火事を見たか

夢月七海

火災


 はい。見ました。

 お巡りさんの言う通り、××年前。まだ肌寒さの残る、○月△日に、□□キャンプ場で起きた火事を、私は見ました。


 当時、□□大学の一年生だった私は、同じ学科の同学年たちと一泊二日のキャンプに来ていました。ただ、私は人付き合いが苦手だったので、参加した理由は同学年と交流するためではなく、キャンプ場の近くにある滝を見に行くことでした。

 しかし、キャンプの準備が完了した後、同学年たちはくだらないレクレーションに興じていて、滝に行こうとはしません。誰かを誘うのも億劫だったので、私は一人キャンプ場を出て、滝を目指しました。


 滝に続く遊歩道があったのですが、時間があったので遠回りしてみたいと、わざとその道から外れて歩きました。しかし、しばらくして遊歩道を見失ってしまい、私は遭難していました。

 地図は持ってなく、当時の私はスマートフォンを所持していなかったので、場所を調べることも、助けを呼ぶことも出来ません。焦燥を抱えながら、私は行く当てもなく歩き続けました。


 そんな時、遠目にロッジが建っているのを見つけました。あそこの人に、キャンプ場までの道を教えてもらおう。そう思って、私は真っ直ぐにそのロッジへ向かい進んでいきましたが、異変に気が付きました。

 ガソリンの匂いが漂っているのです。まさかと思って、駆け足で近付いてみると、ロッジの下半分に、火が付いていました。黒い煙も、屋根から噴き出しています。


 燃え上がるロッジの裏口を目の前にして……私は、ただ、立ち尽くしていました。恐ろしかったとか、頭が真っ白になったとか、そのような理由ではありません。その美しさに、見惚れていたのです。

 火は、あっという間にロッジを包み込みました。パチパチと木が焼ける音、時々聞こえる異音は、内部で何かが弾けているのでしょう。煙からは、ガソリンの匂いだけではなく、気持ち悪さを催す匂いが流れ込んできます。


 そして、嗚呼、炎は、常に形を変え続けています。こんな白昼の下にあっても尚眩く、赤とオレンジのグラデーションが、私の目を常に刺してきます。風になびいても、態勢を立て直し、上へ上へと昇っていき、そのまま憎たらしいほど青い空まで燃やしてしまいそうです。

 私は、一瞬も目を逸らさずに、それを眺めていました。心の内は、火花が散っていくたびに、高まりを覚えます。しかし、その興奮は性的なものではなく、きっと初めて人類が自らの力で炎を起こした瞬間に抱いたような、神聖なものなのでしょう。


 よく水が、自由の象徴のように例えられますが、あの火事を見た私は、そう思えません。水は、周囲の温度に左右されて、気体や固体に変化させられます。空に浮かぶことが出来ても、重力に負けて落ちてきたり、入れ物の形に定められたりしてしまいます。

 火こそが、真に自由なものではないでしょうか。熱や煙によって周囲に影響を与え、生物の命を奪うだけでなく、こちらから物質の形も全く変えてしまいます。そして、星ごと包み込んでも、燃え続けるポテンシャルを秘めています。


 人間は、炎を操ることで、人間に進化できました。それでも、偶発的、あるいは人為的に起こされた火事によって、幾度も歴史が変えられていました。

 そうです。火は、何物にも縛られずに、誰よりも自由に振舞っていました。それによって、社会や世界にどんな環境を与えているかなど気にせずに。私は、そんな火に、心から魅了されてしまいました。


 ……本来ならば、このままずっと、ロッジが完全に崩れ落ちてしまうまで、その火事を眺め続けていたかったです。ただ、それは叶いませんでした。背後から、消防車のサイレンが聞こえてきたからです。

 私は、咄嗟に森の中へ逃げ込みました。特に深く考えた行動ではありませんでした。駆け付けた消防隊員から見られないように、消防車が走ってきた道を辿って行って、私はキャンプ場に戻れました。


 キャンプ場からも、ロッジの火事の煙は見えていたようで、一体あれは何だろうかと、私の同級生たちや他のキャンプ利用者は騒いでいました。そのため、私がしばらく消えていたことも、いつの間にか戻ってきていたことも、周囲に悟られずに済みました。

 後のニュースで、火事の詳細を知りました。火事はあからさまに放火であったこと、その日泊まっていた三人の親子が犠牲になったこと、彼らの遺体に外傷があったものの、致命傷ではなく、どうやら生きたまま焼かれてしまったらしいこと……衝撃的なニュースでしたが、それ以上に世間を驚かせたのは、犯人に繋がるものが何一つ見つからなかった、という事実でした。


 以上が、私の見た火事のお話です。

 これで何か分かりましたか? お巡りさん――いえ、放火魔さん。


 ……確信はなかったのですが、話しかけられた時からどうも可笑しいとは思っていました。いえ、あなたの姿をあの時見ていたわけではありません。先程話したことに、嘘はありませんよ。

 ああ、やっぱりこの人は、と思ったのは、私が火事のことを話している瞬間でした。貴方は冷静を装っていましたが、どうしても目の奥の興奮だけは、隠し切れていなかったのです。狂信者の勘、というのでしょうか、この人は私と同じだと嗅ぎ取れました。


 きっと、私たちはあの日、燃え上がるロッジを挟んで、向かい合っていたのでしょうね。燃えるロッジを鏡だとしたら、実像と虚像のように、全く同じ形となって、見つめ合っていた。

 この場合、火をつけたあなたが実像で、私の方が虚像でしょう。あなたの火が、私にも引火してしまった、とも言えるでしょう。


 いいえ。この話を警察に話すつもりはありません。何のために、何十年も、秘密にしていたとお思いですか? そう易々と、他人に教える事ではないでしょうに。

 ただ、口では何とでもいうことが出来ます。今、こうして話しているのも、あなたが恐ろしいから、ずっと出まかせを話している可能性もあります。全て本心なのですが、それを証明できないのがもどかしいです。


 だから、私を口封じしてください。脅してお金を取るなんて、みみっちい真似は嫌ですよ。思い切って、この命を奪ってほしいのです。

 一つだけ、私からお願いが。殺害方法は、焼殺を希望します。


 ロッジの火事で犠牲者が出たと聞いた時、私はこの上なく羨ましく感じたのです。彼らへの同情心など微塵もなくて、ただただ、炎に殉じた、その宿命が羨ましくてたまらなかった。

 私もそうなりたいと、夢想するようになりました。いえ、あの火を見た瞬間に、私の最期が定まったのでしょう。無論、あなたの手によって。


 さあ、一思いに、火をつけてください。ただの火柱となって燃え上がり、天も焼き尽くそうとする私は、さぞかし綺麗でしょうね。

 燃え尽きて、灰となるその瞬間まで、見ていてください。約束ですよ?




















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