2-02a話:反発と忠告と1
厨房へ向かう前に、リコリスは衣類を手に洗濯室にやってきた。
通常の洗い物とは別に王子専用と指定された洗濯籠を覗き込むと、昨日放り込んだアネモスの衣装やタオルがまだ収まったままだった。
(この籠の中のものだけ、まだ洗濯していないのね。最初は、王子専用と明確に分かれているからには、ほかよりも念入りに洗濯しているのかと思っていたけれども……)
他の洗濯予定の籠を覗き込むと、中身は空っぽになっている。
つまり、アネモスの洗濯物だけまだ済ませていないか、あるいは……。
(まさかここの勤め人たち、王子の住む離宮に勤めてながら、王子の料理に続いて洗濯まで仕事を放棄する訳ではないわよね……? 王子に仕えるつもりなんて、ない態度に思えるわ……)
彼女は使用人たちの態度に対して、嫌悪感を募らせる。
王子のために丁寧に洗濯をするという意図で分けているなら、まだ良い。
しかし、昨日のリネン室での侍女の反応を考えると、そんな意図ではないことは明白だ。
リコリスは、王子専用と書かれていない洗濯籠に、今日王子の部屋から回収したばかりのタオルやシーツをまとめて積み上げる。
そして、明らかに王子のものだと分かる衣類だけを、王子専用の洗濯籠に放り込んだ。
「これで少しでも、仕事をしてくれるといいのだけれども……」
彼女はひとりごちると、踵を返して厨房へと向かった。
厨房に近付くにつれて、香ばしい香りが辺りに広がっている。
どうやらパンを焼いているようだ。
(もう仕事を始めているのね。……またさぼっているかと思ったわ)
「おはようございます」
昨日の騒ぎのせいで、ろくでもない言いがかりをつけられるかもしれない。
リコリスはそう考えながら、憂鬱な気持ちで扉を開く。
厨房では料理人たちがすでに調理を始めていた。
「お前……!」
そして予想通り、リコリスの姿を目にした料理人のひとりが顔を真っ赤にさせて彼女に詰め寄ろうとした。
「よくもノコノコやって来たな! お前のせいで、料理長が辞めさせられたんだぞ!」
「え?」
昨夜リコリスが食器を下げに厨房に戻った時、料理長はまだ呆然とした様子が抜けきっていないように見えた。
そんな彼が一夜にして職を追われたと言う予想外の一言に、彼女は唖然とした表情を浮かべる。
彼女が思っていたよりも積極的に、公爵は王子を虐げた者たちを排除しようと動いていたようだ。
むしろ、昨日の口振りからはもっと大きく手を入れたいと思っている素振りを感じる。
(ヴァレアキントス殿下にとって、王子はとても大事な存在なのね……)
リコリスの胸がつきりと痛む気がしたのは、ヴァレアキントスが大切にしている存在を彼女自身の手によって傷付けようとしているからだろうか。
少し俯き加減でいると反抗する気がないと思われたのか、料理人からの怒鳴り声が響いた。
「なんとか言えよ!」
(何とかと言われても……。彼ら自身の勤務態度のせいだから、自業自得だもの。それが分かっていないのかしら)
むしろ、公爵侍従に酒盛りを目撃されていながらも、首を切られたのが料理長だけであったことに感謝すべきではないかと彼女は思った。
「それに、呪われた王子に味の良し悪しなんか分かる訳がないだろう? あんただって見ただろ? あんな顔中痣だらけで……! 顔があんなんで、味が分かるのか!?」
料理人の言葉に、リコリスは昨日のアネモスの姿を思い返す。
(あの子は、私の作った料理をちゃんと味わっていたもの。本当に味が分からないのだとしたら、あんな表情を見せて食事をしたりなんかできないわ。それを彼らは知らないだけ)
美味しいと言って微笑んだ幼い少年は、涙を流していた。
あの涙には、どんな感情が込められていたのだろうか。
(それに、王子の顔面は痣だらけだと彼は言うけれども、実際には顔の半分だけだわ。王子の顔をまともに見たことの証拠ね。偏見と噂だけで、こんな風な物言いが出来るのね……)
内心で呆れつつも、料理人の話を聞き流すリコリス。
「おい!」
そんなリコリスの態度に腹を立てた料理人が、リコリスに近付き肩に触れようとする。
乱暴に肩が掴まれると思った寸前で、もうひとりの料理人が彼を静止した。
「そこまでにしておけよ。料理長がすべての責任を被らされたからこそ、俺らは不問にされたんだからな? 変に騒ぎを起こして俺たちまで辞めさせられたら、たまったもんじゃないだろ?」
「だけどな! 料理長はあんなに素晴らしい料理を作られる方なんだぞ! 公爵さまだってそれを召し上がったんだろ? なのに、何故その良さが分からないんだ!?」
(そんな料理人を何故、病弱で食の細い王子が暮らす離宮へ配属させたのかしら……)
「料理長は料理の腕は良くても、色々問題が多かった人だったからな。……横領とか。それを誤魔化すのにああして宴会なんてやってるからこうなったんじゃないか。冷静に考えてみろよ。あれは自業自得だ」
自業自得という言葉に、思わずリコリスが頷きかけるが何とか耐える。
「ッく!」
リコリスに突っかかっていた料理人は同僚に諭され、納得いかない表情を見せながらも肩を怒らせて退散した。
あとに残ったのは、乱暴気味な同僚を静止したもうひとりの料理人だった。
「……あんたもだ。だいぶ悪目立ちしているぞ。職を失いたくなければ、大人しくしておいた方が身のためだと思うが?」
人事を采配する者は公爵に限らず他にもいる。
そう暗にほのめかすように、料理人は肩をすくめて言った。
「……そうですね。肝に銘じておきます。ところで……」
「なんだ?」
「食材を頂いても?」
「当然だ。
皮肉るような料理人の発言からは、厨房勤めの料理人たちは王子の料理に関わらないと宣言しているに等しい。
ふたりの会話に聞き耳を立てている他の料理人たちも、リコリスに対して白い目を向けている。
「私は専属侍女として雇われたはずですが……いつの間にか職種が増えていますね」
「これ以上職種を増やすつもりがなければ、下手に動くことを控えるべきだな」
(そもそも、ほかの使用人たちがまともに働いてさええれば、昨日みたいなことにはならなかったでしょうに……)
「そうですね。このままでは私の手が回らなくなってしまいます。王子専属侍女の業務にも影響が出てしまうでしょうし……善処します」
「ただ、料理に関しては足りないものがあれば、伝えてくれ。こちらで用意しよう」
「ありがとうございます、助かります」
(そう言えばこのひとは、乱暴な料理人から庇ってくれたわ。意外にも親切ね)
リコリスの前から立ち去り仕事に戻ろうとする料理人の背を、彼女は複雑な心境で見送った。
(……いまのは悪目立ちするなと言う忠告かしら。素直に目立つなとだけ伝えればいいものを……。不器用なひとね)
気を取り直したリコリスは、まずは自分の簡単な食事を作り、手早く胃の中に収める。
そしてアネモスのために、食べやすくて子ども向けな料理を少量作り上げてトレイに載せていく。
(これまでまともに食べていなかったようだから、まだ量は少ないほうが良いわね。果物もぶどうを数粒だけ持って行きましょう)
そして最後に新鮮なミルクを温めると、リコリスは颯爽と厨房から立ち去った。
ダラダラと仕事をしながらも彼女に反発していたはずの何人かの料理人が、手際のよいリコリスの様子を感心したように伺っていた。
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