1-11b話:呪われた姿に隠された、悪意による傷跡2

 彼の全身を目の当たりにしたリコリスは、強い違和感を受けた。

 それは、文字のように規則性を感じさせる紫紺色の痣とは別に、不規則に刻まれた切り傷や打撲による痣が不自然に紛れているように感じたからだ。

 呪いによる痣と同じ箇所に巧妙に隠されている影響で、良く観察しなければ人為的なものに感じられる痣の存在に気付くことは難しいだろう。


(まさか……)

「王子、体に痛みを感じますか?」

「いまは……いたくない……」

「少しお身体にしみるか、確認をしますね」


 リコリスはお仕着せの袖を肩の近くまで捲り上げ、くるぶしまでの長さのスカートも短くなるように端でまとめた。

 そんなリコリスの様子を目にした公爵が、ぎょっとした顔をして慌てて目を背ける。


「わ、私は外で待っているよ?」

「え? お、おじうえ……」

「扉は開けておくからね」


 脱衣所から逃げるように去った公爵を、王子が少し心細そうに見送る。

 しかし彼はちらりとリコリスに視線を送ると、彼女の案内に従い浴室内へと足を踏み入れた。


「少しずつ、お体にお湯をかけて参りますね」

「……」

「染みたり痛みを感じたりしたら、仰ってくださいね」

「……うん」


 桶に注いだお湯を自身の手のひらで掬った彼女は、それを痣の全くないアネモスの右手から肩にかけて順番に少しずつかけて慣らしていく。

 特に拒否反応も見られなかったため、彼女は王子の表情を見ながら痣のある左手を手に取る。

 アネモスの手に触れた瞬間、彼の肩がびくりと跳ねる。

 怯えた表情は向けられたものの、手を払われることもなく、彼女は左手にも順番にお湯をかけていった。


 今は痛くないというのは本当のようで、切り傷も少し後が残っているだけのようだった。

 ふと、人が付けたであろう傷跡に触れながら、リコリスは王子に問いかけた。


「王子。この痣は、どうされたのですか?」

「……これ、は……」

「これは人が付けたものですね? 公爵さまはこの痣をご存知……」


 公爵の名前を出した途端に、アネモスがびくりと震える。

 そして勢いよく顔をあげて焦った表情を見せると、リコリスの服をぐいっと引っ張った。


「おじうえにはっ……言っちゃダメっ……!」

「え……」


 王子の必死な形相には悲壮感が混じっている。

 彼の叔父に告げることで、何か良くない出来事が起こりそうな……そう言った予感が脳裏に過る表情だった。

 呆然とする彼女が聞いていないと思ったのか、彼は絞り出すような声色でもう一度必死に訴えかける。


「おじうえに、言わないで……!」

(まさか……この傷跡はヴァレアキントス殿下が……? いえ、そんな……まさか)


 リコリスから見ても、二人の関係を親子と見紛うほどに王子から慕われている王弟に限って、虐待紛いの行為を犯すわけがない。

 それよりも、公爵に痣の存在を告げられたくない誰かによって、告げ口を禁止されている可能性を考えた方が妥当だろう。


(そう言えば……)


 リコリスは脱衣所に彼らが入ってきたときのアネモスの様子を思い返した。

 その時、王子は確かに公爵が一緒に入るかを気にしていたようだった。


「……」


 本来ならば、アネモスの保護者でもあり、リコリスの直接の雇い主にもなる公爵に告げるべきだろう。

 しかし彼女の本来の目的は、王子の暗殺。

 目的のためだけならば、このまま放って置いた方がリコリスにとっては都合が良い。


 自分にはいない、唯一無二の息子を蔑ろにする国王と王妃。

 そして王子を敬うべき家臣や使用人たちへの怒りを滾らせたまま、彼女は目的のために胸の内に秘めておくことにした。


「……承知いたしました」


 リコリスが頷くと、アネモスは安堵しほっと息をつく。


 リコリスはアネモスが湯に浸かっても問題のないことを確認すると、まず髪を丁寧に洗い始める。

 侍女に身体を任せる王子の様子は、やはり世話をされることに慣れていないように見受けられた。


(国王と……同じ、藤色の髪……。……それにレンデンスとも、同じ色ね……。私はレンデンスの世話をほとんどしてあげられなかったのに、あの子のことを押しのけたこの子の世話をさせるなんて)


 泡が入らないように目をぎゅっと瞑る王子のそばで、彼女もぎゅっと唇を噛みしめながら彼の髪を泡立てていく。


(本当に、悪趣味な悪魔ね……)


 次に身体を洗うと、痣に触れた瞬間に王子がまた身体を強張らせる。どうやら彼は、あまり痣には触れられたくないようだった。


「こわくないの……?」

「え?」


 レンデンスに似た瞳を不安そうに揺らして問いかけるアネモスに、我が子のことを思いながら王子の世話をしていたリコリスは瞬きを返した。


「ぼくの呪い、こわくないの?」


 再びのアネモスの問いかけに、彼女は頷いた。


「怖くありませんよ」

(……きっと、他の侍女たちはこの痣を怖がって、世話から逃げ出したのでしょうね。……それにしては、この傷跡と打撲の跡は不自然だけれども……)

「ほんとうに……?」

「ええ」


 リコリスの言葉に、王子の眼が大きく見開かれる。

 呪われているが故に多くの人間に忌避される彼にとって、それは救いの言葉となったのだろう。

 彼は涙目になると、泡のついた手で拭おうとする。リコリスが慌ててそれを静止すると、王子は潤んだ瞳を彼女に向けた。


「いけませんよ、目が痛くなってしまいます」

「う……ぅん」

「王子、本当に怖いものはですね……」


 彼女は王子に付けられた、人のものによる傷跡に触れて呟いた。

 少年の身体は、リコリスが思っていた以上に冷え切っている。


「呪いではありません。……人の、悪意ですから」


 リコリスは決して、自分を棚に上げた訳ではない。当然その悪意を持つ者の中には、リコリス自身も含まれている。


 憎しみと罪悪感に揺れながらも、彼女はしっかりと王子のお風呂の世話を完了させた。

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