2-03b話:忌まわしき焼却炉2

 焼却炉の近くで真っ青な顔をしていたリコリスは、新たに現れた侍女の肩を借りて、焼却炉から離れた。

 ゆっくりとした足取りで焼却炉が見えなくなる木陰に辿り着くと、見慣れぬ侍女はハンカチを地面に置いてリコリスを座らせる。


「少しだけ、顔色がよくなりましたね。よかったです」

「ありがとうございます……」


 冷静になろうとしたリコリスが深呼吸する。

 早鐘を打っていた心臓が落ち着きを取り戻すと、リコリスは顔を上げて見慣れぬ侍女を見つめた。

 昨日の酒盛りメンバーの中にはいなかった顔だ。

 しかし、リコリスにとってはなぜか、見覚えのある顔に感じられる。


「あの、差支えなければで良いのですが……。あんなに具合が悪そうなのに、どうしてあんな場所にいたのでしょうか?」


 心配そうにリコリスに問いかける様子からは、リコリスが離宮に来てから出会ったことのないタイプの人物だろう。


「少し気になることがあったので……」

「焼却炉にですか?」


 頷くリコリスに、侍女は怪訝そうにしている。


「ここでは、王子の着替えは洗濯せずに、燃やすのですね……」

「えっ!?」


 疲労感と共に複雑な心境を零すと、見慣れぬ侍女は怒りを露わにした。


「仕える方を、なんだと思っているんでしょう!」

「え? あなたはここに務めているのでしょう? 知らなかったのですか? 私は、昨日来たばかりなので……」

「実は私も、今日こちらに到着したばかりなんです」

「え? 今日から?」

「昨日来たばかりということは……。もしかして、リコリスさん……ですよね!」


 リコリスが頷くと、見慣れぬ侍女は嬉しそうに微笑んで自己紹介をした。


「初めまして。私の名前はシウ。とある縁がありまして、公爵閣下からこちらでのお仕事をご紹介頂きました」

(昨日の今日で、続けてヴァレアキントス殿下繋がりの新人採用……?)


 リコリスは彼女の名前を聞いて、はっと思い出した。

 どこか見覚えのある顔に、シウと言う名前……。


(いえ、ちょっと待って……。シウって言ったかしら? もしかして……)


 改めてシウの顔をじっと観察すると、リコリスはようやくあることに気づく。

 彼女は、リコリスが王妃であった頃の、リュンヌの侍女のひとりだった。


「私はリコリスさんの補佐という形で、今日から一緒にお仕事させて頂くことになりました。ただ、リコリスさんとは違って王子殿下専属でありませんので、他の業務にもあたることになると思います」

「え? 補佐?」

「なんでも、王子殿下は人見知りが激しく、初対面のひとを怖がりになるとお伺いしました。リコリスさんなら、王子殿下が怖がられないようですから、私は見えないところで、リコリスさんの働きを支えさせて頂きますね。よろしくお願いします」

「よ、よろしくお願いします」


 嬉しそうにシウが差し出した手に、リコリスは緊張気味に手を握って握手を返した。


(ヴァレアキントス殿下の紹介というのが本当なら、彼は一体どんな思惑でシウを離宮に送り込んだのかしら……)

「そうそう。公爵閣下は、リコリスさんの助けになればと思って、私を補佐につけようと思ったそうですよ。わざわざ私に連絡をとってくださったのです」

「公爵さまが、シウを選ばれたの?」

「はい。私なら、リコリスさんがやりやすいように動けると思ってくださったようです。なので、頑張りますね!」


 どうしてヴァレアキントスが、リコリスのためにシウを選んだのだろうか。

 確かに彼女は気が利く上に、相手の視線を読んで先回りしては必要なものを必要なタイミングで手配してくれる優秀な人員だ。

 だからこそ、彼女がそばで働いてくれるならば心強いのだが、果たして理由はそれだけなのだろうか。


(理由がそれだけだったとしても、元王妃の侍女を、現王妃の息子の侍女として勤めさせるなんて……。彼女は、アネモスのことをどう思っているのかしら。……いえ、私の味方かもしれないなんて甘い期待を寄せるのはやめましょう)


 リコリスは立ち上がると、自身が下敷きにしていたハンカチを手に取った。


「ハンカチは、新しいものを用意してお返ししても良いですか?」

「返却不要ですよ。もう具合は大丈夫ですか?」

「そうですね。だいぶ落ち着きました。ありがとう、シウさん」


 それでもまだ少しふらついているリコリスのことを、シウがさり気なく支える。

 ふたりは共に離宮の建物内へ戻っていった。


「今日は到着早々に待ちぼうけを受けたうえに、誰も離宮を案内してくれないから困って彷徨っていたのですが、リコリスさんに出会えてよかったです」

「私も昨日来たばかりでまだ不慣れですけど、案内しましょうか?」

「お願いします! まずは王子殿下のお部屋から……」

「ぎゃああああああ!!!」


 今日これからやるべきことをふたりで話をしながら歩いていると、不意に甲高い叫び声が聞こえてきた。


「!? 悲鳴!?」


 リコリスとシウは顔を見合わせると、叫び声のした場所まで走り出した。


(この声は、さっきの……)


 現場に辿り着くと、聞き覚えのある声の主は、リネン室にリコリスを案内し、アネモスを呪われ王子と蔑んだ侍女だった。


「あ……あああ……!」


 彼女は、洗濯洗い場でしゃがみこみ、両手を見つめて体を震わせている。

 まるで、何かを見つけて絶望したように見受けられる様子だった。


「な、な、なっ、なによ、これッ!!」


 侍女の近くには、洗濯籠が乱雑に転がり、衣類が散乱しているだけだった。

 見回す限り、他に不審なものや、人物などは見当たらない。


「何があったんですかね?」

「洗濯物を散らかしているようにしか、見えませんね……」


 発狂した様子を見せる彼女の様子が異様なあまり、近づきがたく感じたリコリスとシウは、影で彼女の様子を伺うことにした。


「ど、どうして呪われ王子のタオルが、混じっているのよ!!」


 他のものと混じった王子のタオル……と聞いて、リコリスは朝の出来事を思い返した。


(たしか、王子の着替えは王子専用の籠に入れたけど、シーツやタオル類は他の籠と一緒にしたわね)


 そこまで考えて、ふと気づいた


(……え? もしかして、それだけの理由で騒いでいるのかしら……?)


「やだ! 呪われる! 呪われるわ!! 助けてっ……! 誰かッ! 誰か助けてよ!!! 誰かああああ!!!」


 洗濯を放棄したうえに発狂して逃げ出す侍女を、シウが唖然とした様子で眺めている。


「? なんですか、あれ?」

「どうやら、王子殿下の衣類がほかの洗濯物と一緒になっていたようですね。王子殿下のものだけ、洗濯籠が別になっていましたから……」

「え? それだけで? あんな怯えよう?」

「殿下のものに触れると、呪われると思っているようですね……」


 呆れたリコリスは溜め息をつき、シウの様子をちらりと一瞥する。

 彼女も呪いについて何とも思ってないようで、去っていく侍女を呆れた視線で見つめて吐き捨てた。


「そんなまさか! 本当に触れただけで呪われるなら、いまごろ公爵閣下は呪われていますよ」

「私もそう思います」


 誰もいなくなった洗い場に足を踏み入れたリコリスが、アネモス専用のタオルを手に取る。

 他のタオルは真っ白だったが、王子のものだけは薄桃色をしていた。


(他のと違う色をしているわね。昨日は何とも思わなかったけど、王子のものだけを色で見分けて判断するためだったんだわ……)


 腹を立てたリコリスが、怒りを込めるようにタオルをギュッと握り締めた。


(本当に……一番怖いのは、呪いではなく、ひとの心よ……!)


 そんなリコリスの隣で一緒になってタオルを拾っていたシウが、不意にぼそっと呟いた。


「それにしても、あの方は誰かに助けを求めてどうするんでしょう」

「どうする……と言うと?」

「離宮勤めの方々は、王子の呪いを怖がっている方ばかりじゃないですか。そんな方たちに助けを求めてもしょうがないと思いません?」

「そう言われてみると……そうですね」

「呪いを招いた! とか言って、余計に混乱を招くと思うんですよね」


 そう言って立ち上がったシウが、拾ったタオルを籠の中に戻したとき、発狂していた侍女が逃げ込んだ先から大きな悲鳴があがる。


「うわああああ!!!」

「ぎゃああああ!!!」

「来るな! 来るなああ!! 呪われるから、来るんじゃない!!」


 どうやらシウの予想通りに、侍女が誰かに助けを求めたことで、他の人物にも混乱が広がってしまったようだ。


「はぁ……。ここのひとたちは……。呪いは移らないものなのに、学ばないのかしら……」

「公爵閣下にお伝えして、人員の総入れ替えが出来ないものですかね」

「それが出来たら、もっとまともなひとたちがここで働いていますよ」

「それもそうですね……。これは、しっかりとリコリスさんをお支えしなくてはですね!」


 呆れのあまりに溜め息をつくリコリスの隣で、シウが気合を入れていた。

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