1-03b話:そして彼女は闇に堕ちる2

 意外にも素直に王妃の元に姿を見せた国王エラムディルフィン・ノルフィオーレに、彼女は問いかけた。


「陛下、レンデンスはどこへ……?」

「レン……? は? なんだ、それは? そなたはそのような下らなくことを聞くためだけに、この俺を呼びつけたのか? 俺は忙しいのだぞ。そなたにかまけている暇などない」


 つまらなさそうに問いかける国王に、王妃は内心溜め息をつく。


 王妃は確かに、夫である国王に息子の名前を伝えていた。

 それでも王が子の名に興味を持たずに覚えていないことは、王妃にとっては予想の範囲内だった。


「レンデンスは、陛下と私の子です」

「ああ、お前の……あれのことか。さてな。記録無き者の末路など、私は知らぬ」

「!? 記録が……? ど、どう言う、ことですか!?」


 しかし、続けて夫の口から飛び出したあまりにも不穏で予想外な言葉に、彼女は自らの耳を疑った。


「先日、ティファレが王子を出産した」

「ティファレさま、も?」


 ティファレは王妃と同じく国王の妻であり、側室の名前だ。そんな彼女の子どもの名前が、何故レンデンスの話題の中で出てくるのだろう。


「ああ、そうだ。喜ばしいことだろう?」


 王妃の息子の誕生は、後継を望んだ彼にとって喜ばしいことではなかったのか。

 側室の子を祝福しておきながらレンデンスを祝いもしなかった国王の問いかけに、王妃は内心とは裏腹に祝福を述べる。


「それは……。……っ、おめでとう、ございます」


 喪に服さなければならない彼女には、他人を……ましてや愛されない自分を卑下する側室を祝っている余裕はない。しかし、息子の行方を聞くまでは夫を逃すわけにはいかなかった。


「ああ」


 拠り所を失った手でネックレスに触れてぐっと歯を食いしばっている妻の様子に気付かず、夫が続けた。


「勿論、国中に報せを出した。待ち望んだ王子の誕生に国は沸いているのだ」

「第一、王子……?」


 時期的に考えて、側室の子は第二王子に違いない。第一王子であるレンデンスは亡くなったと言うのに、夫は何を言っているのだろうか。

 不穏な空気を感じた王妃は、眉をひそめて続きを待つ。


「そのようなめでたい出来事があった最中さなかで、惨たらしい姿へと果てた者の葬儀を行うなど以ての外だ。幸い、あれの存在はそなたに近しい者しか知らぬ」

「え……」


 自らの子を悼もうとしない彼の対応は、他人事を越えてまるで不吉な者を始末するかのような物言いだった。


「あれは最初から存在しなかったのだ。そもそもあれは、ティファレに万が一が起きたときのためのスペアだったのだ」

「!?」


 残酷な処置を突きつけられた王妃は絶句したものの、すぐに我に返ると反射的に部屋を飛び出した。


「どうして、ロゼル……!」

(っ! いけない……! 例えロゼルヴェルヴェーヌが亡くなったとしても、愛名を最後まで口にしてはいけないわ……! 肉体だけではなく、魂まで、悪意に連れ去られてしまう……!)


 例え加護が迷信で効果を発揮しなかったとしても、口にしかけた最愛の名マナを最後まで言い切ることは憚られた。


「リュンヌ嬢!?」


 そして王妃は、道の途中で引き止める声があったことに気付くことのないまま、レンデンスのために用意された部屋へと飛び込んだ。


「……ッ!」


 しかし、赤子の装いに溢れていたはずの室内は、綺麗に片付けられていた。

 遺体だけではない。愛すると誓った息子の面影は、遺品ですら、何一つ残されていなかった。


「……そんな……」


 拠り所の一切をなくし、母は悲しみにくずおれる。

 息子の死を受け入れようとした先に彼女を待ち受けていたのは、悪夢としか考えられない、現実を疑うような境遇だった。

 王が語った通り、レンデンスは文字通りに存在自体を抹消されてしまったのだ。


「あの子は確かに生を受けたわ! なのに、生まれたことすら、認めてくれないの?」


 愛すると誓った愛しい我が子の面影が一つも残されていない部屋の中で、悲観に暮れる母は胸元のネックレスを握りめた。


「私の子だから? だから、私と同じように認めてくれないの……? そんな馬鹿馬鹿しい理由で!?」


 王妃として王に尽くしてきた彼女の努力や功績を否定するあまりの仕打ちに、彼女の心が折れてしまうのではないかと誰もが思うような姿だったが……。


「それが理由だと言うのなら……私は絶対に……」


 俯いていた顔を上げた彼女は、怒りを内に宿らせた表情をしていた。


「許すわけにはいかないわ……!」

「許さないのなら、お前どうすると言うんだ?」


 どこから潜り込んだのだろうか。王妃がかつてどこかで見たような面影を感じる、毒々しい赤紫色の髪をした少年が彼女の目の前に立っていた。


「お前とその息子を蔑ろにした王家に、復讐したいだろう?」


 孤独に思い詰める王妃の前に現れ、復讐を唆して手を差し伸べる少年が何者なのか、彼女は直感で理解した。


「……ええ」

「ならば俺の手を取れ。悪魔である俺が、お前に力を貸してやる。王家に復讐するための、力をな!」


 悪意に満ちた悪魔の赤紫色の瞳が、王妃の恨みを見通すように貫く。


「あの子の、レンデンスの無念を晴らすためなら、私は……!」


 王妃は胸元のネックレスから乱暴に手を放し、意を決して悪魔の冷たい手に触れた。


悪魔あなたの手だって、取ってみせるわ!」


 すると、彼女が首からかけていたネックレスが千切れ、コツンと床に落ちる。

 まるでその音を合図にしたかのように、彼女の姿は愛しい我が子の部屋から姿を消した。




 そのあと……。


「リュンヌ嬢……?」


 公爵が、王妃とすれ違った際の様子を心配して追いかけて来た。

 彼は彼女が入っていった部屋の扉を控え目にノックするが、反応がない。

 そうしているうちに、部屋の中にいたはずの王妃の姿がないことに気付く。


 慌てて王妃の捜索を命じた彼は、室内に残されたピンクゴールドの石が輝くネックレスを拾う。


「これは……リュンヌ嬢のものだ。どうしてこれが落ちているんだ? それにこの部屋は、レンデンスのための……」


 そして、周囲を調査したヴァレアキントスは、王妃が失踪したことに気づき、レンデンスに対する王の対応を知る。

 その際の王弟が、今まで誰も見たことがない剣幕を見せて、兄の仕打ちを非難し、責め立てたことを……。

 王に反抗してまでリュンヌを想う人物がいたということを、彼女は知らない。

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