1-04b話:魔名《マナ》は、リコリス2

「そう言う訳で、第一王子は呪いにかかったが案外しぶとくてな。そこでお前の出番だ。第一王子に侍女として近付き、奴の息の根を止めろ」

「狙うのは王ではないのね……」

「言うと思った。不満か?」

「当然よ。私が復讐したいのは、国王エラムディルフィンとティファレよ。確かに、あの人たちの息子に恨みはあるわ。けれども、酷い目にあって良いと思うほど、堕ちてはいないわ」

「悪魔の手を取った癖に、堕ちてないだと? 甘いよなあ?」


 悪魔が揶揄いながら肩をすくめた。


「そもそも、一国の主を容易に暗殺出来るなんて、本気で思ってはいないだろ? 元王妃ともあろう者にしては、つまらない冗談だ」

「……」


 彼女は、半分は本気でいた。例えこの身を引き換えにしようとも、自らの手で国王に復讐をするつもりだからだ。


「まずは小手調べだ。お前がきちんと復讐に手を染められるかどうかのな。肩慣らしに丁度良いだろう?」

「……」


 悪魔に信用されていないことを悟った元王妃は、お互い様だと肩をすくめる。そして、不満を隠さぬ表情で渋々と頷いた。


「最終確認だ。お前は復讐を果たすために、俺と契約する。間違いないな?」

「間違いないわ。だから、私に復讐をするための力をちょうだい」

「ならば、そこの鏡を見ろ」


 決意に満ちた眼差しを悪魔に向けると、悪魔は室内に設えてあった姿見を指さす。


「元王妃は失踪後死んだことになっているが、顔を覚えている奴もいるだろう。認識阻害と変装の魔法をかけてやる」

(私は、死んだことに……。夫たちにとって、私はそこまで邪魔な存在だったのね……)


 元王妃は渋々と鏡の正面に立ち、自らの姿を見つめ、溜め息をつく。


(この目を見ると……同じ目の色の息子を穢したような気がしてしまって……。あまり見たくないわ……。でも……この瞳があるからこそ、あの子のことを想っていられる……。矛盾した感情ね……)


 かつて王妃として侍女たちに丁寧に手入れされていた艶やかだった金髪は、落ちぶれた彼女に相応しくくすんでいる。民を見守る穏やかなの瞳も、憎しみのあまりに澱んでしまった。


「悪魔の俺から、お前に名を授けてやる」


 悪魔の指先から、彼の瞳の色と同じ仄暗い赤紫色の光が弾ける。


「これより、己を偽る愚か者のあざを、リコリスと称する」


 悪魔が鏡に映る元王妃の姿に指先を向けると、映し出された彼女の姿の輪郭が崩れ、うすぼんやりとしていった。


「名を復唱し、その名、その姿を認めろ!」

「っ!」


 彼女は一瞬怯むが、唾を呑み込むと意を決して悪魔の付けた偽りの名を唱える。


「……私の名前はリコリス! 悪魔である貴方と、契約を交わすわ!」


 その瞬間、悪魔の放つ暗い光が、元王妃と姿見を包み込む。同時に彼女は全身にビリッとした強い痺れを感じる。


「きゃっ!?」


 予想外の衝撃に、彼女は少しだけ鏡から目を離す。逸らした視界の隅の姿見に映る全身に、一瞬だけ赤紫色の字のようなものが走ったように見えた。


 痺れから解き放たれた彼女は、改めて姿見を見つめる。すると、鏡に映し出された姿は、見知らぬ二十代半ばの女性の姿へと瞬く間に変化していく。

 金色の髪は、火花を散らすような紅の髪に……。

 愛息子と同じ桃色の瞳は、淀んだ金の眼差しへと……。


 やがて鏡に映る姿が固定化されると、悪魔の放っていた光も収まった。変装の魔法が終わったのだろう。


「これで契約完了だ」


 彼女が自身の髪の毛に触れてみると、現実の髪の色も鏡に映る色と同じものに変化していた。おそらく他人から見た瞳の色も、鏡に映る金色をしているに違いない。一瞬だけ見えた字のようなものは、改めて観察してみると現実と鏡どちらにも映っていなかった。


「名を暴かれるか、契約者が復讐を果たすまで、その魔法が解かれることはない」

「そう……」

(復讐を果たしてしまえば、私に生きる意味なんてなくなるわ……。かつての姿を取り戻す必要もないでしょう)


 彼女は名残惜しそうに、鏡に映り込む別の色へと変貌した瞳にそっと触れる。


(……けれども。もうレンデンスと同じ色を見つめて、あの子を失った悲しみを埋めることは……出来なくなってしまったのね……)


 かつての憧憬よりも復讐を選んだ彼女は、本来の姿を記憶から打ち消そうと頭を振る。


「新たな名のほかに、身分も用意している。紹介状も準備させたから、これを持って王宮へ向かえ」


 悪魔が右手に掴んでひらひらと扇いでいた封筒を、彼女が振り返って手に取った。


「間違いなく、受け取ったわ」

「第一王子を仕留められなかった時、お前は徐々に呪われ、命尽きる。絶対に、忘れるなよ?」

「構わないわ。あの子の無念を晴らせるのなら、私の命は惜しくないもの」

「どうだろうなあ?」


 不気味にあざ笑う悪魔の姿を背に、彼女は決意と共に馬車に乗り、王都へと向かう。


「呪いは愛しき子の名マナを破れない。マナが敗れることがあるとすれば、それは……」


 悪魔に唆されて復讐を成そうとする悲劇の元王妃を見送り、彼は嗤った。


「情を与えた者からの愛を、喪った時だ!」

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