2-05a話:公爵再来1
前回の公爵来訪から数日後。
前回とは異なり、今度は正式に訪問日の先触れを出した公爵が、早朝に甥の様子を見にやってきた。
事前に訪問を知らされた影響か、それとも洗濯物騒ぎがいまだに後を引いているのか……。
今日の離宮の使用人たちの様子は、表面上では真面目に働いているように見える。
(それにしても。ヴァレアキントス殿下がいらっしゃる間に、王やティファレが立ち寄ることは一度もなかったわね。噂通り本当に、自分たちの子どもを見捨てているんだわ……)
王子に対する国王と王妃の仕打ちを考えるだけで、リコリスの憤りが増していく。
特に、王妃については自らの手の者を、わざわざ離宮内に送り込み、彼らに幅を利かせているのだ。
本人には聞いてはいないが、アネモスからしてみれば、自分を蔑ろにする両親など訪れない方が平和なのかもしれない。
例え二人が来たところで、王子が怯える様子が目に浮かぶようだった。
(どうしてあんなに大人しくて可愛らしい子に対して、あんな仕打ちが出来るのかしら。ティファレの不貞の子だから? それとも、呪われているから?)
(いえ、私もひとのことは言えないわ。だって、ここに来た理由は、王とティファレに復讐するために……王子を暗殺するためだもの。その……はずだったわ)
離宮の主である王子に一切姿を見せようとしない、彼の両親。
自分が王子の住む離宮に務め続ける限り、国王と王妃の暗殺の機会がリコリスの元に訪れることはないだろうと彼女は痛感した。
(あの二人へと手が届く場所に近付くには、やはり王子を……手に掛けるしか……。……でも……!)
悪魔から手渡された赤紫色の毒は、リコリスに割り当てられた使用人部屋に隠している。
同室のシウならば、ひとの荷を漁ることはないだろう。
しかし、万が一を考えて、出来るだけひとの眼につかないような、深い場所に隠している。
リコリスは、どうにかしてエラムディルフィン王とティファレ王妃に、報いを受けて欲しい。
しかし、何の罪もなく、そして親から突き放された幼い少年に対して、毒を使う決心がつかない。
決心などつくはずがないことを、彼女自身も心の隅で自覚していた。
悪魔から毒を手渡されてからというものの、心の隅でざわついている感情にいったんは蓋をしたリコリス。
毒も複雑な思いも決して暴かれることがないように、このまま仕舞い込んでしまいたいと彼女は願う。
(本当はヴァレアキントス殿下にも、合わせる顔がないのよね……)
そう思いながらも、リコリスは仕事と割り切り、数日ぶりに離宮へと訪れた公爵をシウと共に出迎えた。
今日もヴァレアキントスの侍従ジオラスが一緒だ。
「いらっしゃいませ、公爵さま」
「出迎えありがとう。ふたりとも、仲良く協力出来ているようだね」
「はい!」
感情を悟られまいと出来るだけ無表情に、声のトーンも平坦になるようにと心がけるリコリスとは違い、はつらつとした笑顔でシウが応えている。
そんな様子のリコリスを見つめてどこか心配そうにしていたヴァレアキントスが、王子への部屋への移動中のリコリスに、数日間の様子を問いかけた。
「離宮勤めを始めてみて、どうかな?」
「王子殿下のご様子ですか。そうですね……」
「あ、ああ、そうではなくて……」
「はい?」
王子のことについて問われたと思ったリコリスは、公爵不在中のアネモスの様子について語り始めようとした。
しかし、ヴァレアキントスはどこか気恥ずかしそうな表情をしながらも、彼女に改めて問いかけ直す。
「……リ……リコリスの働きぶりのほうを聞かせてくれるかい?」
「私のですか? そう……ですね。元からお勤めされている方々は腐っていらっしゃいますが、シウが来てくれましたのでとても助かっております。公爵さま、手配頂きありがとうございます」
「それはよかった。君もひとりではやっていきにくいだろうと思ってね。彼女を呼び寄せたかいがあったものだよ」
リコリスの返事を聞いた公爵が、安堵したように微笑む。
(やはり王子のことを気にかけていらっしゃるのね)
彼の微笑みを見ていると、彼の大事な甥を傷付けるために離宮に訪れたという事実と罪悪感に、胸が痛むのを感じるリコリス。
「前にも言ったけれども、何か困ったことが起きたら、遠慮なく相談して欲しい。とにかく些細なことでも良いんだ。シウのように、君の力になれると思うからね」
(ダメだわ……。私には傷つく資格なんてないのよ……)
彼女は一度感情を呑み込むように俯くと、ゆっくりと返事をした。
「……承知、致しました」
「そうですよ。リコリスさん、私も頼ってくださいね……!」
そうしているうちに、公爵と侍女侍従たちは、ようやく王子の私室に辿り着いた。
ヴァレアキントスが扉の前に立つと、シウは扉から離れて待機する。
それを見届けた後に公爵が扉をノックして、部屋の中にいる王子に話しかけた。
「アネモス、入るよ?」
「おじうえ? うん」
扉を開いたヴァレアキントスは、見るものに安心感を与える微笑みを浮かべてアネモスに声を掛けた。
「アネモス。おはよう」
数日前に料理長を首にしたとはとても思えぬ穏やかな雰囲気で、彼が守るべきものとそうでないものに対してときちんと線引きしていることが分かる。
慕う叔父が訪れたことで、少年は満面の笑みを浮かべて出迎えた。
「おじうえ! おはようございます」
「良い子にしていたかい?」
王子は今日も本を読んでいた。
あまり読んでいる書物を知られたくないのか、大人たちの姿を目にした彼は本をすぐに仕舞い込んでしまう。
「うん。してた……と思う」
どこか自信さなそうに首を傾げて答える王子は、リコリスにチラチラと視線を送っている。
口にしないものの「良い子にしていたよね?」と言わんばかりのアネモスの仕草に、ヴァレアキントスも視線を彼女に向けて答えを待ちわびるように微笑む。
「どうかな?」
「そうですね……」
彼女がこれまで世話をしていた王子と同じ年頃の貴族の子どもは数人ほど。
彼らは、あれが欲しいと喚き散らしたかと思うと、手に入れたら途端に興味を失い部屋の隅に放置してしまう子ばかりだった。
我が儘を言って使用人を振り回して困惑させ、食べ物であれば嫌いな物には一切手を付けようとしない子が多かった。
一方、リコリスが驚くほどに、アネモスは我が儘を一切口にしない。
欲しい物を求めることもなければ、やりたいことを願わずにいる。
虐げられている境遇のせいもあるのだろう。
しかし、あの国王と王妃の息子とは思えないほど控え目な様子に、彼女はどこか拍子抜けすると共に、あの親にして子あり、と言うような性格ではないことに安堵していた。
「ちゃんとご飯をお召し上がりになられていましたし……」
アネモスは嫌いなものを食べるときに顔をしかめながらも、頑張って平らげようとする。
以前の嫌がらせのような料理ではなく、彼の体調に合わせた料理さえ提供すれば、丁寧に完食するのだ。
「ご自身のことはご自身でなさいますし……」
呪いによる吐血を伴う重い発作も、初日の一度きり。
以降は軽度の咳が続く程度で、シーツや衣装を汚すこともない。
しかし、一度呪いが発動すると、軽度と言えども王子は辛そうに痣を押さえて目に涙を浮かべて痛みに耐えようとしていた。
その様子を見る度に、悪魔の為した行為ではあるものの、悪魔の片棒を担ごうとするリコリスの罪悪感が膨れ上がっていく。
「とても良い子になさっておられましたよ」
幼いながらも淡々と、けれども必死に、その日をしのいで生きていることが良く分かる。
王子はリコリスが当初思っていたよりも健気で、あまりにも手がかからなかった。
王と王妃の子どもでさえなければ、世話をする相手として大変好ましいと感じる子どもだ。
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