1-13b話:厨房2
「それでは、厨房を拝借します。食材は自由に使ってもよろしいでしょうか?」
「料理長、構わないだろう?」
「あ……ああ……」
呆然と力なく答えた料理長をよそに、腕捲りをしたリコリスが調理器具と食材の確認を始める。
(王子に当てられている経費や食材がない、と言うわけではないのね。提供されるべきところに行っていないだけで……。もしかしたら、自分たちのために食材を使っていたのかしら)
彼女は酒とつまみが散乱した調理台を一瞥すると、それらを台の端に追いやった。
(さて。何を作りましょう。体温がかなり低いようだもの、スープで身体を温めたほうが良いわね。栄養を考えると具沢山のミネストローネが良いかもしれないけど、野菜は好き嫌いがあるかもしれないわ。ジャガイモのポタージュにしようかしら。確か消化にも良いはず)
かつて貴族であった彼女は料理をしたことがなかった。
王妃の身分を投げ出して悪魔の元に身を寄せてからは、生きるために数年をかけて必死に掃除や料理の仕方を覚えていた。
(主食は……パンは今から作ることは出来ないもの、やめておくべきでしょうね。あそこにバケットはあるけど……)
追いやったばかりの酒の肴を視界の隅で眺めると、ハムやチーズと並んで薄切りのバケットが置いてある。
(王子に出された粗末なパンを見てしまうと、私もあまり食べたいとは思えないわね。パスタは食べられるかしら? それとも……)
何を作るか考えながら食材を並べ終わったリコリスは、早速調理に取りかかった。
(まさか、元夫と憎き女の息子のために料理を作ることになるなんて、思いもしなかったわね……)
ポタージュの香ばしい香りのする鍋をかき混ぜながら、リコリスが想いを馳せる。
(もしこの料理を食べる相手が、レンデンスであったら……。……悲しくなるわね。やめましょう)
次々と溢れ出る叶わぬ思いを堪えるために、彼女は唇をぐっと噛む。
(王子を暗殺するのなら……いまここで毒を混ぜて殺してしまうのが良いわ。けれども、そんなことをすれば、私は一番に疑われてしまう。間違いなく、ヴァレアキントス殿下の侍従が毒見を試みるでしょうね……)
リコリスが顔を上げると、ジオラスは部屋の隅で彼女の様子を観察していた。
(そうなれば、本当に復讐をしたい国王とティファレに辿り着く機会を失ってしまうでしょうね……。失敗したらきっと私の命はない。計画的に行動しなければ……。……それに)
彼女は目を伏せて、溜め息をつく。
(……それに、少しくらいは……。一度はレンデンスにしてあげたいと思ったことを、同じように父親に愛されていないあの王子にやってあげるくらいのことをしても……良いわよね? あの子も、少しくらいは許してくれるでしょう……?)
レンデンスを想いながらアネモスの料理を作るリコリスの表情は、誰から見ても優しい母のような眼差しをしていた。
――数十分後。
結局リコリスが作った料理は、ジャガイモのポタージュと、中にちょっぴりと野菜を詰めたケチャップ味の小さなオムレツ、半分を更に四等分にした皮つきのリンゴ。
王族への料理としては豪華さに欠けるが、厨房で呆けている本職が王子に提供していたものよりは遙かにまともな料理だろう。
それに、アネモスは普段からあまり食べていないような身体つきで、吐血して間もないため、作る量も控え目にした。
本来ならパン粥を出したいところだがやめた。
王子がパンに対して忌諱感を持っている可能性も考えられるからだ。
「出来ました」
「……本当に作れるんだな。……このリンゴは多くないだろうか?」
「そうですね……余った時は考えます。皮はお部屋で剥こうと思います。果物ナイフは……こちらです」
果物ナイフを受け取ったジオラスがじっくりと観察する。
「……ナイフに問題はない。これは俺が持とう。料理は一応、味見をしても?」
リコリスの予想通り、ジオラスは毒見をしようとする。
彼女は若干緊張しながらも頷いた。
「……はい」
公爵侍従は傍観者に徹しており、彼女に一切手を貸さなかった。
もちろん、茫然自失としている料理長を筆頭にした料理たちも同様だ。
呆然としているのか、彼らは項垂れたまま、一言も発しなかった。
ジオラスがスプーンを手に取り、鍋に残ったスープを直接掬い取って匂いを嗅ぎ、次いで口に含む。
「……。問題ないな」
「ご確認、有難うございます」
「主の前でも一度、毒見をすることになる」
「……ええ」
味について美味いとも不味いとも一言も感想を述べることなく、ジオラスは事実のみを言葉にした。
いまの味見は、毒見ではなかったのだろうか? そう思いながらもリコリスは頷いた。
「では、主たちの元へ戻ろう」
「そうですね。スープが温かいうちにお持ちしましょう」
来たときとは異なり、帰りのリコリスは豊な香りの料理が載ったトレイを手に取った。
ジオラスが厨房の扉を開けて両手の塞がった彼女を通す。
すると、料理長が侍従に救いを求めるように手を伸ばした。
「あ、待っ……」
「ああ、お片付けは、お願いします。酒盛りのお片付けのついでだと思えば、気が楽でしょう?」
「そうだな。酒盛りをしていたことまでも、主にしっかりと伝えなければ」
侍女と侍従の二人組は、振り返って言い残していたことを告げると、厨房の扉を静かに閉じる。
特に料理人たちにとって無情なふたりの一言は、まるで王子に対する粗雑な対応が、彼らに跳ね返ったかのようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます