第8話 酒精の町 ①
「へぇ、アルフレッドさんは元の世界では学者さんだったんですか」
「ああ。っていっても、金も権限もほとんどない、名ばかりの学者だけどな」
木馬が引くおかしな馬車に引かれて、俺たちは次の目的地とやらに向かっていた。
「あの扉に入ったのは学者としての知的好奇心から。ま、帰れなくなるとは思ってなかったけどな」
「申し訳、ありません」
「気にしないでいいよ。この世界にも興味はあるんだ。俺の世界には、すでに無いものばっかりでさ」
何しろ、ネットはおろか自動車さえ存在しないのだ。あるのは、車窓から見えるようなあるがままの自然ばかり。俺の世界が、不要だと淘汰していったもの。
(きっと埋蔵資源とか凄いんだろうなぁ)
魔法のある世界でそんな俗物的なことを考えるというのも夢がないが。
「……学者って言う割には」
金髪のチビが俺を睨みながら言った。
「君、随分強いんだね」
「まあな」
まだ警戒されているのか、言葉には少し棘があった。だが、会話してくれるだけましだ。
騎士の方は俺のことなど認めないとばかりに未だに無視を貫いているし、サムライの方は態度にこそ出さないが、常に俺のことを見張っているような気配がある。
まぁ、この二人と打ち解けるにはもう少し時間が必要か。
「学者ってのは結構危険な仕事だからな。古代の遺跡に潜って罠を回避したり、現地の部族と戦ったり、ギャングに追われたり」
「まぁ、それは凄い」
口に手を当てて驚く姫さん。
ほとんどレトロ映画で見たデタラメなのだが、面白いので黙っておくことにしよう。
「嘘くさいなぁ。学者って、どんな分野の研究をしてたのさ」
胡乱気な目を向けてくる金髪。それはそれで期待していた反応ではあるのでよしとしよう。
俺は顎に手を当てて、少し考える。
「うーん。『電脳人類史学』って言うんだけどな。ちょっと説明が難しい」
なんといっても、この世界には電脳世界はおろか、PCすら無い。勿論ネットなど概念の向こう側の存在だ。最初から説明するとなると、膨大な時間を要することになるだろう。
「それでも強いて言うなら、だ。人がその手で作った文明と、それが人類に与えた影響についてかな?」
大学時代と、卒業してから少しの間、その分野について研究していたのは事実だ。
電脳化、そして電脳世界が人類にもたらした変化は絶大だった。いい意味でも、悪い意味でも。
大学に居た頃はよく考えたものだ。現実世界からの逃避に、いくらリミッターをかけても起こる事故死や自己の崩壊。電脳犯罪者の暗躍に、違法プログラムの氾濫。
そしてエリクサー。
それでも止まらなかった電脳化の波。
これだけのことをして作った新しい世界に、俺たちはどんな価値を見出せばいいんだろうと。
「…………」
まるで他人事だな、とどこか遠くで思う。俺もまた、その悪意に飲まれて身を落とした犯罪者だというのにだ。
「どうしたのですか?」
姫さんが心配そうな顔で俺の顔を覗きんでくる。
俺はすかさずに薄い笑顔を取り繕って答えた。
「いや、なに。研究、滞っちまったなと思ってさ」
「それは……」
「別にいいんだ」
俺は車窓から外の景色を眺めて、笑みを浮かべて言った。
「こういうのも、悪くない」
そうだ。ちょっと指名手配されて、ちょっとネットも繋がらないど田舎に逃げ込んで来たと思えばいいだけだ。
それなら捕まる心配がない分、この生活も悪くはない。
「エレオノーラ様、見えて参りました」
御者台に座っていた騎士が声を掛けてくる。
「まぁ」
「どれどれ」
姫さんが控えめに窓から前方を。俺は少々行儀悪く窓から身を乗り出して町を確認する。
「見てください。あの町こそ、我が国有数の名酒を作る町。通称『酒精の町』です」
「私、この町に来るのをとても楽しみにしていたんですよ」
馬車が町の入り口に差し掛かった時、姫さんが子供のように無邪気にはしゃぎながらそう言った。
「へー、ここはそんなに有名な町なのかい?」
今頃、外では騎士とサムライが町に入るための手続きを取っているはずだ。この世界のことをまだ何も知らない俺は、外に出ても役立たずなのでこうして姫さんと一緒に馬車の中で待機するしかない。
無論それが嫌って訳じゃあないが。
「この町で音楽を聴くのが憧れだったんです」
「……酒の町じゃあなかったのか?」
酒と音楽の街なのだろうか。まあ、確かにその二つは特別に相性がいいようにも思える。俺の居た世界にも、陽気に音楽を奏でながら酒を酌み交わすような町がいくつもあった。
ここもその例に漏れず、楽器を演奏しながら、またはその音を背景に酒を飲むのが通例の町なのだろうか。
俺のそんな疑問に姫さんは柔らかく答えた。
「この町では音楽でお酒を造るんです」
「はぁ?」
ますます訳が分からない。
疑問符を浮かべる俺を、姫さんは楽しそうに眺めていた。
「ふふふ。では、落ち着いたら酒蔵所に行きましょう。きっと、さらに驚くことになりますよ」
「分かったよ。楽しみにしとく」
さて、知らない世界の知らない街。なにが飛び出してくることやら。
「なんじゃ、こりゃ」
俺はなるだけ小さな声で呟いた。
ここは町一番の酒蔵で、同時に町一番の観光名所らしい。
「なんで、酒蔵にオーケストラが?」
そこでは、大所帯の演奏団が厳かに楽器を演奏していやがった。それも正装で、ご丁寧に指揮者までつけて。俺たちは、その演奏を設えられた観客席で聴いているのだ。
ここはコンサートホールかと見紛うようなあしらいだが、その実、演奏団の後ろにはかっちりと大量の酒が積まれているのだ。
指揮者は演奏者と酒樽に指揮棒を振り、演奏者はワインを背に楽器を奏でている。
「素晴らしい演奏でしょう?」
「そりゃあ、認めるが」
見たことのないような楽器がいくつか見受けられるが、それでも、その腕が一流なのは音を聞くだけで分かった。
「なんで酒に音楽なんて聴かせてるんだ?」
「正確にはお酒ではなくて、お酒を造ってくれてる精霊さんに音を聴いて貰っているんですよ」
「精霊?」
俺の目には、演奏団の背後になにかいるようには見えなかった。
「精霊っていうのはね」
姫さんの向こうに座って音楽を聴いていた金髪が解説してくれる。
「小さくて、我がままで、色んな力を持ってて。それで、時には人間に力を貸してくれる。そんな存在」
「ふーん」
いつもよりも優しさと親しさのこもった声だった。それは、音楽のおかげなのか、彼女と精霊とやらの間になにかあるのか。
「この町の精霊さんは人間の奏でる音楽がとても好きなんですよ」
姫さんの顔にはある種の憧れがあった。この町に来たいと言ったのはこの光景を見たいがためだったのだろう。
「精霊さんは私たちのためにおいしいお酒を造ってくれて、私たちはそのお礼に音楽を奏でる。そう
いう風に、この町ではお互いを尊重し合って生きているんです。精霊と人、いいえ、人と、人の関わるあらゆるものが、そうあって欲しいと、私は思っています」
「そいつは、実に理想的だな」
理想的すぎて、俺の肌には少々合わないが。
「いい音だ」
俺は音楽に身を浸す。楽器の演奏を観客席で聴くのは随分と久しぶりで。俺は、なんだか懐かしい気持ちで、精霊とやらと気持ちを重ねる。
ああ、実にいい音だ。
「この町には毎日別の楽団が来るんですよ」
「毎日?そりゃあ、凄いな」
「ここの精霊たちは飽きっぽいらしくてさ。毎日別の演奏を聴かせないとへそ曲げちゃうんだって」
宿で食事をとりながら、話題に上がるのはこの町の話だ。
「アルフレッドさん、ワインはいかがですか?」
「いや、俺は遠慮しとくよ」
俺の体は、アルコールでは酔えない。いや、酔おうと思えば酔えるのだが、そのためにはいちいち体の設定を変える必要があるので面倒なのだ。
「当たり前だ。大切な旅の途中で飲酒など」
「え」
騎士が厳格な顔で言うと、途端に姫さんの顔が暗くなる。
「そ、そうですよね。いくらこの町の名物でも、飲酒は、よく、ないですよね」
その沈んだ声を聴いて、慌てて騎士が取り繕う。
「い、いえですね。それは僕ら護衛の話であってですね、エレオノーラ様にはこの国の名物を一度ご賞味頂くのもお仕事のうちと申されますか」
「おーおー、必死だねえ」
「貴様!騎士を愚弄するか!」
「そんなに怒るなって」
「はっはっは。そうですぞ、カーク殿。どれ、せっかくなので拙者にも一杯、この国の名酒とやらをいただけますかな?」
「はい、是非どうぞ」
「セツカ殿!あなたは護衛の側でしょう!」
「よいではないですか。一杯だけです。姫様も、ご一緒に乾杯しましょう」
「はい!是非!」
うぐ、と騎士が黙りこくる。今のはサムライが姫さんに酒を勧めるために一芝居うったのか。勿論、自分が飲みたかったという可能性も否定できないが。
「ロッテ殿はいかがですか?」
「……ボクはいいよ」
「お子ちゃまは酒、飲めないんだろう?」
「なにおう!」
俺のからかいに、金髪が突っかかってくる。俺は、それを笑いながらいなすのだった。
そんな下らない話で夜は更けていく。姫さんが悪い酔い方をするでもなく、金髪が本気で怒るようなこともなく、穏やかに、楽しげに。
その日はなんの問題もなく終わったのだった。
問題が起きたのは、次の日のことだった。
「さあ、補給も済みました。名残惜しいですが、出発しましょう」
「はい」
この町での滞在は一日限り。観光に来たのではなく旅の途中で寄っただけなのだから当然のことだった。
「素晴らしい町でしたね」
「はい。流石は我が国の誇る『酒精の町』です」
「ええ、今度はゆっくりと……。ああ、そうだ。あの、もう一曲だけ、聴いてから町を出発しませんか?」
「いいですねえ。もう一曲くらいなら、出発時間もあまり変わりませんし」
それがいけなかった。
反対する理由も無かった俺たちは、昨日の酒蔵に向かい、そこで人だかりが出来ているのを目撃したのだ。
「あら?」
「なにか、あったのでしょうか」
よく見れば、酒蔵の前で誰かが詰め寄られているようだった。
「行ってみましょう」
姫さんが率先して事情を聞きに酒蔵に向かう。この時点で、嫌な予感はしていた。
「あの」
「ああ、これは昨日の観光の方々」
姫さんたちは身分を隠しているのでそういうことになっている。
方々に頭を下げていたのは立派な髭を蓄えた爺さんだった。
「申し訳ありません。本日の演奏は中止になってしまいまして」
「中止って」
「それがですね」
爺さんは額に手を当てて、首を横に振る。シワだらけの顔に、さらにシワが寄った。
「今日来るはずだった楽団の方々が来られなくなってしまいまして」
「まあ」
姫さんが心底心配そうな顔をする。
「なにかあったんですか?」
「それが、亜人に襲われたらしいんですよ」
「亜人」
あのモンスターみたいな奴らか。
「幸い、護衛の皆様のお力で楽団員の皆様にけが人は出なかったらしいのですが、馬車が壊されてし
まい、町に着くのは明日になってしまうと」
「それで、この人だかりは?」
皆が皆、今日演奏を聴きに来た観光客には見えなかった。
「それは……」
「精霊に追い出された、お酒造りの職人さん」
金髪が前に出て言う。
「でしょ」
「……その通りです」
「ロッテ、どういうことですか?」
「簡単だよ。今日の分の演奏がないからって、精霊が怒っちゃったんだ」
「勿論、この町にも演奏団はおります。ですが、今日は精霊様のご機嫌が悪く、いつもの音では満足していただけなかったようで……」
「それで、職人さんは追い出されちゃったってとこか」
「ああ、困った、困った。今日中に精霊様にご機嫌を直して頂かないと酒が死んでしまいます。どなたか、観光のお客様でもいいので、楽器の演奏を出来る方でもいらっしゃらないかと、探し回っているところなのですが」
「気の毒だとは思うが、僕たちは国の未来を左右する重要な旅をする身。こんなところで足止めなど……」
「我が国民の窮地です。なんとかできないでしょうか?」
「流石は姫様。僕もそう思っていた所です」
「お前変わり身早いな」
酒蔵から少し離れたところで、俺たちは顔を見合わせる。
「で、具体的にどうするんだ?」
「勿論私達で精霊さんたちのご機嫌を直して頂くんです」
「姫さんは、楽器の演奏でも?」
「はい。多少の心得はあります」
「え?いや、エレン、それは」
「それに」
姫さんが金髪の方を信頼の眼差しで見た。
「私達には精霊の専門家もついています」
「いや、それはいいんだけど、エレン」
「よいでしょう。僕も、楽器には少々自身があります」
騎士が自信満々に割り込む。
「セツカさんも、それでいいですか?」
「元より拙者は雇われの身。雇い主が言うのであれば、付き従うが仕事」
「アルフレッドさんは」
俺は肩をすくめる。
俺に決定権なんざない。なら、なるようになれだ。
「では、みなさん、私に力を貸してください。この町を救うために」
こうして、俺たちの、しなくてもいい、いらん苦労が始まるのだった。
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