1-12a話:粗末な料理1
「アネモス、さっぱりしたかい?」
「うん、おじうえ」
衣装を着替えて浴室から出た王子を、彼の私室で待っていた公爵が両手で抱き上げる。
すると抱き上げられたことが嬉しかったのだろうか、アネモスはふわりとした笑顔を叔父に見せる。
それは、少し前にリコリスが王子と顔を合わせたばかりの怯えた様子とは違う、年相応の少年の安心した表情だった。
彼らの仲睦まじい様子が、王弟が初めてレンデンスを抱き上げたときの光景と被り、リコリスは胸に当てた手を握り締めた。
彼をベッドに連れて行こうとする公爵に、血や唾液で汚れていたはずのベッドの様子を思い出したリコリスが慌てるが、公爵の侍従が彼女を静止した。
よく見ると、ベッドの上のシーツは綺麗なものに取り換えられていた。
おそらく、王子の入浴中に公爵の侍従が準備をしていたのだろう。
公爵が王子を丁寧にベッドに下ろすと、少年は行儀よく座って叔父を見上げた。
「お風呂にも入ったし、疲れただろう。アネモス? お前は少し、休みなさい」
「でも……おじうえ……かえっちゃうの?」
「もう少し、ここにいるよ」
「すこし…………。うん……」
本当は少しだけではなく、もっとそばにいて欲しかったのだろう。
少し不満……いや、不安そうな表情を見せたアネモスだが、我慢したのだろう。
彼は言われた通りに素直にもぞもぞと肩まで布団を被る。
公爵がベッド脇の椅子に腰かけて、彼の頭を優しく撫でると、王子が安心した表情を見せていた。
よく見ると、布団から伸びたアネモスの手が、叔父の服の袖をぎゅっと握り締めている。
王子が王弟を帰したくないと言うことが良く分かる光景だった。
(レンデンス……)
幼い子どもが甘えている姿を見ると、リコリスはどうしてもレンデンスに思いを重ねてしまう。
だからこそ彼女は、羨ましそうに二人の様子を眺めていた。
やがてアネモスがすやすやと寝息を立て始めると、公爵は袖を握っていた王子の手に触れ、しばらく両手で優しく包み込む。
穏やかで、少し切なげな表情をしながら幼い子どもを見守る公爵の姿は、誰から見ても王子の本当の父親としか思えない態度に見えてしまう。
(まるで、本当の父親みたいね。王子も……殿下を父のように慕っているようだわ)
ふとリコリスは、王子に関する噂話を思い出す。
王子が呪われたのは、現王妃リュンヌの不貞の子だから……。
(まさか……不貞の相手はヴァレアキントス殿下……? いえ、こんなことを考えてしまうなんて……殿下に失礼だわ。それに、殿下は王族の血を引いているもの。殿下のお子であれば、間違いなく呪われないはずだわ)
優しくアネモスを見守る彼の眼差しは、王妃だった頃にレンデンスを抱かせて欲しいと言った時の彼の表情と重なって見えた。
(それに彼なら、子どもに愛名を授けているはずだわ。私に愛名の授け方を教えてくださったのは、ヴァレアキントス殿下なのだから……)
公爵はしばらく王子の手を握っていたが、ひとつ頷くとその手を離した。
そして立ち上がり、ベッドそばのテーブルの上に置かれた食器を眺めると、深い溜め息をついた。
「またか……」
「また、とは……? ……失礼します」
公爵に倣いリコリスが食器の中を覗き込むと、いかにも堅そうなパンと透明で具のないスープだけが盛り付けてある。
「これ……は」
復讐のために潜入したリコリスでさえ、悪意を隠そうともしない粗雑なメニューに思わず絶句してしまう。
「私の訪問予定がない日、アネモスの料理は酷く質素なんだ」
「……現代の平均的な平民でさえ、もっと栄養があるものを食べています」
「そうだろうね。アネモスがいくら虚弱で食が細く、多くは口に出来なかったとしても……あれを続けていれば栄養失調になるだろう」
器の中のスープをスプーンで掬い、匂いを嗅ぐリコリス。
(……香りがしないわ。もしかして、水そのもの?)
パンを手に取って千切ろうとすると、あまりの硬さに普通のパンを千切るよりも力が必要だった。その上、ボロボロした破片が皿の上に散らばる。
(パンも王に提供するものは柔らかいものだというのに、これは硬すぎるわ。城と言う誇るべき場所で働く料理人がこんな粗末なものを、一国の王子に提供しているというの……?)
何が混じっているか分からない得体の知れなさから、彼女は味を確かめることまではせずにおいた。
「先ほど、訪問予定のない日は……と仰いましたね? 公爵さまがいらっしゃる日は、まともなお料理が出て来ているのでしょうか?」
「ああ。逆に、本当にアネモスが食べられると思っているのか疑うほどの、豪勢な料理が出て来るんだ。まるで、来賓との晩餐のような料理がね。私は客として来ている訳ではないと言うのに……」
(極端だわ……)
「警告し、改善されなければ料理人も入れ替えたが、根本解決には至らないんだ。本来ならば、私の目の届く屋敷に住まわせたいのだけれども……」
リコリスはその瞬間、着替えを探しに行った帰りに出会った侍女のことを思い出した。
(そういえば、あのひと、昼食を回収してほしいと言っていたわね……。まさか、ヴァレアキントス殿下に料理が見つかる前に、処分しようとしていたのかしら。来た時に部屋に入ろうとしていた理由も、同じでしょうね……)
溜め息をつく公爵に、彼女は同情した。
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