息子を奪われた闇堕ち元王妃は、偽りの家族愛に絆されて真実の家族愛を取り戻す ～呪いはマナを、やぶれない～

1-04a話：魔名《マナ》は、リコリス1

　王妃・リュンヌの失踪から五年後。

　リュンヌはリコリスと名を改め、ある日の昼過ぎに王宮の城門に向かった。偽りの身元を保障する紹介状を手にして……。

「本日よりこちらにてお勤めをさせて頂きます、リコリスです」

「紹介状を確認します」

　平然とした表情で偽装書類を渡す彼女だが、内心では紹介状をめくる受付担当者の手元を心配そうに眺めている。

「……」

「うん、身元が保障されてる人物からの紹介状だ。問題ないな。どうぞ、中へ」

「有難うございます」

　用意された紹介状によって彼女はすんなりと存在を認められ、王宮の敷地内に足を踏み入れることが出来た。

　紹介状はほかでもない。失踪していた間に元王妃を匿っていた悪魔が手配したものだ。

　リュンヌ改めリコリスが初めて悪魔と出会った頃、彼は自然に離宮へ紛れ込んでいた。その上、彼は貴族の手による招待状を用意している。

　悪魔は、彼女が思っていたよりも城や貴族たちの中に上手く紛れ込んでいるようだ。

　リコリスが王妃の立場であった頃ならば追及すべき存在だが、いまや悪魔の手を借りる身となった彼女としては、放置しておくに限る。

「王子専属侍女の採用なんだってな。……まあ色々あるだろうが、頑張れよ」

「はい」

（色（・）々（・）、ね）

　彼女は内心で失笑した。

（王子の侍女……。まさか私が、王妃になったティファレの子の侍女を務めるなんて、想像もしていなかったわ）

　かつての側室ティファレは、王妃の失踪が公表されて一年もしないうちに王妃へと繰り上がっていた。他にライバルのいない新王妃は、国母としての盤石な立場を手に入れたのだ。

　元王妃の子レンデンスが焼死体となった事件は、恐らくティファレの手によるものだろう。その上、レンデンスの存在は夫によって闇に葬られてしまったことで、ティファレの息子であるアネモスが第一王子の座に就いた。

　例え王宮で得られるものが少なくても、元王妃は構わなかった。ただ少しでも、自分を認め愛してくれる存在を、拠り所となるはずだった息子の存在を、励みにしようと生きていたからだ。

　愛おしい存在が一瞬にして奪われたことで、息子を蹴落としてまで成り上がったティファレたちに対する彼女の怒りは、五年の時を経ようとも収まることはない。

　しかし、愛されるはずの第一王子アネモスには、呪われていると言う噂が上級貴族の間に広がっていた。

　半身を蝕む紫紺の痣が呪詛を受けたことを示しているが、王子は本来加護により呪いを撥ね除ける力を備えている。

　では何故、呪いを退けられないのか、と言うと……。

「愛名（マナ）無しか、不貞の子じゃないか。だとさ」

　それは、リコリスが王宮へと舞い戻る数日前のこと。

　とある貴族屋敷の一室にて、噂を語る悪魔が悪意に満ちた笑みを元王妃に向けていた。

「それで、呪いをかけたのが貴方ですって？　残酷な悪魔」

「復讐を誓ったお前が非難出来る立場か？　嘆きの元王妃」

　互いを罵り合いながら、二人は向かい合う。

　王族を滅ぼそうとする悪魔と、王族に嫁いでいた元王妃の関係は、良好とは言えない。

　悪魔の手を取ったからと言って、元王妃は相手を信用してはいない。あくまでも目的を達成するための、共犯者という関係に他ならない。何故ならば、いずれは悪魔に切り捨てられる可能性があることに彼女は気付いていたからだ。

　それでも悪魔の手を借りるのは、何よりも復讐心が勝っているため。そして、母子共に夫から見放されたことで、これ以上自分に擦り切れる感情は残されていないだろうと、自身すら軽視していることもあった。

「噂は噂でしょう？　本当に王族の子を呪えたの？」

「本当だ。俺が生誕一年目の祝福として呪いをかけたら、なんと王子はコロッと呪われてしまったんだ！　お伽話の魔法使いのようだろう？　俺は悪魔だけどな！」

「悪趣味ね」

「お互い様じゃないか。お前だって、良い気味だと思っているんだろうからな？」

「……」

　悪魔の言う通りだ。

　レンデンスが生きてさえいれば、同じ場で人々に祝福されているかもしれなかった。いや、生きていたとしても、国王は元側室ティファレの子どもだけを優遇し、レンデンスは人々に祝われなかっただろう。

　それでも、母である彼女だけは、一つ一つ歳を重ねていく我が子を祝ってあげる自信があった。それももう、叶わぬ思いだが……。

　だからこそ、レンデンスを葬った彼らとその子どもだけが、幸福に満ちた人生をのうのうと甘受することは、当然許せない。

　しかし同時に、同い年生まれの息子と重ねてしまい、罪もない子どもが呪いで苦むことに心が痛む。悪魔の意地悪な問いかけにも、相反した気持ちを同居させながら沈黙するしかない。

「……王子はまだ幼い子どもでしょう？　やりすぎではないの？」

「お前は悪魔に何を説教しているんだ？　復讐と言うものは、かくあるべきじゃないか！」

　五年の時を経ても変わらぬ少年姿の悪魔が、悪意に満ちた顔で王侯貴族をあざ笑う。

「はは、生誕パーティーで王や貴族どもの前で王子を呪った瞬間は心が躍ったな。最初は王子を気遣う素振りを見せていた奴らが、呪いだと気付いて発狂し始めたんだ！　王と王妃なんざ互いを罵って、もっと醜かったさ！　お前に見せてやりたかったよ！」

　元王妃は、王とティファレに復讐をしたいと思ってはいるが、そんな場面に同席させられても不快なだけだ。

　悪魔の他人への慈悲のなさは、どこか国王を彷彿させると彼女は感じていた。

「そんな話、聞きたくも見たくもないわ！　いい加減にしなさい……！」

　耳を塞ぐ代わりに怒鳴った彼女に対して、悪魔がおどけてみせる。

「はは、怖いな。憎き女の息子であろうとも、幼き子に慈悲をかけるとは！　心優しい母の鏡じゃないか？」

「慈悲なんてもの、持ち合わせていたら復讐なんて誓わないわ！」

「もっともだ。さて。こうして王子は呪われ、王と王妃から見放されたんだ。誰かの息子のようにな！」

「……っ」

「あははは、可哀そうになあ？　だが良かっただろう？　第一王子をお前の息子と似た目に遭わせられたんだからな！」

　悪魔の挑発に、リコリスは眉間に皺を寄せる。

「同じじゃないわ。私ならレンデンスを愛してあげられるもの！」

「随分と自信があるんだな」

（それに愛名を授けたあの子なら、呪いにかからなかったでしょうし……）

　息子が死しても、悪魔に愛名について語りたくなかった彼女は内心で呟く。それほどまでに、彼女は息子に対する愛情に自信を持っていた。

　不意に悪魔は忌々し気に爪を噛み、小声で恨み言を漏らした。

「愛名（名）ある者に、呪われし痣（字）は付与出来ない。加護を破ろうにも、前半しか愛名が分からず呪いは不完全だ。クソが」

「なにか？」

「チッ。……独り言だ」

　愛情の重さを思い返していた王妃は、悪魔の独り言に気付かなかった。