1-14a話:毒見1
リコリスがジオラスと共に王子の私室に戻ると、ベッドサイドの椅子に座っていた公爵が彼らに向けて口元に人差し指を当てる。
アネモスはまだベッドで眠っていた。
テーブルに料理の載ったトレイを静かに置くと、公爵が興味深そうに覗き込みにやってくる。
「良い香りだね。ふふ、それにオムレツの絵が可愛いな」
リコリスはオムレツにケチャップで猫の絵を描いていた。
五年間悪魔の元に身を寄せていた際に、小さな子どもの世話をしたことがある。
その時にせがまれて描いていたため、手慣れた様子だ。
もしレンデンスのために作るのであれば……。
そう想いを馳せながら調理した彼女は、我が子なら気に入ってくれるだろうかと思いながら描いたのであった。
「恐縮です」
ニコニコと微笑みながらも若干物欲しそうに、料理とリコリスを見つめる公爵。
リコリスは苦笑したのち、目を伏せて彼の目から逃れようとする。
「主……」
公爵の近くでは、侍従がどうしようもなさそうな生暖かい目で主を眺めていた。
大人たちは小声で話をしていたつもりだが、不意にアネモスが小さな声を漏らす。
「ん……」
「ああ……アネモスを起こしてしまったかな」
公爵は苦笑してアネモスの元へとゆっくりと歩いていく。
「ぅ……」
大人たちの方へと寝返りを打つと、アネモスが目を少しずつ開いてぼんやりとした表情で呟いた。
「おじうえ……?」
「うん? 私はここにいるよ」
公爵がアネモスの頭を優しく撫でると、彼はほっとした表情で微笑んだ。
「おはよう、おじうえ」
「おはよう。よく眠れたかい、アネモス? 辛いところはないかな?」
「うん。つらくないよ」
叔父の手を借りて起き上がると、彼は鼻を引くつかせて不思議そうに辺りを見回した。
「……?」
「良い香りがするだろう?」
「うん……」
「ほら、あれだよ。見てみるかい?」
「うん」
公爵がベッドから丁寧に王子を下ろすと、アネモスは叔父の服の袖を掴んだ。
料理の置かれたテーブルまで歩くと、公爵は王子と同じ目線にしゃがみ込み、甥に向けて優しく語り掛けた。
「これはね、アネモスのご馳走だよ」
「ぼくの?」
「そうだよ」
アネモスの目には美味しそうに映っただろうか。
公爵にぴたりと身体をくっつけていた王子は、口と目を大きく開けて、少しずつ前のめりになって料理をじっと見つめる。
オムレツに描かれた猫を目にした王子が、嬉しそうに声をあげた。
「わぁ……ねこ……!」
「そうだね、可愛いね?」
「うん、かわいいね」
公爵が同意を求めるように首を傾げると、王子もきらきらとした瞳で首を傾げた。
「……でもたべて……いいの?」
「食べないと可哀そうだろう?」
「……でもこれ、ほんとうに、ぼくの?」
「ああ。もちろんだよ」
アネモスははっと何かに気づいたようにテーブルの周りを見回した。
寝る前まであったはずの粗末な料理がなくなっていることに、疑問を感じたのだろう。
「置いてあった料理は下げさせたよ。アネモスはこれを食べなさい」
「……! おじうえのは?」
王子は顔を上げてあたりをキョロキョロと見回す。
アネモスのために作った料理のため、当然、公爵の料理は用意されていない。
「お前のだけだよ、アネモス」
「……! ぼ、ぼく、いらない……」
公爵の言葉を聞いて、アネモスが途端に怯え始めた。
叔父の袖を引いて、おずおずと遠慮して料理から遠ざかろうとしている。
「でもちゃんと食べていなかったろう?」
「おなかすいてないよ。だから……やだ……」
アネモスは料理を警戒しているようだった。
まるで、叔父と一緒に食べる料理以外は口にしない方が良いと学習したかのような態度に、公爵は悲しそうに眉尻を下げる。
「……そうか。こんなに猫が可愛いのにね。スープも美味しそうな香りがするけど、食べてもらえないなんて可哀そうだな……」
「……ぅ」
ポンとアネモスの頭に優しく手を置いた公爵は、次の瞬間に衝撃的な一言を呟いた。
「アネモスが食べたくないなら、私が頂こうかな? それとも一緒なら食べるかい?」
「は!?」
その瞬間、部屋の隅で静かに控えていたはずのジオラスが素っ頓狂な声をあげる。
隣にいたリコリスも思わず同じ反応をしてしまいそうだったが、先に過剰反応した侍従のお陰で何とか冷静でいられることが出来た。
しかし、彼女が制御できたのは口だけで、態度では信じられないと言わんばかりの眼差しで公爵を凝視をしてしまう。
「え、なんでそこで驚くのかな? え? 二人とも?」
「いやいやいや、なんで主まで食べようとするんだ?」
「公爵さまがお召し上がりになることまでは想定しておりませんでしたので、驚いております……」
さり気なく公爵にツッコミを入れる侍女と侍従に、彼は甥を味方につけることにした。
「アネモスは私と一緒なら食べるだろう?」
「え……。う、うん」
突然話を振られた王子が目を瞬かせながら頷くと、公爵は嬉しそうに侍従に主張した。
「ほら?」
「ほら! じゃない!」
「でもほら、ええと……毒見が必要じゃないかい?」
「それこそ主の仕事じゃないだろう! 俺がやる」
何故か料理を食べたがる公爵と、主人に対して次第にツッコミが雑になってきたジオラス。
二人の妙なやり取りを眺めながら、リコリスが静かに右手を挙げて発言した。
「私がやりましょう」
「え?」
「なにをだ?」
主従コンビが揃ってリコリスに振り返り問いかけると、彼女は真顔で答えた。
「私がまず、お毒見をします」
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