2-07a話:王子と王弟のささやかな昼食会1

「失礼致します。昼食をお持ちしました」

「ああ、どうぞ中へ」


 扉の向こうからヴァレアキントスの許可を得て、リコリスとジオラスのふたりがワゴンを室内に移動させる。


 王子と王弟の二人は、テーブルの上に置いた本を覗き込みながらノートに何かを書き込んでいたようだった。

 手を止めて侍女と侍従を迎え入れた公爵のそばで、アネモスが不安そうに愛らしい桃色の瞳を揺らしている。

 普段目を隠している少年は、髪の毛をピンで留めて、目が見えるようにしていた。

 リコリスはその瞳を見ていると、懐かしさや愛しさのあまりに、胸がぎゅっと痛む思いを感じた。


「あ、おじうえ。ぼくまだ……」

「よく頑張ったね、アネモス。きりも良いし、午前のお勉強はここまでにしよう。疲れただろう?」

「え、でも……」


 不安そうに見上げるアネモスに、公爵は頭を優しく撫でる。


「大丈夫。お前は十分頑張っているよ、アネモス」

「ほんとう? ぼく、べんきょうぶそくじゃない?」

「ああ。午前中に予定していたところは、無事に終えているからね。だから私と一緒に休憩して、ご飯を食べよう」

「……うん!」

「実は私はお腹が空いているんだよ」

「お腹がすいてるなら、早く食べないと!」

「その前に、きちんとお片付けしようか」

「うん。お片付けしないと、だいじなごほんがよごれちゃうんだよね」


 アネモスもお腹が空いていたのか、それとも叔父と一緒に食事を出来ることが嬉しいかったのか。

 王子は不安そうな表情を一転させて頬を緩めると、テーブルの上の筆記用具類をいそいそと片付けて始める。

 期待感に満ちた甥の様子を満足そうに頷いて見守る公爵を、リコリスが意外そうに眺めた。


(まさか、この子の教師はヴァレアキントス殿下がなさっているの……?)

「……主が王子殿下の教師をしていることが意外だったか?」

「えっ?」


 まるでリコリスの心の声が聞こえたかのような問いかけを、ジオラスが口にする。

 彼女は思わず、隣で待機していた侍従の顔を見つめてしまった。


「不思議な光景を目にした顔をしているように見えたが……」

「え、ええ」


 不思議そうにしていた感情が表情に出ていただけと知らされ、彼女は内心で胸をなでおろした。


「主は王子殿下の教育係を探してはいるが、請け負う教師が見つからない」

(きっと、使用人になりたがる人がいないのと、同じ理由ね……)

「そうは言っても、さすがに王子に教育をさせないわけにはいかないだろう? だから主がこうして、王子殿下の授業をしているんだ」


 公爵がアネモスのために時間を割いていた理由は、孤独な甥と交流し、彼を慰めることだけではなかった。

 王子でありながら、王と王妃だけでなく臣下に至るまで様々な人物から軽視されている不遇な少年。

 公爵はそんな王子を、王族の血を引く者としてのあるべき姿へ成長させようとしているのだろう。


(何故そこまでされているのかしら……。それも、まるで実のお子のように……)

「そうまでして主が時間を割いている理由がどうしても気になるなら、直接聞いてみると良い」

「私はまた、そんな顔をしていましたか?」

「ああ、そう言う顔をしていたな」

(そんなに分かりやすい表情をしていたかしら……)


 再び心を読んだとしか思えないジオラスの発言に、リコリスは苦笑するしかない。


 臣下の二人が主たちを見守りながら会話を続けていると、普段オドオドとした様子で話すアネモスにしては珍しく明るい声色で叔父に声をかけた。


「おじうえ、お片付け終わったよ。これで良い?」


 上げていた髪の毛は、片付けと共に下ろしてしまっている。

 そうやすやすとは、我が子に似た色をした少年の瞳を見つめることは叶わなくなってしまった。

 リコリスは名残惜しさを感じて、少し寂しそうにアネモスを見つめた。


(どうして、ああして目を隠しているのかしら……。とても、可愛らしい瞳をしているのに……)


 髪で瞳は隠れているものの、髪の隙間から見える表情は緩んでおり、彼が心から叔父との食事を楽しみにしていることが分かる。


「うん、偉いねアネモス。ちゃんと片付いているよ。これで安心してご飯を食べられるな」

「えへへ……。じゃあいっしょにごはんたべよ?」

「そうだな。昼食を始めようか。ジオラス、リ……リコリス、お願いするよ」


 リコリスの名を呼ぶ際に、公爵は必ずつっかえる。

 頭文字はあっているため、名前を忘れたり覚えていなかったりするわけではないのだろう。

 ならば、彼女の名前は彼にとっては発音し辛いのもしれない。

 不思議に思いながらも、公爵の声に頷いた。


「かしこまりました」

「承知した」

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