1-16話 閑話:おかあさん(ヴァレアキントス視点)

「アネモス、これを見てごらん?」


 王弟でもあるヴァレアキントスが、キラキラと輝くピンクゴールドの小さな石が付いたネックレスを甥のアネモスに見せた。

 王子の目の前でゆらゆらと揺れるたびに、宝石は室内灯の光を反射して輝く。


「キラキラしてきれいだね」

「そうだね」


 まるでこの子の瞳のようだ、と公爵は思いながら頷いた。


「きれい……」


 しばらく物珍しそうにじっと見つめていたアネモスだが、次第に叔父の顔色を窺うようにちらちらとネックレスと彼を交互に見つめ始めた。

 王子が何が言いたいのか分かった公爵は微笑むと、ネックレスチェーンをゆっくりと揺らして彼が言い出すのを待つ。


「……おじうえ、さわっちゃだめ?」

「良いよ、アネモス。手を出して」


 許可を出したことで、ぱあっと明るい笑顔を見せる王子だが、すぐにまた上目遣いで恐る恐る聞き直した。


「いいの? ほんとうに?」

「ああ。良いんだよ、アネモス」


 だってこれは、お前の本当の母に違いない人物の持ち物なのだから。

 ……そう続けたかった王弟だが、現王妃の不敬になりかねない言葉を閉ざすしかなかった。


 代わりに頭を優しくなでてやると、王子がほっとした表情を見せる。


 もし伝えることが出来たとしても、この子を期待させては悲しませる以上の確証はない。

 ただ、桃色の瞳の色が、長い間焦がれ続けた輝きと同じだったから。

 ただ、家族に愛を乞うては揺れる眼差しに、胸が張り裂けそうな切なさと懐かしさを感じたから。

 ただ、自分が抱き上げさせてもらったときの王子の姿が、紛れもなくアネモスそのものだったから。

 ただ、彼女が姿を消す直前に、我が子の愛名を口にしかけてしまったのを耳に挟んでしまったから。

 ただ、王子が呪われたことで、愛名に何かしらの問題があることに気付いたから。


 ……そう。

 可能性となる要素はいくつでも上げられると言うのに、確証へと至る決定打はない。

 少しでも確証のない発言を口にすれば、王や王妃によって簡単に握り潰されてしまうだろう。

 だから彼は、黙っていることしか出来ないでいる。


 彼女がここにいれば、きっと王子を誰よりも愛情深く包み込んで、そして安心させてあげるに違いないだろうに……そう思いながら。


「こう?」

「そうそう」


 ネックレスがしゃらりと音を立てて、アネモスが皿のように広げた小さな両手の上に受け渡される。


「きらきらだね。おじうえのなの?」

「私のではないね……。これはそう……お母さんのだよ」

「おかあさんの? おじうえのおかあさん?」

「いや、私の母のではないよ。これはううん……そうだな」


 お前の母のだ、とは決して言えない。本当は口にしたくとも、絶対に口にしてはいけない言葉だからだ。

 であれば、誰のものだと説明するべきだろうか。

 悩んだ末に、王弟は苦肉の策を思いついた。


「これは『お母さん』という存在の持ち物だよ」

「うーん?」


 首を傾げるアネモスに、叔父は言い訳がましさを自覚して苦笑しながら話す。


「昔話のようなものさ。自分の子どもが大切で大好きな『お母さん』が、昔持っていたものなんだ」

「おじうえは『おかあさん』?」

「ぶっ。いいや、違うよ」


 こんなに大事そうにしてるのに? と、アネモスは不思議そうに首を傾げる。


「じゃあ、どうしておじうえが持っているの?」

「『お母さん』が落としてしまったからだよ」

「どうして落としちゃったの?」

「……どうしてだろうな」

「おじうえにも、分からないの?」

「ああ、分からないんだ。だから早く、返してあげたいんだけどね……」

「『おかあさん』はどこかにいっちゃったの?」

「ああ。『お母さん』は大事にしていた子どもを奪われて……悲しくなって、どこかに消えてしまったんだ」

「……『おかあさん』は、その子をだいじにしていたんだね」

「ああ、そうだよ」

「ぼくもね。ははうえに、大好きって言ってもらいたいな……」


 アネモスの瞳を潤んでいく。公爵は慰めるように、優しく彼の頭を撫でた。


「……アネモス」


 ネックレスを手のひらの上に乗せたままのアネモスの手を、王弟は両手で包み込んだ。


「お前が、これを誰にも見せずに大事に持っていられるなら。私はお前に預けようと思う」


 アネモスは叔父に言われた言葉が信じられなかったのか、大きな目を丸くして瞬きを繰り返す。


「……だれにも……?」

「ああ。誰にもだ」


 本当は、彼女の残した大切な物を誰かに預けるなんてことはしたくない。

 しかし、叔父としてアネモスを不憫に思った彼は、決意した。

 この子の生きる糧として、そばに与えてやりたいと。


「お前の父や、母。それだけじゃない、離宮勤めの者……すべてに見つかってはいけないよ。出来るかい?」

「……分からない。だって……」


 自信なく言葉を途切れさせたアネモスの様子に、公爵は眉を顰める。

 公爵の目の届かないところで、アネモスが使用人にすら虐げられていることは、彼も把握していた。

 だからこのネックレスも見つかってしまえば、強欲な使用人に金目のものとして奪われてしまう可能性がある。

 しかし、幸か不幸か、アネモス自身が持ってさえいれば、呪いを恐れるものの目からは逃れることが出来るだろう。


「いつもお前が持っていれば問題ないよ」


 本来ならば、王子を手元に置いて見守っておくべきだと公爵は感じている。

 しかし、思うように彼を保護出来ないでいた。

 王子を見捨てたはずの現王妃が何を思ってかしつこく食い下がり、離宮の人事に口を挟んでくる影響だ。

 見捨てたままで口を出さないでいてくれさえいたら、公爵もアネモスのことを自らの館に連れ帰って保護することが出来たと言うのに。


「でもそうだね……もしアネモスの身体を調べられそうになったら」


 公爵はアネモスからネックレスを受け取ると、枕の下のシーツの上に隠した。


「……こうやって枕の下にでも隠してしまうと良いよ」

「……うん」

「それにね、枕の下に大切なものを置いて眠ると、いつかその夢が見られるかもしれないんだ」

「ほんとう? じゃあここに置いておけば、『おかあさん』の夢がみれるかな?」

「アネモスが大事にし続けていたら、きっとね」

「分かった……! ぼく、だいじにする」


 王子は枕を軽くぱんぱんと叩くと、門番のように枕元にしがみ付いた。


「『お母さん』が見つかったら、私の代わりにお前が返してあげるんだよ」

「みつかるといいね。それまでぼくが、まもってるね……!」

「そうだね」


 大事な宝物を手に入れたアネモスを、公爵が優しい眼差しで見つめながら頭を撫でてやる。


 アネモスをこのままにしておけば、いずれは呪いで命を落としてしまうだろう。

 王弟として、アネモスの叔父として、そして……桃色の瞳を切なそうに輝かせて愛を欲していた彼女のために……。


「一刻も早く、呪いを解く方法を見つけ出さなければ……。それに、リュンヌ嬢の行方も……」


 奇しくも、王弟の言う『お母さん』が彼らの前に現れたのは、それから数ヶ月後の出来事となる。

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