりきった顔で呑気に金髪に聞く。


「そ、そうだね。けど、いくらエレンの演奏が上手くても流石にプロには敵わないみたい、だよ?」


「あら、では」


「うん。もうちょっと、別の人が演奏する必要が、ある、かも」


「そうですか。残念です」


 姫さんはあからさまに残念がっていた。自分の演奏の腕を信じて疑っていない。


「……みんながそうやって甘やかすからあんな勘違いを引き起こしてるんじゃないのか?」


「……言わないで、もう手遅れだから」


 俺たちがこそこそと耳打ちしている間も、姫さんはまだご自分の演奏に納得がいっていないようで。


「もう一曲演奏したら、今度こそ精霊さんたちのご機嫌も直るんじゃ……?」


「「いや、もういいから!!もう十分だから!!」」


 これ以上は、金髪も精霊もひたすらにかわいそうだ。



「次は拙者ですか」


「あんたどこ行ってたんだよ」


「少々急用が出来ましてな」


 しれっと言いやがってこいつ。


「そもそもあんた、楽器の演奏なんて出来るのか?」


「ふむ、一応、和鼓であれば」


 サムライが少しのあいだ思案する。


「失礼ながら、こちらに和鼓はありますかな?我が国の伝統的な楽器なのですが」


「はて、それはどのようなもので?」


 爺さんに聞き返されて、サムライは手で丸みを帯びたシルエットを描く。


「こう、筒状のもので革張りになっていて、それを叩くことで音を出す打楽器なのですが……」


「ああ、ありますあります。すぐに持ってこさせましょう」


「かたじけない」


 爺さんがなにやら町の人に指示を出してくれる。まぁ、さっきより酷いことにはならないだろう。


「腕に自信は?」


「所詮は稽古事で覚えた程度の腕。あまり期待されても困りますが」


 俺のさりげない問いかけに、サムライは涼やかな笑みを浮かべる。


「しかし、精霊様にお捧げするというのに、半端なことなどできません。未熟の身ながら、できうる限りのことを精一杯させて頂く所存です」


 かっこよかったのはここまでだった。



「…………これは何ですかな?」


「ご注文の品ですが」


 サムライに届けられたのは、、革張りで、筒状で、打楽器で。確かに注文通りの品だったが。


「バチは?」


「いいえ。ありません。これは手で叩くものです」


 俺の知識で一番近いのはコンガだ。欧米諸国の民族楽器がルーツの手で叩く打楽器であり、間違っても和装のサムライが叩くのとはイメージが違う。


「用意をしていただいて申し訳ないのですが、これは私の習熟したものとは違います。これでは……」


「似たようなもんだって。はい、これ」


 金髪が棒状の何かを差し出した。


「あのロッテ殿、これは?」


「なにか叩くものが必要なんでしょ。だからさっき精霊が投げたもののなかからそれっぽいのを拾っ

といたよ」


 それは箸だった。二本の箸を構えてコンガと相対するサムライ。


「……無茶を言わないで頂きたい」


「いいから。さっき出来る限りのことを精一杯するって言ったよね?」


 どうやら、姫様の演奏の時一人逃げ出したのをまだ根に持っているようだった。

 サムライの方も、さっきかっこつけたことを言っただけにそう言われてしまうと引っ込みが付き辛い。


 だが、まだ強引に突っぱねることも可能だったはずだ、それでも。


「分かりました」


 さっと、和装の帯を締め直し、颯爽とコンガの前に立つ。


「道具のせいにするは武士の恥でもあります。これでやってみましょう」


 どっちかっていうとやけくそっぽいな、あれ。

 サムライが深く呼吸を行い、スーッと箸を構え、そして。


「はっ!」


 かっ、と目を見開いて演奏を開始する。

 その光景は、姫さんの演奏とは違った意味で壮絶だった。迫力があり、それでいて繊細で、心を揺さぶられるビートだった。コンガを用意される前のあれも、ただの謙遜だったのが分かる。

 しかし、彼が握っているのは箸だ。しかも叩いているのはコンガだ。どちらも乱暴に扱わないため上品なのだが、いかんせんシュールだった。

 腕がいいのが逆に滑稽というか、なんというか。

 しかし、彼はやりきった。精霊にものを投げ込まれることもなく、最後まで責任を持って。


「御清聴、感謝いたします」


 酒蔵の、否、コンサートホール、その観客席では観客が皆立って拍手を送っている。


「立派な演奏でした」


 姫さんが代表して賛辞を贈る。


「ありがとうございます、姫様。して、精霊様のご機嫌は?」


「はい」


 爺さんが立ち上がって酒蔵の奥に向かう。


「これで解決すりゃいいけどな」


「あー、それは難しいと思うよ」


「あ?なんでだ?飛来物は一個もなかっただろ」


「いや、だって」


「皆様」


 爺さんが戻ってくる、さてご機嫌伺いの成果は。


「精霊様から、ご返答がありました」


「さて、どのような」


 どこか自信ありげなサムライ。そして、爺さんは、その様子を見て、申し訳なさそうにぽつりと言った。


「旅芸人の前座はいいから、さっさと演奏をしろ、とのことです」




「後生です姫様。どうかこの酒蔵に火を放つ許可を」


「ダメです!ここのお酒は国にとって大切な物なんですから!」


 ご立腹のサムライをなだめて、俺たちは一旦酒蔵から出る。

 もう一度、作戦を練り直すためなのだが。


「で、どうするんだ?」


 俺の問いかけに一行が口を閉ざした。

 火を放つ云々は無しにしても、これ以上やりようがあるようには見えなかった。


「金髪チビは楽器とかできないのか?」


「失礼な呼び方するなよ!……ボクは魔術の研究ばっかりで、そういうのに縁は無かった」


「じゃあ研究者として、他に解決策とかはないのか?」


「……それも難しいね。精霊は人間に対して、基本的には単一のモノしか求めないんだ。今回の場合は、演奏。それ以外の供物は、ほとんど意味が無い」


「じゃあもう俺たちに出来ることなんてないだろ。明日には普段通りに楽団が来るって話だし」


 俺の指摘に、それでも姫さんは首を横に振った。


「それではダメです。あの酒蔵に置いてあるお酒は、精霊様の加護の元に作られているんです。明日まで放置してしまっては、死んでしまいます」


「それだって仕方ねえだろ。人死にが出る訳でなし。そりゃこの町には少なからず金銭的被害が出るかも知れないが、もの作ってたらそういう時だってあるだろ。ましてや、酒なんてものならなおさら」


「そうかも知れません。けど、私は」


 所詮は他人事だろうに、姫さんは自分の事みたいに思い悩んでいた。


「彼らの力に、なりたいんです」


「……ハァ。あんた、意外と頑固なんだな」


 実に迷惑なことだ。


「俺たち、大事な旅の途中のはずだろ」


「それでも、です。目の前で民がそして町が困窮しているのに、それを見捨てるなんて」


 そういや、昨日言ってたっけ。

 この町は憧れだって。


「しゃーねぇ」


 姫さんはテコでも動きそうにないし、そうなりゃ周りも動かない。

 なら、仕方ないか。


「俺がやるよ」


「え?」


「アル、君楽器出来るの?」


「一応な。うまくいかなくても怒るなよ」


 金髪と姫さんをいなして、俺は手ぶらで酒蔵に入り直した。



「あの、楽器は何をお持ちしますか?」


「いらねえよ。自前のがある」


 俺は懐から汎用ツールを取り出した。サイボーグの体に接続しておけば充電可能な代物なので、使う分には問題ない。


 片手で操作して音声認識機能を呼び出す。


 最近はご無沙汰だったから、手作業で探すよりこっちの方が早いという判断だ。


「キーボード、起動」


 そう命令を出すと、目の前にホログラフィックの鍵盤が現れる。

 そのうちの一つを試しに叩いてみると、一応は思い通りの音が出た。

 弦が出す本物のピアノの音には全く敵わない偽物だが、それでも、まぁ。


「さ、我が儘な精霊様とやら。聴かせてやるよ。あんたが聴いたこともない音をさ」


 そこは目新しさでごまかされてくれると信じて。

 俺は、そっと思い出の通りに、指を、走らせる。

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