1-06話:真眼(ヴァレアキントス視点)
リコリスと目が合った途端、公爵はまるで時間が止まったかのように硬直してしまった。
そのことにすぐに気付いた彼の侍従ジオラスは、主の準備が整うまで隣室で待つようにリコリスに案内する。
彼女に茶の一つでも淹れている間に、公爵が動き始めているかと思い、ジオラスが戻ってみると……。
「キース、侍女を隣室へ案内した」
「……」
公爵は椅子から立ち上がった姿のまま、未だ停止していた。
「キース?」
「……」
侍従の遠慮のない言葉遣いとキースと言う愛称呼びは、気心の知れた友人として身分の差など関係なく気さくに接して欲しいと言う主の願いによるものだ。
そんな彼と親しい侍従が、パンッ! と音を立てて手を合わせると、公爵がはっと我に返った。
「そうだ! リュンヌ嬢は!?」
「は? 何故そこで元王妃殿下の名前が出てくるんだ? 寝言は寝て言え、キース。いつまで初恋を拗らせているつもりなんだ? あの方はもういないぞ」
「こ、拗らせてない! ……はぁ、突然だけど辛辣な意見、有難う。少し冷静になったよ」
からかわれたことに対して公爵は顔を赤くして否定すると、溜め息をついてようやく椅子に腰かけた。
「奇跡が発動していた。何が見えた?」
「……」
問いかける侍従を脇目に見た公爵は、先ほど目にした光景を脳裏で再生させるように、瞼を閉じて両手で覆う。
「……彼女は……リュンヌ嬢だよ……」
「は? あの方が……? まだ寝ぼけているのか? それとも過労か?」
「寝ぼけてもいない! 本当に、リュンヌ嬢なんだよ!」
「え?」
「さっきの彼女とリュンヌ嬢の姿が被って見えたんだ。何故か分からないけど、間違いないよ」
感慨深く自信をもって主張する主に、侍従は信じられないとばかりに呟く。
「まさか、あの方はあの様な容姿では……」
「まさか? ジオラスは俺の真眼を疑うのか?」
王家に生まれた子どもたちは、愛名を授かることで加護を得る。この話には続きがあった。
無事に成人を迎えた王族は、次なる儀式で女神へ感謝を捧げると同時に、愛名を
そうすることで、加護と引き換えに新たな奇跡を得ることが出来るのだ。
王弟ヴァレアキントスも例に漏れず、成人の儀式を執り行った。
そして、儀式にて彼が得た奇跡こそが、真眼。
真眼はその名の通り、瞳を通して真実を視る能力のことだ。
相手が懐に忍ばせた暗器であったり、他国の密偵であったり……様々な事柄を見破っては危機を退けている。
発動条件は毎回異なるが、彼の場合はおおよそ国に大きく関わる出来事を明らかにすることが多い能力だ。
(あの時俺が、あの場にいて赤子を見ることが出来ていれば……)
公爵は目を瞑り、瞼に触れる。そして、元王妃が消える原因となったであろう五年前の悲劇を思い返した。
(燃死体に対する手際は、あまりにも早かった。まるで、人目につかせたくなかったように思える……。例えばそう、この目とか……。いや、そうでなくても、この事件自体が兄上にとっての醜聞になるだろうから、隠そうとするのは当然と言えば当然なんだろうけれども……。でも……)
考え込んでいた公爵に対して、侍従は呆れた表情で言う。
「それこそ、まさか。疑ったのは、キースの正気だ。奇跡に紛れて夢でも見たのかと……」
「いや、寝ぼけていないからね? さっきまで執務をしていただろう? それに、お前の中で、俺は一体どけだけ彼女が好きなんだよ」
「滅茶苦茶好きで拗らせ過ぎだろ。何かと理由をつけて、未だに結婚せず、未練を感じてるほどに」
「ぐ……」
言葉を詰まらせた主に、侍従は容赦なく追い討ちをかける。
「しかし、初恋拗らせ公爵の妄想でなく、真眼で見透したものであるならば…」
「……妄想じゃないし、変なあだ名をつけるのはやめてくれよ」
「彼女はどうやって、姿を変えることが出来たんだ?」
「……分からない。髪はかつらで説明がつくけど、顔立ちも違ったね。不思議なものだな……」
お手上げ状態と言わんばかりに、公爵は肩をすくめた。
「でも、良かった……。生きていたんだね……。無事だったんだ……」
「……果たして、良かったんだろうか?」
元王妃の消息を得たことで公爵は安堵していたが、反対に疑問を呈する侍従に主は眉を寄せた。
「ジオラス、何を言うんだ? 良かったに決まっているじゃないか」
「長年密かに探させていた思い人が見つかって浮かれる気持ちは分かるが、少し冷静になれ」
「その……思い人とかさ、大きな声で言わないでほしいんだけどね? 特に人前ではさ。……それで?」
公爵は親し気な侍従に肩を竦めると、先を促すように首を傾げた。
「何故今になって、あの方は戻って来たんだ?」
「それは……分からない。しかし、ジオラスの言う通りだね。王宮には嫌な思い出ばかりだろうから……。彼女がここに戻ってくる理由なんて、きっと残されていないとばかり思っていたよ」
「それも、何らかの手段で姿を変えてまで、戻ってくるなんてな。キースの真眼でなければ、見逃していたところだ」
「確かに……。真眼が見抜いたと言うのも、気になるね。……紹介状はあるかい?」
「ここに」
ジオラスは、リコリスから受け取った紹介状を主に手渡す。
公爵はそれを受け取ると、厳しい表情で中を改めたあと、再び侍従に紹介状を戻した。
「……ジオラス、彼女を推薦した者の背後関係を調査して欲しい。信頼出来る筋からのものだと思っていたけど、こうなるときな臭さを感じるからね……」
「ああ、承知した」
「頼んだよ。さて、まずは彼女にアネモスを任せて良いか……見極めなくてはいけないね……。……彼女なら、一目見ればアネモスの素性が分かると思うのだけど……」
「さて、どうだろうな」
公爵は溜め息をついて椅子から立ち上がると、リコリスの待ち構える隣室へと向かう。
「……彼女が姿を偽ってさえいなければ……彼女の本心が分かれば……。すぐにでも真実を伝えることが出来ただろうに……。ままならないな……」
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