第7話 悪役令嬢は大胆なキスされる

「駄目です、そんなことは許さない」



 エドワードは、悪役令嬢の婚約破棄宣言に力強く否を告げる。

 彼が頑な意思を持っていることは、その声色を聞けば、誰だって分かった。


 ただ当の婚約者だけが、困惑をありありと表情に出す。

 悪役令嬢は、殿下が喜んでこの申し出を受けると思っていたからだ。

 エドワードの意図がよめず、バネッサは二の句を継ぐこともできない。



「婚約破棄なんて、僕が認めない」



 殿下は否定の声を重ねる。彼女の無言を反抗と捉えたらしい。

 怜悧な眼差しに焦りが滲む。清廉潔白を地で行く彼らしからぬ、陰りであった。紙にインクが落ちたように、黒は歪んで広がっていく。


「何故、なぜ、そんな結論に至るんですか、バネッサ。僕には分かりません」

「なぜって、わたくしは、殿下の恋をことごとく邪魔してきた悪い子ですもの、」

「僕が恋したのは、生涯でただ一人です」

「そのユーリ・ヴェイルを、わたくしは突き飛ばしたのです……!」


 目尻から涙を散らして、バネッサが喚く。


「ああ、ユーリ・ヴェイル!! 不相応の地位を手に入れる感想は?」

「元平民のくせに、男爵家に拾われ、殿下から愛される。それがどれだけの幸運か、わたくしがどれだけ求めてきたことが知らないくせに」


 場面はクライマックス寸前。

 世間で流行った物語になぞらえば、悪役令嬢が身のうちの悪意をさらけ出して、破滅する最終章であった。


「あの、ですから。あたしは殿下に、一切の好意はありません。ここまでややこしいことになるなら、金一封と一緒に殿下をお渡ししたいくださいです」

「嘘おっしゃい! 殿下からの寵愛を欲しがらない女なんているわけありません」



 愛しい人が蔑ろにされたと決めつけて、跳ね上がるように惚気を吠える。

 エドワードに背を向けてまで、恋敵に訂正を求めた。



「嘘じゃありません。あたしが身銭を切ると言うのは珍しいんです。下賎な元平民の心をどうかご理解頂けませんか?」


 ユーリはひたすら下手に出て、敵意がないと強調する。

 突き落とされかけた身の上ではあるが、立場を弁えていた。己を卑下してみせるが、それはプライドの低さを意味するのではない。


 その証拠に、男爵令嬢の黒い瞳に影はなかった。チェスに臨むような冷静さが宿っており、この場を丸く収めることが最善だと計算している。


 感情の赴くままに罵し嘆くバネッサや、婚約破棄に動揺しきりのエドワードよりも、落ち着いていた。巻き込まれ事故の部外者であるから当然である。

 だが悪役令嬢は前述したとおり、この強かさを妬んでいた。


 つまり、ユーリがバネッサを立てれば立てるほど、火に油を注ぐ事態となるのだ。

 こんな風に。


 階段の上方を見上げて、ダン! とかかとを踏み鳴らす。ピンク色が燃え盛るような赤へ変貌して、バネッサはユーリを睨みつけた。



「殿下と対等に話すあなたが憎らしい」



 その罵倒は、弱音と裏表だ。



「殿下と同じ目をするあなたが疎ましい」



 自身が持ちえないものを有するユーリが邪魔だった。



「殿下に愛されるあなたが羨ましい……!!」



 ステンドグラスを揺らす激情は、殿下への愛と恋敵への憎しみがごちゃ混ぜだ。

 悪役令嬢は、扱いきれない愛憎を抱えて、癇癪を起こす子どものよう。


「あなたは、あの出世譚シンデレラ・ストーリーのヒロインで、わたくしは悪役令嬢」

「自分の愚かさで断罪される日がくると分かっておりました。」

「だけど、わたくしは殿下と結ばれないならば、死んでしまったって構わない!」


 自暴自棄な乙女が、取り返しのつかない言葉を口にする。

 ユーリが、表情を驚愕に染める。バネッサは、彼女が急に顔色を変えたから疑問を抱いた。

 どうしましたの? とルージュを引いた唇が動きだす前に、公爵令嬢の視界が横に揺れた。背後から肩を引かれたと、気がつく間もなかった。


 エドワードが、バネッサの肩を掴んでいる。力ずくで振り返らせて、顎先に持ち上げさせた。

 悪役令嬢は、無垢な瞬きを一度する。



「でんっ……っ」



 エドワードは、言葉を塞ぐようなキスをした。同意のない、乱暴な口付けだ。



「きゃ……っ、で、んっ、か……ッ」



 反射的に暴れる婚約者の唇を追いかけるように、キスを続ける。バネッサの息を奪うように、長く。すがりつかせるために、深く。


 初恋の狂おしさに襲われているのは、バネッサだけではないのだ。

 むしろ、エドワードの静やかさは嵐の前触れである。


 抵抗する女性にキスを迫るのは、紳士としてはよろしくない。他者の面前でやることでもない。

 次期国王としては、恥ずべき振る舞いである。

 エドワードもそれは分かっていて、手首を掴む手を解きかけた。謝意で眉を下げる。唇を僅かばかり引き剥がして、婚約者の顔を覗き込んだ。



「あわ、わ……」



 あまりに情熱的な口付けのせいで、バネッサは肩で息をしてる。縦ロールの間に収まる顔は真っ赤であった。



「で、でんかと、きす、しちゃった……っ」



 怒りではなく、嬉しさと照れくささで頬を染めていた。

 流石、恋に盲目な乙女である。


 自分が慌てふためいたのは何だったのかと、ユーリが呆れる。

 彼女の頭にあったのは、「蓼食う虫も好き好き」や「割れ鍋に綴じ蓋」などといった東洋のことわざであった。


 男爵令嬢はうすうす察してきた。

 この二人、静と動で違いはあれど似たもの同士だ、と。


 徒労感に苛まれる彼女を置き去りに、殿下はバネッサの手を握り直して、宣告する。



「思い知らせてあげますよ、君のふるまいがどういう結果を呼んだのか」



 無表情のまま、繋いだ手には二度と離さないという意志を込め、力をいれた。


「絶対に僕と結婚してもらいますから、バネッサ」



 悪役令嬢は、ぽかんと口を開いたままだ。縦ロールがまた、一筋ほつれる。


 殿下の従者と、公爵家のメイドがやってくるまで、ユーリは頭を抱えていた。




 さて、ここまで読んできた皆様、お分かりだろうか。実はこの殿下、婚約者に対して、「愛してる」とも、「好き」だとも、一回も言っていない。


 心の中で愛を募らす腹黒殿下と、嫉妬でぽんこつになる悪役令嬢は、こうしてすれ違ってきたのであった。

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ぽんこつ悪役令嬢な君が溺愛〈す〉き──腹黒殿下の愛は重いのに届かない── 真己 @green-eyed-monster

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