1-15話:リンゴ
それからアネモスはゆっくりと時間をかけて食事を続ける。
王子が食べ終わった頃には、リコリスの涙もようやく落ち着いた。
気を取り直したリコリスは、ジオラスから果物ナイフを受け取る。
「何をするんだい?」
「今からリンゴで、デザートをお作りします」
「デザート?」
リコリスがリンゴをひと欠片手に取り、皮をしゃりしゃりと剥く。
「わぁ……! うさぎだ……!」
出来上がったのは、うさぎの形をしたリンゴ。
リコリスが皿の上に一つ置くと、アネモスは瞳をキラキラと輝かせてうさぎを見つめる。
続けてリコリスが二つ目のリンゴを手に取ると、王子は期待に満ちた眼差しを彼女の手に向けた。
粗末な料理を出されていた少年が、少しでも前向きに料理に目を向けてくれたら……。
復讐相手であるにも関わらず、調理中にそう願ってしまった彼女は、幼い子どもが目を引く行為をアネモスの目の前で演じることにしたのだ。
思っていたよりも王子はすんなりと料理を口にしていたため、もはや不要な演出だったかもしれない。
それでも効果はじゅうぶんにあったようで、アネモスが好奇心を持ってじっと見つめるリンゴを、彼女は手元が狂わないよう慎重にうさぎの形へと変えていく。
「出来ました」
そして、皿の上には最終的に、リンゴで出来た四匹のうさぎが現れた。
「すごい! 見ておじうえ! うさぎ! うさぎだよ!」
「本当にすごいね。よく出来てるよ……」
「有難うございます。以前お世話になったお屋敷で、おねだりされておりましたので」
はしゃいで叔父の袖を引っ張る王子と感嘆の声を漏らす公爵に、リコリスがたいしたことはないと言うように答えた。
「さっきのスープを食べさせてあげるのも、よくやっていたことなのかな?」
「そ、そうですね……。先ほどは失礼しました、王子殿下……」
「ううん? しつれいじゃないよ?」
どこか揶揄うように先ほどの失態を引き合いに出す公爵へ、リコリスは若干恥ずかしい思いをしながら答える。
一方、何故彼女に謝られたか分からない様子の王子が首を傾げていた。
「ではお毒見を失礼します」
「あぁー……うさぎが……」
気を取り直したリコリスが、リンゴに手を伸ばし、咀嚼する。
その様子を眉尻を下げたアネモスが口を大きく開けて見つめた。
うさぎのリンゴを作っていたときとは違った意味での強い眼差しを少年から感じながらも、彼女は若干緊張気味に一つ完食した。
「うさぎ、たべちゃった……」
「さあ、アネモスも食べようか?」
悲しそうに呟くアネモスに公爵が頭を優しく撫でて言うと、少年は驚いたように目を見開いた。
「え……ぼくも? たべちゃうの? たべちゃうと、なくなっちゃうよ?」
「うさぎのリンゴが気に入ったのかい?」
「うん」
「きっと、また彼女が作ってくれるよ。彼女はアネモスの侍女だからね。だから、食べようか」
「……! うん!」
嬉しそうに頷いたアネモスは、リンゴの皮で出来た耳をフォークでちょんとつついたり、じっと観察して楽しむ。
一通り眺めて満足した王子が口に入れようとしたところ……ふと彼の動きがぴたりと止まる。
「おじうえ」
王子の様子を微笑ましく見守っていた公爵が不思議そうに首を傾げた。
「ん? どうしたんだい、アネモス」
「おじうえもうさぎ、たべる?」
リンゴを挿したフォークを公爵に差し出して、王子が可愛らしく首を傾げる。
「そうだね。折角四つあるから、私たちも頂こうか。ジオラスにもあげても良いかい?」
「うん! どうぞ?」
「有難うございます、殿下」
侍従がリンゴを口に入れたのを見届けてから、公爵はアネモスに語り掛けた。
「じゃあ私にもくれるかな?」
「はい、どうぞ」
キラキラとした眼差しで叔父にリンゴを食べさせる王子。
公爵は彼が差し出したフォークからリンゴを一口かじると、アネモスを慈しむように優しく頭を撫でる。
「……うん。おいしいね。有難う、アネモス。優しい子だね…………のように……」
彼が後半口にした言葉は、リコリスには聞こえなかった。
そしてアネモスにも聞こえなかったのか、彼は期待に満ちた眼差しを叔父に向けている。
「じゃあアネモスにもあげようか。はい、どうぞ」
「あむ……むぐ……」
公爵はアネモスからフォークを受け取ると、残り一切れとなったうさぎのリンゴをフォークで挿し、慣れた手つきで少年の口元に持って行く。
王子は嬉しそうにリンゴを噛みしめると、公爵に笑顔で語り掛けた。
「おいしいね、おじうえ」
「そうだね、アネモス」
ただうさぎの形に切っただけのリンゴを、王子とその叔父は暖かな笑顔を向けあって咀嚼した。
それから暫くして、食事を終えた王子が大きな欠伸を可愛らしい仕草で出し始める。
「ふぁ……ぅ……ん」
「はは、お腹いっぱいになった眠くなったかな? 今日はもう寝ようか」
アネモスたちがゆっくり食事を楽しんでいるうちに、室外ではすでに日が落ちていた。
「ん……。おじうえ、かえっちゃうの?」
王子がぎゅっと叔父の袖を掴みながら、目を擦って眠そうにしている。
「……そうだね。まだ時間はあるから、お前が寝るまではそばにいるよ」
「おじうえ、ありがとう!」
ベッドで横になったアネモスの手を両手で握ると、公爵は祈るように囁いた。
「アネモスの見る夢が、幸せに溢れた良い夢でありますように……」
「いいゆめ、みれるよ。だって、ね……。むにゅ……」
王子は幸せそうな表情でぽんぽんと空いている手で枕を叩き、何かを言いかける。
しかし、すぐに寝息を立ててしまい、続けて何を言おうとしたのかはリコリスには分からない。
公爵には伝わったのか、彼は優しくも切ない表情をアネモスに向けていた。
ベッドの上ですやすやと穏やかなに眠るアネモスは、遊び疲れた子どもの姿そのもの。
彼にとって今日と言う日が充実した日であっただろうことは、一目見て分かる様子だった。
リコリスが初めて出会ったときは怯えていた様子だったが、世話をきっかけに彼女にも少しは気を許したのだろう。
(上手く懐に入れはしたけれども……。……こうもあどけない姿を見せられてしまうと……)
眠るアネモスの姿を遠目から眺めているリコリスの瞳が、罪悪感に溢れる心境を反映するように揺れる。
そんな彼女へ、公爵が労わるように話しかけた。
「有難う、リ……リコリス。アネモスを君に任せることが出来て、本当に良かった。これからも……アネモスのことを頼めるかい?」
公爵は右手を出して、リコリスに握手を求めた。
「もちろんでございます。公爵さま」
しかし、彼女は公爵の手を取らず、一礼を返す。
例え失礼に当たろうが、リコリスは決意を揺るがしかねない要素をこれ以上増やしたくなかったからだ。
すでに彼女は、蔑ろにされている王子を目の当たりにして、彼に同情心を寄せている。彼女自身もそれを自覚していた。
(私は……国王とティファレの子を暗殺しなくてはいけないのよ……。そうしなければ……あの二人に報いを受けさせることが出来ないもの……!)
公爵はそんなリコリスを、悲しそうな瞳で見つめて言った。
「……リコリス。もし辛いことがあったら、私に相談してくれないかい?」
「え?」
「ここで過ごすからには、この先きっと沢山の困難が待ち受けているだろう。そんなときに、ひとりで抱え込まないでほしいんだ」
「どうして、侍女に過ぎない私に、そのようなことを仰るのですか?」
昔、どこかで聞き覚えのある言葉に対して、リコリスは困惑気味に問いかけた。
「私はね、過去に、ひとりで抱え込んでしまって……そのままどこかへ消えて行ってしまった人を知っているから……。私はもうあの時のように、後悔したくないんだよ」
ヴァレアキントスの近くにいて、ひとりで抱え込み消えてしまった人物とは、王妃であったリュンヌのことだろう。
だというのに彼は、まるでリコリス自身に言い聞かせるように語り掛ける。
公爵のその後悔に苛まれる様子が、リコリスの罪悪感を刺激していく。
「君の存在は、本当に貴重なんだ……。誰も、アネモスと向き合ってくれないから……。だから、君には長くここに努めて欲しい。そのためには、気兼ねなく相談してほしいんだ。私と君は、公爵と侍女という身分さのある立場であるけれども。でも、共にアネモスを支えようとする立場に違いはないからね」
「……承知、いたしました」
彼女はふと、ヴァレアキントスの言葉が、エラムディルフィンとの結婚前にも以前彼自身に言われたことだと気づく。
しかし、いまさら過去のことを思い出したとしても、もう遅い。
本当の彼女は王たちの仕打ちに耐えられず、王弟である彼にも相談することもできずに、とっくに姿を消した存在なのだから……。
(あの時、ヴァレアキントス殿下に相談することが出来たら……今頃なにか変わっていたのかしら)
それでもリコリスは、もし……もしもヴァレアキントスに相談していたら。
そうすることが出来ていたら、今とは異なる道を歩んでいたのだろうかと、心の片隅で夢想する。
彼女の視線の先には、夢の中で幸せな出来事に出会ったのだろうか、穏やかな表情で眠るアネモスの姿があった。
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