2-09a話:隠された、桃色の瞳1
不穏な話をした後、リコリスはシウとふたりで昼食を取り、しっかりと施錠したことを確認して部屋を後にした。
雑務をこなしていると、あっと言う間にティータイムの時間が近づいてきた。
不審者のことは気になるものの一時的に忘れることにして、リコリスはシウと共に食器や茶器の準備を進める。
「公爵閣下が持ってこられたケーキ、王子殿下が喜ばれると良いですね」
「そうですね。公爵さまなら王子殿下の好みをご存知でしょうから、間違いはないでしょう」
今日のティータイムは、公爵が屋敷から持ってきたケーキを提供する予定だ。
茶葉も、ヴァレアキントスによるもの。
熱湯を注いだポットにティーコジーを被せ、温めたティーポットやカップに、皿やフォーク、そしてアネモスが楽しみにしていたデザートならぬケーキをワゴンに乗せて、昼食の時と同じように王子の部屋に運んでいく。
今回は料理人の出番はなく、彼らはいまだ消沈したままだった。
目的地に到着したリコリスは扉の前に立ち、ノックをして声をかける。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
「どうぞ」
室内からの公爵に続けて、自動的に扉が開く。
中からジオラスが開いたようで、リコリスはワゴンをそのまま押して室内に入っていった。
「おじうえ、ここはどういうこと?」
勉強中なのだろう。昼食前と同様に、王子は公爵と共にテーブルで本を読んでいた。
叔父に首を傾げては本を指さすアネモスは、前髪をピンで留めている。
勉強時間中だけは、本やノートが見やすいようにしているのだろう。
「アネモス。お待ちかねのケーキが到着したよ」
「え? もう? でも、ここがね……?」
「じゃあ、ちょっとだけ読んでから、お茶にしようか?」
「うん!」
ヴァレアキントスに教えを請い、真剣な眼差しで見つめる、普段は隠されたアネモスの桃色の瞳。
我が子に似た、
(……綺麗な瞳)
純粋で愛おしい輝きをした少年の瞳に、思わず吸い込まれそうだと思いながら見つめていると、彼女は罪悪感で自分の胸がズキリと痛んだ。
(この瞳を曇らせるようなこと……私には、出来ないわ……)
呆然とした様子でアネモスを眺めていると、少年のはしゃいだ声が聞こえてきた。
「わかったよ、おじうえ!」
「うん。良く理解出来たね」
「えへへ」
どうやら、分からなくて公爵に聞いていたところが、理解できたようだった。
公爵が穏やかな表情で王子の頭を優しく撫でると、アネモスが嬉しそうにはにかむ。
「ちゃんとお勉強できたアネモスに、ご褒美をあげないといけないね。じゃあ、ケーキを食べようか」
「わーい」
アネモスは、嬉しさのあまりにケーキのある場所を向こうとしたのだろう。
その時、彼の桃色の瞳を懐かしむような眼差しで見ていたリコリスと、王子の視線がぶつかった。
「あっ!」
「申し訳ありません!」
不躾に真正面から見過ぎてしまったと思ったリコリスが、慌てて頭を下げる。
しかし、アネモスは見られていたことを別の意味に捉えたのだろう。
髪を留めていたピンを急いで外してしまい、瞳が見えづらい元通りの状態に戻ってしまった。
アネモスの瞳が見えなくなってしまったことに、彼女が内心で肩を落としていると、公爵が王子に問いかけた。
「アネモス、どうして隠してしまうんだい?」
「だって……ちちうえとははうえが、ぼくの目をいやがるから……。ぼくの目は、見えない方が……いいって……」
(どうして…!? 自分たちの子どもじゃない!)
「それに、このあざも……きもちわるいって……」
落ち込んだ様子で語るアネモスの様子を見ていると、彼の両親がどれだけ子どもを蔑ろにしてきたのかが理解できる。
「見えない方が良いなんて、そんなことない!」と言いたい気持ちをぐっと抑えているリコリスの耳に、ヴァレアキントスの優しい言葉が聞こえてきた。
「それがどうしたって言うんだい? 私は好きだよ。アネモスの瞳」
「え?」
「どうしてそんなに不思議そうなんだい? 私はいままで、アネモスが勉強している時に眼を見せていても、嫌だと言ったことはなかったろう?」
「う、うん」
「それにアネモスの眼は、もっと……ずっと見ていたいと思う、可愛らしい桃色の瞳だからね」
(私も、ずっと見ていたいわ……)
ヴァレアキントスがアネモスに語る言葉は、リコリスにとっては自分が言えないことを代弁してくれているかのようでもあった。
「そう、なの?」
「そうだよ。だから、隠さなくて良いんだ」
(そう、隠さないで……)
焦がれていた我が子と同じ色をした桃色の瞳を、彼女はずっと見ていたいと思った。
「アネモスがどうしても目を見せたくないなら、その時は隠しても良いけれどもね。……でも、勿体ないよ」
「……もったいない?」
ヴァレアキントスはアネモスが持っていたヘアピンを手に取ると、彼の前髪を上げてピンで留めた。
露わになった少年の瞳には涙がたまっている。
「ほら。アネモスの眼はパッチリしていて、吸い込まれそうな綺麗な桃色をしている。無理に隠しているのなら、私の前では隠さなくていいんだよ」
「いいの?」
頷いては潤んだ瞳に溜まった涙を拭う叔父に、アネモスはすがるように問いかけた。
「おじうえは良くても、リコリスは?」
「リコリス?」
「ぼくの目、いやだから……見ていたんじゃないの?」
「そんなことありません!!」
リコリスが思わず勢いよく声を上げると、公爵と王子が驚いた様子で彼女を見つめた。
「あっ……申し訳ありません」
慌てて口を抑えたリコリスのことを、寂しそうな表情のアネモスが瞳を瞬かせて見つめる。
「ほんとうに、いやじゃない?」
「……はい。いまのように見えたほうが、素敵だと思います」
彼女の答えに、安心して綻ぶように微笑むアネモス。
懐からハンカチを取り出した公爵は、愛おしそうな表情で少年の涙を拭う。
「じゃあ、今日はこのままでお茶をしようか」
「えっ」
困惑した様子でオロオロしていたアネモスに、ヴァレアキントスがもう一押しする。
「いいだろう? 私はアネモスの目を見てお茶をしたいんだ」
「う、うん……」
ピンを取ろうとしていた手を止めて、恥ずかしそうにおずおずと頷く王子の頭を、公爵が頷いて優しく撫でる。
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