1-11a話:呪われた姿に隠された、悪意による傷跡1

 リコリスは、ティファレの息子が我が子と同じ色をしていたことに衝撃を受けた。

 思わず言葉を失った彼女は、アネモスの姿にレンデンスを重ねるようにまじまじと凝視する。


(レンデンス……。もしあの子が生きていたら……きっとこんな風に大きく成長していたのでしょうね……。見て、みたかったわ……)


 かつての息子の姿を思い出す度にリコリスの淀んだ瞳が潤みかけ、彼女は耐えるように悲し気に表情を歪めた。


 一方のアネモスも、瞳を揺らして見慣れぬ侍女の姿を不安そうな表情で見つめる。


「……」

「……」


 しばらくすると、再び王子が素早く叔父の後ろに隠れてしまう。


「……ぅ」

「あっ……」


 我が子が成長したら今頃同じ歳だったであろう幼子から避けられ、彼女の胸がちくりと痛んだ気がした。


(……今は大人しく、この子のお世話をしましょう……。そう、すべては王と王妃に近づき、復讐するためなのよ……)


 何とか衝撃から解き放たれたリコリスは、少年と同じ目線までしゃがみこんで話しかける。


「王子、お顔をお拭きしますね」

「……」


 ちらりと上目遣いで不安そうに見つめてくるアネモスの頭を、叔父が優しく撫でる。

 甥が少し安心した表情を見せると、公爵は彼の肩に優しく触れて、リコリスの前に押し出す。


「ほら、アネモス」

「う、うん……」

「失礼いたしますね」


 リコリスは侍女として王子の世話をすべく、血と唾液と涙に塗れた彼の顔をタオルで拭おうとする。

 彼女が触れようとした瞬間、アネモスが緊張するようにびくりと震えた。

 表情もどこか怯えているように見え、視線も明らかにリコリスを見まいとそらしている。


(レンデンスと同じ色の子どもに拒絶されることが、こんなにも切なく感じるなんて……)


 元気盛りのはずの幼い子どもの消極的な態度に悲しさを覚えた彼女は、彼の様子を見て少しずつ肌に触れていくことを決めた。


「……?」


 なかなか触れようとしない彼女に、アネモスがおずおずと目線を向け、小首を傾げる。

 あどけない表情を向けられた彼女は、少しは警戒心が解けたものかと内心でほっと息を吐いて王子の顔の汚れを拭い取り始めた。


「ん……」

(可愛らしい子ね……)


 顔についた汚れを取り除かれてくすぐったそうにしている少年の顔は、左半分を覆うおぞましい痣を除けば、とても可愛らしい顔立ちをしていた。

 呪いさえなければ、王子と言う立場もあって両親だけではなく家臣からも可愛がられていただろう。

 そうして彼がもし、王子として周りからもてはやされていたとしたら……。

 今のように控え目な性格ではなく、おそらくは国王のように傲慢になっていたに違いない。

 そうなっていたら、我が子を喪ったリコリスは余計に腹を立てていただろう。


「お身体も濡れておられますね。お風呂に入りましょうか?」

「え……」


 顔を拭き取り終わった彼女が問いかけると、王子の表情が悪くなる。


「公爵さま、浴室はございますか?」

「ああ、室内にあるよ」

「承知致しました。確認に参ります。少々お待ちください」


 離宮勤めの侍女たちの態度から、設備が十分に稼働していない可能性を考えたリコリスは、公爵が指した場所へと向かい、扉を開ける。


(内装が質素だから心配だったけれども、室内の設備は使えるわね……。……ちゃんと、お湯も出るわ)


 浴室が使えることを確認していると、後から王弟とその甥の二人組がやってきた。


「入っても良いかな?」

「はい、問題ございません」

「……おじうえは、おふろにする?」

「え、え? い、いや、お前だけだよ。うん。彼女に洗ってもらいなさい、アネモス」

「うん……」


 アネモスの疑問に対し、一瞬だけ目を丸くしたあとに何故か顔を真っ赤に染めた公爵。反対に、その甥は何故か安堵の様子を見せていた。


「ではお召し物を脱ぎましょうね」

「……や」


 リコリスが王子の衣装を脱がそうと近づくと、やはり彼はビクッと身体を震わせて怯えた反応を見せる。

 顔を拭ったことで彼に触れる許可を得られたと感じていた彼女も、その瞬間に思わず心臓が跳ねるような感覚に陥った。


(……どうしてこんなにも、この子に怯えられると緊張してしまうのかしら。レンデンスと同じ色をしているから……?)


 脱がされまいと服をぎゅっと握り締め、顔を振って抵抗する姿から、少年が何かを恐れていることが分かった。


(それにしても……何かを怖がっているのかしら……? ……私が怖いの?)


 しかし本人は口を開こうとしない。

 理由の分からないリコリスは、王子を着替えさせることが出来ずに困惑するしかない。


(この子に、私の復讐心を悟られてしまったのかしら……。そんなことは、ないと思うけれども……)


 二人の様子を見かねていた公爵が、アネモスの頭を優しく撫でて言う。


「アネモス、彼女はお前をちゃんとお世話してくれるよ」

「……」


 それでも王子はふるふると顔を振り、藤色の髪を揺らすことで着替えを拒絶する。


「彼女はこれまでの侍女とは、違うだろう?」


 ヴァレアキントスは口にした言葉に確信を持たせるように、リコリスが拭ったアネモスの顔に優しく触れ、問いかける。


「……ん」


 叔父の手の上に自身の手を重ね、王子が戸惑うようにゆっくりと頷く。


「だからお前の姿を見ても、きっと大丈夫だよ」


 王弟が王子を安心させるように、頭に手を乗せる。

 アネモスは信頼する叔父を上目遣いで見つめたあと、ちらりとリコリスを見る。


「……」

「アネモスを頼むよ?」

「承知いたしました。王子、失礼してもよろしいですか?」

「でも……ぼく。ぼくね、ひとりでおきがえできるよ?」

「……!」


 王族である五歳の王子が、誰の力も借りずに着替えが出来る。

 その異常さを知らされた彼女は絶句した。


(つまりそれは……ここの人たちは王子の世話を、本当にしていないということね……! 本当にここの人たちは……!)

「王子、臣下の仕事を奪ってはなりません」

「え」

「王子の身の回りのお世話が、私のお仕事です。さあ、お風呂に入って、お身体を綺麗にしましょうね」


 リコリスの言葉が信じられないのか、驚いて瞬きを繰り返すアネモス。

 彼女はひとつ断りを入れて王子の衣装に触れた。

 王子はしばらく服をぎゅっと握り締めていたが、ちらりと大人二人を見ると服から手を離し、恐る恐るリコリスの方へと歩いていく。


 まだ不安そうに目の前に立ったアネモスのボタンを外して服を脱がせていくリコリス。


(呪いのせいにしては、同じ年ごろの貴族の子よりも痩せているわ……まるで栄養失調のような……)


 呪いのせいか、それとも他の要因によるものか。やせ細り、虚弱さの目立つ少年の姿が露わになる。

 顔や手と同じく、衣装で隠されていた左半身までもが痣でびっしりと覆われていた。


「……!」

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