第6話 神託の旅 ③
感覚が段々自分へと帰ってくる。
倫理や常識、そういったものが自分の中に再び生まれる。そうして初めて、恐怖や、興奮、緊張、その他諸々の、感情の波に襲われる。
軽い頭痛を抑えながら、俺はまた別の自分を演じることにする。
そうだな。軽い感じの好青年がいい。そこに誠実さと優しが垣間見えればなお、いい。
トレースはしっかり、嘘は程々に、隠し事は多めに。さあ、時間だ。
ここでの嘘を、始めよう。
「異世界だぁ?」
素っ頓狂な声を上げる。
「……そうだよ。ボクが術式で君の世界とこの世界を繋いだんだ」
「なんだよそれ。そんな変なもんで俺を呼び出したってのか?」
「ち・が・う!ボク達がそっちに逃げようとしたのに、君が勝手にこっちに来ちゃったの!それと、変なのっては失礼だ!訂正しろ!」
あの連中を追っ払い、戻った俺を出迎えたのは、そんなトンデモ話だった。
「……その、術式ってのはなんだよ?」
「え?」
俺の至極まっとうな質問は、向こうにとってはだいぶ予想外のことだったらしい。
「術式は術式だよ。魔力を使って世界を書き換える力さ。まさか、君の世界には無いの?」
「悪いが無いね。魔術も魔力も錬金術も、全部架空のモンとされてる」
「はぁ?」
露骨に顔をしかめられる。
「じゃあ人間はどうやって生活してるわけ?洞穴に住んで、手で火を起こすの?」
「そんなわけあるか。科学だよ、科学」
こいつの中じゃあ魔術の無い世界ってのはどれだけ常識外れのことなんだか。
「科学って何さ?」
「そうだな。お前風に言うなら、世界の法則を発見し、それを再現すること、か?」
「さっぱり分からないよ」
「そうだな。俺も、お前の言うことはさっぱりだ」
国一つ違うだけで常識ってのは変わっちまうもんだ。それが世界が違うっていうんなら当たり前か。それも全部、こいつの言うことを信じるなら、だが。
「まぁ、ここが俺の居た場所と違うのは確かだ」
俺の国には、こんな管理されていない自然は存在しないし、あんなクリーチャーじみた生物も、生態系には存在しない。
「だからって、急に異世界だなんて言われてもな」
おいそれとは信じられない。
「……信じられないのも、無理はない、と思うけど。でも、それが事実なんだ」
「分かった。分かったよ」
ここが本当に異世界だとしても。もしくは、知らない電脳世界に意識だけ迷いこんだのだとしても。もしくは、その他の理由だとしてもだ。
とりあえず重要なのは。
「じゃあ、その術式とやらをもう一度使ってくれよ。それで、俺を元の場所に帰してくれ」
「……出来ない」
「は?」
帰れない?
「うん。まだ実験段階のものなんだよ、あれ。だから、自由に好きな場所に穴を開けられる訳じゃなくて」
「じゃあなんだ。お前らは帰れない異世界に逃げようとしてたってのか?」
「違うよ。マーカーがあれば別なんだ」
「マーカー?」
「そう。目印だよ。ボクの場合は、これ」
そういって、なにやら木の破片を腰のポーチから取り出す。
「これは一枚の木札を半分に割ったものだよ。その片方をこっちの世界に置いておけば、それを目印に戻ることが出来るんだ」
勿論俺は木札なんて置いて来ていない。
「別に木札じゃなくてもいいんだ。向こうと繋がっているもの、お互いに引き合う性質を持つもの。そういうのがあれば、目印に出来るんだけど……。なんか、ある?」
「そんなこと急に言われてもな」
「じゃあ、今は、無理だ」
「嘘だろ」
なんて無責任なこといいやがる。
「今はって言ってるだろ!ボクの研究室に戻ったら、君が帰れるようにちゃんと研究を再開するから」
「頼むぜ、本当に」
「……けど、ちょっと今は研究室に戻れない事情があるんだ」
「おい!なんだよ、その事情って!」
「あの、良いでしょうか?」
話に割って入ってきたのは、俺が戻ってから一言も発していなかった、黒い髪の方のお嬢さんだった。
「そこから先のことは、私に説明させて下さい」
「いや、説明って言ったって」
「お願いします。私や、私たちの世界にとって重要なことなんです」
おいおい、今度は世界ときたもんだ。
「どうか、私の話を聞いてください」
そういって頭を下げる。途端に、金髪の小さい方が慌てだした。
「エレン!君が頭を下げるなんて、そんなの」
「いいえ、ロッテ。この方は私たちの事情に巻き込んでしまっただけの人です。礼儀を尽くすのは当然のことでしょう」
「でも」
「よいのです。これは、私に課せられた使命でもあるのですから」
深々と下げられた頭には、真摯さと誠実さがあった。
「どうか、私たちの話を聞いてください。そして、私たちにそのお力を御貸し下さい」
「……分かったよ。とりあえず、話を聞かせてくれ」
そう美人さんに真面目に頼まれちゃあ、断りづらいってもんだ。
話の前に、どうしてもしておきたいことがあるという。
それが。
「他の仲間との合流か。お宅ら、他に仲間が居たのか」
「はい。私たち二人の他に、護衛に二人の方がいらっしゃいます」
護衛、か。
「あんなのに追われるような身じゃあ、仕方なしか」
「……いえ、それこそが、本来はイレギュラーなのです」
「あ?それはどういうこった?」
「狙われてるのがおかしいってことだよ」
金髪のチビが、なにやら険しい顔をしている。
「護衛は念のための保険だったんだ。だから、たった二人しかいなかった。だって言うのに、なんで」
「そのあたりの事情も、お二人と合流してからお話しします」
そう言われて森の中を進み、たどり着いたのは。
「こりゃあ、街道ってやつか?」
見たこともないようなまっすぐで未舗装の道だった。
俺の居た世界じゃ考えられない、人が歩みならした道とその周辺に広がる広大な草原。
人の手が入った自然しか知らない俺にとっては、未知の領域。
「広いな」
人工物がここまで何もない場所を、俺は情報でしか知らなかった。
「ロッテ。馬車の位置は?」
「えと、反応は向こうの方からだね」
俺の預かり知らない方法で目的地が分かるようだ。
「では参りましょう。そんなに遠くは無いようです」
景色を眺めながら地面を踏んで歩くという、金を払わなければできないような贅沢をを味わいつつ進んで行くと、何やら揉めているような声が響いてきた。
「あなたは!それでも護衛か!」
「だからこそ、プロとして言っています。一人はここに残り、二人の帰還を待つべきでしょう」
「なら僕一人で……!」
「カークさん、セツカさん」
黒髪のお嬢さんが二人の姿を見るや否や、揉めている様子などお構いなしに手を振って声を上げる。
「エレオノーラ様!」
揉めていたうちの一人、騎士甲冑を着た優男が破頑してこちらに駆け寄ってくる。
「よくぞご無事で」
「ええ、ロッテと、こちらの方が守ってくださいましたわ」
優男が俺の方を無遠慮にじろじろと見てくる。その視線には少なくない敵意があった。
「この男はなんですか?」
最初からそりゃあねえだろうよ。
「私たちを助けてくれた異邦の方です。そして、恐らく神託の五人目でしょう」
「まさか、そんな!」
事情も知らないのにそう懐疑的な視線を向けられると、居心地が悪い。
「こんな胡散臭い奴がですか!」
「そんなことを言ってはなりません。私の命の恩人でもあるですから」
「……これは、とんだ失礼を」
優男が俺に頭を下げる。
渋々なのが見て取れるのが傷だが。
「ですがエレオノーラ様。エレオノーラ様を疑うようで恐縮ですが、それは事実なのでしょうか?」
「はい。状況は予言と一致しています。まず間違いないでしょう」
「あのさあ」
このままじゃあらちが明かないと、俺は割り込む形で手を上げる。
「さっきから言ってる、神託とか予言とかなんなんだよ」
「知らないでついてきたのか」
露骨に不服そうな顔をされた。実に理不尽だ。
「それも含めてご説明いたします」
黒髪のお嬢さんは、俺の瞳を見つめ、自分の胸に手を当てて、こう名乗った。
「私の名前はエレオノーラ・フォン・クロイツェル。この街道の先にあるクロイツェルという国の、その第一王女です」
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