1-07話:面接
「主の準備が終わるまで、ここで待ってくれ」
「はい」
公爵の侍従に紹介状を渡したリコリスは、執務室の隣の部屋に案内された。
やがて出されたお茶がぬるくなり始めた頃、ノック音のあとに公爵と彼の侍従が扉を開けて入室した。
室内に入った公爵は、リコリスの姿を見て優しく微笑む。
再び二人の目が合ったことで、彼女は彼と目線を合わせないように慌てて一礼をする。
「……来てくれて感謝しま……感謝するよ。私は、ヴァレアキントス・フレルブルム。第一王子の保護者のようなものをしている」
ヴァレアキントスの兄と異なり、他人を威圧しない優しさを感じる彼の口調は以前とそう違いないようだ。
何故かぎこちなさがあるものの、変わらぬ態度に彼女は安堵を覚える。
対するリコリスは、心境だけでなく姿まで大きく変わってしまった。
「第一王子の侍女として最適な、子守りの得意な人材がいると聞いてね」
リコリスは悪魔の元に身を寄せていた際、とある貴族の屋敷で子守を主に担当していた。
子を失った母を哀れんだ悪魔によるほんの心遣いなのか、それとも幼子に触れることで復讐を忘れさせない意図があったのか……。
当初の彼女には分からなかったが、すべてはこの日のため……王子の元へと潜入させるためだったのだろう。
「紹介状の主にリュ……」
「んんッ! ごほごほ!!」
公爵の言葉の途中で、そばに控えていた侍従が何故かしつこく咳ばらいを始めた。
言葉を遮った侍従の方を向いた公爵が、慌てて手を振っている。
リコリスは、目の前の主従二人が何をしているか分からず、首を傾げて話の続きを待った。
「リ……リコリス……と言ったかな?」
「はい」
「そ、そう。リコリス。紹介状の主に君を紹介してもらったんだ」
紹介状を用意させたのは悪魔だが、偽装したものではないようだ。
正式なものとして、配下の貴族にでも手配させていたのだろう。
「第一王子の置かれている環境について、君は話を聞いたことはあるかい?」
「多少はございます。御身は呪われていると……」
そのほかに悪魔から聞かされた王子に近しい話と言えば、国王と王妃ティファレの痴情のもつれだが、伝えるほどの内容ではないだろう。
リコリスもわざわざ宿敵のことなど口にしたくない。
「呪いが怖くないのかい?」
公爵からの質問が続いたことで、この会話が面接の一種なのだということにリコリスは気付いた。
「いえ、怖くはありません」
(本当に怖いのは、人の悪意だもの……)
「その言葉に、嘘偽りはない?」
「はい。まことにございます」
「呪いの存在を、信じていないのかい?」
「呪いの存在を疑ってはおりません。ただ、私は貴きお方にお仕えするのみです」
リコリスからの無感情かつ事務的な答えを聞いた王弟は、何故か気難しそうな表情をしていた。
彼女は、悪魔の存在を目の当たりにしている。
その上、自身の姿そのものを変えられたのだ。
魔法があれば、呪いもまた存在することを、身をもって知っていたが、まさかそれを素直に説明するわけにもいかない。
「……こんなことを言いたくはないんだけどね。……例えば王子に触れると、君は早死にしてしまうかもしれないよ」
人を気遣うヴァレアキントスらしからぬ言葉に、リコリスは耳を疑った。
しかし顔を上げて彼の悲痛な表情を目にすると、その言葉が本心からではないことに気付き、胸をなでおろす。
(彼は、私を怖がらせるつもりではないのね。きっと、今まで呪いが怖くないと言ながら、いざとなったら王子を恐れた人たちがあまりにも多かったのだわ)
「実際に呪いで亡くなられた方はいらっしゃったのでしょうか?」
「いいや、いないよ」
「そうですか。でしたら、何も問題はございません」
「…………」
表情を変えずに沈黙してしまった王弟の態度に、彼女は内心不安になる。
(この答えは……不正解だったのかしら)
「……少なくとも、聞いていた通りだね。安心したよ」
「は、はい……」
良くもなければ安心してもいない、言葉とは裏腹に何とも言えない複雑な表情で合格印を出した公爵。
彼が定めていた正解が分からず、リコリスは曖昧に頷く。
「早速だけど、説明は移動しながらしようか」
「移動……ですか」
王子の住処は、王宮ではないのだろうか。
リコリスが不思議に思うと同時に、公爵は目的地を彼女に告げた。
「離宮に向かうよ。ついておいで」
公爵はリコリスと侍従を引き連れ、用意させた馬車に乗り込む。
「第一王子の名はアネモス。陛下の住まわれる王宮や王妃殿下の王妃宮とは別に、彼は離宮で過ごされているんだ」
「……御両親とは離れていらっしゃるのですね」
「……ああ」
リコリスが王妃だった頃、王子となるレンデンスの部屋は彼女の暮らす王妃宮に用意された。
恐らく、王妃へと成り上がったあとのティファレも、王妃宮へと移動したはずだ。
そうなれば、彼女の息子も、生誕当時は同じ場所に用意されていただろう。
いま両親のどちらの元にもいないと言うことは……。
(きっと、呪いが原因で二人の元を追いやられたのでしょうね。そう言う人だったわね、あの人たちは……)
リコリスは公爵に見えないように、手を握りしめた。
(あの子の存在をなかったことにしてまで第一王子に据えた子供に対してこの仕打ち……。許せないわ……)
「アネモスは不憫な子なんだ。身体の半分を痣で覆われてしまい、陛下たちはもちろん、世話を任された乳母や侍女たちも気味悪がって近寄ろうとしない。……君は、呪いは怖くないと言ったね?」
「はい」
(そう言う彼も、呪いが恐ろしくはないのかしら)
「彼を悲しませる態度を、決して取らないと誓ってくれるかい」
優しい公爵がそう願うと言うのなら、少なくとも彼は王子の呪いを恐れていないのだろう。
「……もちろんです」
(呪いに関してだけは……ね)
リコリスが頷くと、公爵がほっとした表情を見せる。
「あの子は可哀想な子なんだ。本当は愛してくれる親がいるのに、彼女の近くで愛されることが出来ないのだから……」
(そんなの……ヴァレアキントス殿下の思い違いに違いないわ。本当にあのひとたちが王子を愛しているのなら、王はもちろん、ティファレも子どもを手元に置いたはずだもの)
「私はね、探していたんだ。第一王子の世話を適切に出来る人材を……。彼を恐れず、蔑まず、健やかに育つように。親身に接してくれる……母のような存在を……」
(彼は優しすぎるわ。ご自身のお子ではないというのに、王とは違って、まるで王子の父親のように責任感をお持ちなのね)
「私は乳母ではございませんので育児は専門外ですが、王子のために働いて参ります」
「……ああ。頼んだよ。ずっと、探していたんだから……」
「公爵さま?」
「……」
リコリスが事務的に答えると、王弟は彼女を悲しそうに見つめ、それ以降言葉を閉ざしてしまった。
彼女も彼と目が合わないように、下を向くしかない。
しばらく沈黙が続く中、リコリスはふと疑問に思っていたことを口にする。
「公爵さま。質問、宜しいでしょうか?」
「ああ、いいよ。なんだい?」
「何故、公爵さま直々にご案内くださるのでしょうか」
「それは君の直接の雇い主が、私になるからだね」
(部下に任せきりにしないのは、それだけ王子を気にかけていらっしゃる証拠ね)
「私の同僚となる他の者は、公爵さま管轄ではないのでしょうか」
リコリスの更なる問いかけに、公爵は顔をしかめて答えた。
「ああ、何人かは私の管理下の者がいるのだけどね。いま離宮に勤めている者の半数以上は、私の影響力が及ばない者たちが多いんだ。報告によると、そう言った者たちは王子が何も言わないことを良いことに、離宮でやりたい放題だと言う。ただ私が連絡を入れて向かうと、表面上は真面目に働いていてね……」
彼らは陰で職務を放棄していると言う。
唯一の世継ぎであるアネモスは、両親だけではなく敬われるはずの臣下たちからも蔑ろにされているようだった。
「本来は王子が暮らす場所として相応しい環境を用意させたかったのだけれども……うまくいかなくてね。だから、今回は君の案内を理由に、事前の連絡なくアネモスの様子を見に行くんだ。抜き打ち検査だね」
王の弟であり公爵という権力の上位に位置する彼をもってしても、裏をかかなければ普段の様子が見えないほど、離宮の使用人たちはずる賢く動いているのだろう。
「それと……君の働きも確認しておきたいんだ」
「承知致しました」
(王に見捨てられた私に話しかけてくださったように、王子も放って置けなかったのでしょうね。相変わらず、優しすぎるお方だわ……)
「彼の世話を頼んだよ」
「……はい」
(私は、そんな優しいヴァレアキントス殿下がお心を砕かれている子に、手をかけるのね……。いいえ、覚悟していたもの。迷う必要は何一つもないわ)
彼女は公爵の横顔を一瞥すると、再び彼と目を合わせないように下を向く。そして、今はもう手元にないネックレスを探るように、首元に手を当てた。
(けれども……私は、ヴァレアキントス殿下のお心をも、傷付けてしまうことになるのね……)
彼女は自らの胸がずきりと痛んだ気がしたが、復讐と言う名の目的のためには気付かないふりをするしかなかった。
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