1-08話:懐かしきエスコート
離宮に辿り着いて馬車を降りようとすると、公爵がリコリスに手を貸してくれようとしていた。
「あの……公爵さま? 私は侍女ですので、そのようなことはなさらずとも……」
「あ。……これは、その……つ、つい……」
「つい……?」
まるで貴族女性をエスコートするような公爵の態度に困惑するリコリスに、本人も何故か動揺を隠せずに言葉をつまらせている。
そこへ、すかさず彼の侍従がフォローに入った。
「……主は、女性をエスコートする機会が少ないんだ」
「え? えっ?」
急に何を言い出すんだと言わんばかりの公爵の反応に構わず、侍従はフォローを続ける。
「だから時折、こうしてエスコートの感覚を忘れないようにと、周りの女性に練習に付き合ってもらうことがある。その癖が、思わず出てしまったのだろう。……な、主?」
「へ? は、あ……そ、そうなんだよ!」
「は、はあ……」
どう考えても無理が過ぎる侍従の言い訳と公爵の不自然な態度に圧され、彼女は曖昧に頷くしかない。
「そう言うことで、身分の違いなど気にせず、主のエスコート受け入て欲しい」
「あ……はい。そう言うことでしたら……喜んでお受けさせて頂きます」
「えっ」
まさかリコリスが受け入れるとは思わなかったのだろう。
公爵が素っ頓狂な声をあげる。
自分の発言が良く聞こえなかったのだろうと思った彼女は、首を傾げてもう一度言い直した。
「恐縮ですが、お手をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「あ……! は、はい。どうぞ」
最初は目を見開いて驚いていた公爵が、ほんのりと優しく微笑む。
そんな彼の対応に、令嬢・王妃時代の頃の懐かしさを感じたリコリスが思わず顔を俯かせた。
(王宮から逃げ出したのに、こうしてまた誰かの手を借りて馬車を降りることになるなんて……。しかもそれが、いつも親切にしてくださっていたヴァレアキントス殿下なのが、とても不思議な心境だわ)
「ふふ、懐かしいな……」
「え?」
昔を懐かしむような公爵の優しい声に、リコリスが顔をあげる。
「あ、いや……。その、昔憧れていた人をエスコートした時のことを思い出してね」
(ヴァレアキントス殿下には、婚約者はいなかったはずだわ。それでも、憧れていた女性がいらっしゃったのね。……どうして婚約されなかったのかしら。ヴァレアキントス殿下は素敵な方だもの。エラムディルフィン殿下と私やティファレたちとは違い、素敵な夫婦になれたでしょうに……)
公爵の憧れの女性について想像したリコリスの胸が、何故かズキリと痛んだ気がした。
そうとは気づかずに、公爵は少し照れくさそうに語る。
「またあの頃に戻れたらと……思ってしまったんだ。君にとって、失礼にあたったらすまない」
「いえ。こうしてエスコートして頂ける機会をくださった上に、公爵さまの憧れの方を思い出すきっかけになれたこと……光栄に思います」
そんな二人の後ろでは、公爵の侍従が何故か遠い目をして溜め息をついていた。
公爵による丁寧なエスコートの元に馬車を降りて離宮の入り口に向かうと、彼らの元に離宮の管理人が慌てて訪れる。
練習と言う名目であっても、人目につくことは憚られるため、二人は慌てて適切な距離を取った。
「これはこれは公爵閣下! 事前にご連絡下さればお迎えにあがりましたものを……!」
「いや、構わないよ。いつも通りにしてくれて結構だからね」
「しかし、公爵閣下直々にお越しになられずとも……。王子のご様子は、常日頃ご報告差し上げておりますが……。ご報告の内容に不備がございましたでしょうか?」
(不備だらけだから、彼は気になって乗り込んだのでしょうに……。呑気なものね……)
「実際に目にしないと分からないからね」
公爵は厳しい表情を管理人に向けて首を振る。
「これは義務だよ。陛下から保護者を任命された私が、国の後継者たる第一王子の様子を直接確認することに、意味があるんだ。……だから普段から、職務に励むようにね」
「は、はいっ!」
「ぐれぐれも、頼んだよ?」
お前たちは義務を果たしたか。そう暗に問いかけるような公爵の言葉は、果たして管理人に通じたのだろうか。
「公爵閣下。それでその……お隣の女性は……?」
「今日から王子の世話をする侍女、リ……リコリスだ。これについては事前に連絡をしていたはずだけど、まさか、話は伝わっていないのかい?」
管理人に向かって怪訝な顔をする公爵の隣で、リコリスが一礼をする。
「いえいえ! 当然お伺いしております! それでは侍女の案内はわたくしどもにお任せを……」
「いいや、君たちは構わなくて良い。私が直接アネモスの元へ案内して説明するよ。彼女にはぐれぐれも、アネモスに注意を払って欲しいんだ」
「そ、そうですか……。閣下、到着されたばかりでお疲れではありませんか? まずは休憩をなさってはいかがでしょうか?」
「いや、結構だよ。私は早くアネモスのところに行きたいんだ。それに休憩は、アネモスと一緒でも構わないからね」
「し、しかし……」
「それとも、私がアネモスのところに行くことで、何か都合が悪いことでも起きるのかい?」
「のっ、呪いが……」
「……ん? なにかな?」
管理人は王弟の地雷を踏み抜いてしまったのだろう。
温厚な公爵にしては珍しく眉を吊り上げて睨みを利かせると、管理人が情けない声を上げる。
「ひっ! い、いえ、何も問題はございません! どうぞ、お通りください」
(基本は優しい方だけれど、こうやって人の弱みに付け込むような相手には、強気に出られることもあったわね。まだ若い頃に何度か助けられていたのが、懐かしいわ……)
それまで何故か公爵をアネモスの元へと案内させまいとしたがる様子で食い下がっていた管理人が、ようやく公爵とリコリスを離宮内へと通した。
気付けば共に馬車を降りた侍従の姿は見当たらなくなっている。
「行こうか」
「はい」
離宮の奥へと足を進めていく公爵のあとを、リコリスが追従する。
壁紙はくすみ、窓ガラスは薄汚れている。
かつて花瓶があったであろう場所は、花瓶を置く台だけが残されており、何も飾られていない。
少し歩いただけでも、かつて華やかだった離宮は、いまとなっては手入れが行き届いていない様子が良く分かる。
人気もそう多くはなく、彼らが王子の部屋へと辿り着くまでは、誰ともすれ違うことはなかった。
隙をついて先行していたのだろう。王子の部屋の入り口では、公爵の侍従が立ち塞がっている。
そして、離宮勤めの侍女と思われる女が、侍従と言い争いをしていた。
「職務の妨害よ!」
「妨害? 俺は主の指示通りに待機しているだけだ。そもそも、主がお見えになる直前に王子の私室に乗り込んで、どんな職務を果たすと言うんだ?」
「少しくらい、やれることはあるでしょう!?」
「そうか? 普段から真面目に働いていれば、突然の来客にそう慌てることもないだろ。ほら、もう来た」
「え!?」
侍従が皮肉げに語り、顎でリコリスたちの方を指し示す。
「!? こ、公爵閣下! し、失礼いたします!」
すると、すでに公爵が来ていたことに気付いた侍女は、慌てて一礼すると逃げるようにその場を立ち去った。
公爵が部屋に近づくと、侍従は恭しく一礼する。
「現場を保持しておいた」
「ああ、手際が良くて助かるよ」
侍従の口調は相変わらずなものの、馬車を降りた時のどこか主をからかうような対応ともまた違い、真面目な態度をとっている。
「いったい彼女は、何をしようとしていたんだろうね……」
(中にあってはいけないものが、置いてあるのかしら……?)
遠のいて行く侍女の後姿を眺め終えたふたりは、扉に向き直った。
「この部屋が、第一王子アネモスの私室だよ」
「ここが……」
リコリスは唾を飲み込み、扉を眺める。
「まずは、アネモスに君を紹介しようか」
「恐れ入ります」
「もしかしたら寝ているかもしれないから、そしたら少し時間を潰そう」
(お忙しいお方では、なかったのかしら……?)
どこか楽しそうに時間を作ろうとしている公爵の様子を、リコリスは不思議に思いながら、扉へと向かった彼の後姿を眺めた。
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